渡邊芳之先生@ynabe39の「私たちの暮らしている社会では実際には間違いに気づいて訂正する方が訂正しないより怒られる可能性が高くなっているのではないか。」
「間違いに気づいて訂正したこと」は原則として褒めたらいいと思う。訂正してもしなくてもどうせ叱られるなら、訂正しないほうが労力が少ないぶん合理的になってしまう。
by 渡邊芳之
渡邊芳之
@ynabe39
千の風になって。
北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39
渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之
渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html
まとめ
渡邊芳之先生@ynabe39の「「それはわかるが」と言われても「ちっともわかってないじゃん」としか言えないでしょう、..
「冷静で論理的なのが正しい」という信仰っていったいどこから来るのだろう。
「それはわかるが」と言われても「ちっともわかってないじゃん」としか言えないでしょう、という話。
「気持ちはわかるけど…」と言った時点で「その気持ちを尊重しない」ことが宣言されているわけだ。そうであるなら「気持ちはわかる」という言葉にはいったいどんな意味があるのだろうか。
by 渡邊芳之
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まとめ
渡邊芳之先生ynabe39の「「こちらが正義だから暴力ではない」とか「自分が正しいんだから攻撃ではない」なんてことは..
「他人の間違いを正そうとする」ということ自体が「攻撃」だということです。日常生活で他人の間違いを指摘しようとするときにはその覚悟が必要。
「攻撃」という言葉だけ見て私が「他人の間違いを指摘してはいけない」と言っていると感じる人がこんなに多いんだなあ。私は基本的に「場合によっては暴力賛成,場合によっては攻撃けっこう,ただしやってることが暴力である,攻撃であるということは意識しましょう」と言っているだけです。
by 渡邊芳之
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渡邊芳之
@ynabe39
「間違いに気づいて訂正したこと」は原則として褒めたらいいと思う。訂正してもしなくてもどうせ叱られるなら、訂正しないほうが労力が少ないぶん合理的になってしまう。
2013-07-05 06:33:13
渡邊芳之
@ynabe39
「無条件によいこと」「無条件に正しいこと」というのを設定しないでものを考えるというのは難しいことで,それ自体が「ある種の特殊技能」になってしまうと思う。
2013-07-05 06:49:49
渡邊芳之
@ynabe39
心理学で食っていると「心理学なんか興味ない,なくてもいいと思う」という人より「心理学勉強中です,心理学はすばらしい」とかいう人のほうがはるかに気にいらない,ということはたしかにあるw。
2013-07-05 07:40:50
渡邊芳之
@ynabe39
この「お前になにがわかるって言うんだよww」という感情も108の煩悩の中に入れておくべきである。いやすでに入っているのかもしれない。
2013-07-05 07:41:44
中野善夫
@tolle_et_lege
原発事故後に真面目に検査結果を報告した会社が叩かれて検査を通ったものだけを出荷した商品が売れなくなったときにも思い知らされましたね。 “@ynabe39: 私たちの暮らしている社会では実際には間違いに気づいて訂正する方が訂正しないより怒られる可能性が高くなっているのではないか。”
2013-07-05 07:44:18