金明秀先生@han_orgの「普遍主義vs個別主義の伝統的な問題設定ですね。食事が終わったらコメントします。」

普遍主義vs.個別主義という対立軸だけではだめだとすると、他の判断軸にはどのようなものがあるか。静態的な軸としては、(1)異質な存在に対して寛容か非寛容か、(2)人権のような基本的な価値だけは共有した上で各文化の差異を尊重するという立場を許容できるか。動態的な軸としては、(3)差異を本質主義的なものとみなすか、構築主義的なものとみなすか。 by 金明秀
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金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

社会学者。専門は計量社会学。日本解放社会学会会長。/心がけているのは「同化による軛から信頼による絆へ」/当アカウントのツイート内容はすべて個人の主張であり、所属組織の公式見解ではありません。

han.org/blog/

金 明秀(キム ミョンス、1968年 - )は、日本の社会学者、関西学院大学社会学部教授。専門は計量社会学、社会階層論と社会意識論。
http://ja.wikipedia.org/wiki/金明秀

きのこ@ケンモメン @kinoko2002_

ちょっと興味あるんですが http://t.co/rWSe6TAeZU ←名誉殺人も「文化だから」と擁護しないと差別で植民地主義でイスラモフォビアなんですかね? @apesnotmonkeys @han_org @rom_emon

2013-07-03 22:33:10
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ 普遍主義vs個別主義の伝統的な問題設定ですね。食事が終わったらコメントします。 @apesnotmonkeys @rom_emon

2013-07-03 22:40:14
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ コメントすると書いたものの、ちゃんと説明しようとすると長い話になりそうで、始める前からちょっと気がめいる感じがしますw

2013-07-03 23:32:11
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ お尋ねの件は、①「個別の文化」vs.「普遍的な人権」の対立、②すべての文化に固有の価値がある(ので外部から批判できない)という「文化相対主義」と「普遍的な人権」の対立、③「非西洋的な文化」と「西洋的な近代市民社会の規範」の対立、などの切り口があります。

2013-07-03 23:44:47
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ いずれも基本的には同種の論点で、人間は本質的に同質の存在である(べきだ)という考え方を重視するか、さまざまな社会の差異こそが本質的に重要だと考えるか、という2つの立場の間で議論が行われてきたわけです。前者を普遍主義、後者を個別主義や差異主義と呼びます。

2013-07-03 23:53:15
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ この息の長い論争にはすでにひとつの結論が出ています。すなわち、「普遍主義と個別主義という対立軸一本だけでは問題を解決することはできない」というものです。

2013-07-03 23:55:52
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ 人権を重視するという意味では普遍主義は「反差別的」です。でも、逆に西洋的な価値観への同化を求める側面もあり、その意味では非西洋に対して「差別的」だといえないこともありません。

2013-07-04 00:02:05
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ 女子割礼をめぐる議論あたりは典型的ですが、欧州の人権活動家は女性の人権を守るといいながら、「イスラムは野蛮だ」のような侮蔑を伴うことがあったり。

2013-07-04 00:04:28
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ 個別主義(差異主義)のほうも、帝国主義や近代主義への抵抗という意味では「解放的」な面がある一方、古い身分制度や因習が温存されがちという面では「抑圧的」なところがあるともいえます。

2013-07-04 00:07:20
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ というように、個別の文化と人権の対立を考えるとき、普遍主義vs.個別主義という対立軸一本だけではうまく問題を整理できない。そのため、この論点にこだわると「どっちもだめ」という話で終わってしまうか、各立場の原理主義者たちの泥沼の争いで終わってしまいます。

2013-07-04 00:11:02
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

.@kinoko2002_ 先を続ける前に、ここで最初の質問に回答しておきます。「名誉殺人も「文化だから」と擁護しないと差別で植民地主義でイスラモフォビア」などと主張するのは、相当に原理主義的な文化相対主義の立場ですね。その立場からは、(続)

2013-07-04 00:15:29
沼崎一郎 @Ichy_Numa

.@han_org: @kinoko2002_ 「名誉殺人も「文化だから」と擁護しないと差別で植民地主義でイスラモフォビア」と主張するのは、文化絶対主義であって、文化相対主義ではない。ある社会に唯一の文化があり、その社会のメンバーは皆、その文化に従うべきだというのだから。

2013-07-04 00:28:09
沼崎一郎 @Ichy_Numa

.@han_org @kinoko2002_ どの社会も、内部に多様性と格差を抱えており、声高に我々固有の文化というものを主張する人々は、その社会で支配的な立場にあり、その固有の文化のおかげで「得をしている」権力者であることがほとんど。そこに目をつぶった議論は不毛。

2013-07-04 00:30:57
きのこ@ケンモメン @kinoko2002_

@Ichy_Numa @han_org パキスタンの保守的な男たちは「女の子が楽しく踊る」という彼らにとっての「異文化」に対して「寛容ではなかった」のです。

2013-07-04 00:32:56
沼崎一郎 @Ichy_Numa

.@han_org @kinoko2002_ たとえば「名誉殺人」を取っても、それが行われている社会の内部に、多くの疑問と批判がある。そうした疑問や批判は「弱い声」であることが多いから、「強い声」にかき消されがち。

2013-07-04 00:33:37
沼崎一郎 @Ichy_Numa

.@han_org @kinoko2002_ もちろん、「声なき声」に応えると称する外部からの介入には要注意です。これは、介入者がみずからの利益追求のために行なう介入を正当化するための「普遍の悪用」であることが実に多いので。露骨な植民地主義から人道的介入まで、ね。

2013-07-04 00:40:57
きのこ@ケンモメン @kinoko2002_

@Ichy_Numa @han_org それはTwitterでもよく見かける光景ですね

2013-07-04 00:44:48
沼崎一郎 @Ichy_Numa

.@kinoko2002_ @han_org 誰もが寛容になれるなら、そもそも寛容が問題になることもないわけで、寛容論者にとっての課題は、不寛容に対して、どこまで寛容になリうるか、どこまで寛容であるべきか、なのです。不寛容を寛容に変えることではない。

2013-07-04 00:47:33
沼崎一郎 @Ichy_Numa

.@kinoko2002_ @han_org 不寛容に対して寛容であるということは、不寛容を許容することでも黙認することでもありません。そうではなくて、不寛容に対して、非暴力的に対峙しつつ、対話を試みることです。辛抱強く、決して諦めず。聞いてもらえなくても、語りかけ続けること。

2013-07-04 00:52:25
沼崎一郎 @Ichy_Numa

.@kinoko2002_ @han_org 寛容であるとは、また自らを疑い続けることでもあります。寛容であるとは、あらゆる批判を聞き続け、常に考え直す用意があるということですから。疑い得ない価値がある、それを自分は知っていると確信してしまったら、原理主義になってしまう。

2013-07-04 00:55:32
沼崎一郎 @Ichy_Numa

既に答えたと思いますが、寛容になるとは、容認することと同じではない。非暴力的に対峙しつつ、語りかけ続けましょう。それがどんなに不快で苦痛でも。 RT @kinoko2002_: 例えば在特会のようなものに対して「寛容」になるべきかどうか?

2013-07-04 00:57:45
きのこ@ケンモメン @kinoko2002_

@Ichy_Numa @han_org 時々リベラル系からの「原理主義に対して寛容であるべき」と言わんばかりの言説が目について怖くてたまらないのです。

2013-07-04 01:00:37
沼崎一郎 @Ichy_Numa

ですから、それは原理主義を認めることでも許すことでもありません。ただ、それを理由に殺すな、暴力的な弾圧はするな、ということです。 RT @kinoko2002_: 時々リベラル系からの「原理主義に対して寛容であるべき」と言わんばかりの言説が目について怖くてたまらないのです。

2013-07-04 01:02:34