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国への想起の無意識的思慕への郷愁としての愛国心と国粋主義

ここでは愛国心の正体について、精神分析的、レビナス的郷愁性、 プラトニスムの観点から考察する。ここでは愛国心の定義、国粋主義の定義のみならず、いかに愛国心が国粋主義へと変質するかというメカニズムにも踏み込んで分析する。また愛国主義教育は可能か否か、国粋主義教育はなぜ排除すべきなのかについても言及する。
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津留晋作 @Tshinsaku

@yutakioka 僕の愛国心の解釈は、例えば身近な事では日本の自然を見て美しいと感じたり、日の丸を背負ったスポーツ選手を心から応援する様な自然と無意識に沸き上がる日本への思い、そういう形だと思います。どうでしょうか?(続)

2010-09-22 21:38:29
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 次に、5の愛国心について答えますね。これは私もTshinsakuさんの考えと全く同じで愛国心というのは、日本の風景を見たときとかその国について考えている時とかに湧き上がってくる無意識的な感情だと思います。しかし私はもう少しこの「感情」について分析します。続

2010-09-23 10:07:28
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku ではこの感情の正体は何かといいますと、母なる国への思慕だと思います。つまり、母親に対して何の情報も持たない幼児が何の理由もなく母親を思慕するように、われわれ個人の母なる国に対して思慕といえるでしょうね。ここで幼児の母親への思慕と一つだけ違いがあります。続

2010-09-23 10:12:42
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku なにかといいますとこの思慕は幼児と母親の間で成り立つものとは違って、われわれ個人と擬人的な人格しか持たない母なる国の思慕ではその思慕の範囲が異なるのです。つまり、擬人的な人格への愛は現実の人格への愛よりも遠いと考えられますね、そしてイデア化されるのですね。続

2010-09-23 10:16:21
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 私はこれを郷愁と呼びます、つまり、愛国心とは、国を想起した時に浮かんでくる無意識的な思慕への郷愁であると。つまり愛国心が郷愁を含んだ思慕であるからこそ、自然であり無意識的であり、国からの距離が問うくなればなるほど、強くなるものなのです。続

2010-09-23 10:19:05
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku また、幼児の母親への思慕という原則から考えると、そこには価値判断は一切含まれません、つまり、日本が素晴らしい国だから愛するんだとかいう言説は生まれようがありません、素晴らしかろうがなかろうが無意識的に浮かぶ幼児同様の思慕への郷愁が愛国心だからです。続

2010-09-23 10:21:50
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 私が単に思慕といわず思慕への郷愁と言ったのは離れれば離れるほど強くなるという実感を説明できる原理は郷愁しかないと思ったからです。レビナスによれば、郷愁は時間的にも空間的にも離れれば離れるほど強くなるそうです。続

2010-09-23 10:24:57
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku それは私が説明しましたが、時間的にも空間的にも遠くなればなるほど、その存在認識はイデア化されますね、そしてイデア化されればされるほど、論理的理解が困難になりますね、すると感情の力により頼って想像的に認識しようと無意識的に考える。続

2010-09-23 10:28:43
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku そして感情による認識への欲望と反比例して理性的な認識への欲望は弱まっていく、すると、想起は想像になり想像は妄想へと昇華する、つまり、国歌を想起しているうちに、その遠さにより(それは非人格的であることと時間的空間的に)、続

2010-09-23 10:32:05
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 想像が妄想へと昇華するから、現実の国歌よりもより美しく見える、これが愛国心が国歌を美しく見せるからくりです、しかし、一部の国粋主義者はこの想起の妄想への昇華という認識過程にきずかないから、後ずけで、国が現実に素晴らしいから美しいのだという理由をつくる。続

2010-09-23 10:35:18
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku そして、今度はその後ずけの理由との整合性を会わせるために、その「素晴らしく美しい」国家故に愛するという論法が出来上がる。国粋主義の誕生である。つまり国粋主義は愛国心の認識過程にきずかずそれを説明しようとして、この国だから美しいとの肯定的価値判断を付加する。続

2010-09-23 10:42:04
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 実際は国家への思慕の郷愁性により想起が妄想へと昇華されるからイデア化されて美しく感じるだけで全くそこには価値判断が伴わないんだが。先ほどの後ずけの論法で愛国心は国粋主義へと変化する。右翼が愛国心と国粋主義の区別ができなくなっているのはこのような理由である。続

2010-09-23 10:43:30
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku ここで愛国心と国粋主義の関係は示しましたね、つまり愛国心を肯定的価値判断によって無理に意識化し、その思慕の郷愁の理由を個人と国家の時間的空間的人格的距離の相違によるイデアに求めず、その国の存在自体の美しさという価値判断を付加すると、愛国心は国粋主義になる。続

2010-09-23 10:49:05
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku ここで示しました様に、愛国心は国を想起した時の無意識的な思慕への郷愁ですから当然教育することなどできないのです。そもそも愛国心教育という言葉これを愛国心の定義と考えれば存在しないのです、無意識も郷愁も想起もすべて感情なので教育により操作は出来ないのです。続

2010-09-23 10:57:43
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 仮にこれらを教育によって操作できたとしても、学習によって愛するように意識ずけられている時点でこの愛国心の定義である、無意識的、思慕、郷愁のどれをも満たさなくなります、論理的に意識的に愛することを教わるわけですから、愛国心の定義に反します。続

2010-09-23 10:59:58
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku したがって、どちらにしろ愛国心は教育不可能である。逆に国粋主義は教育可能です、いや、むしろかなり親和性が高い、先ほどの国粋主義の定義を考えれば、教育によってこの国は美しいし、それゆえに愛せよという意識的価値判断をさらに強固にすることができる。続

2010-09-23 11:02:33
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 私はこのような国粋主義教育には反対です、それは今申し上げましたように、国粋主義と愛国心というのは意識的無意識的、思慕=感情的、価値判断的のように相反する概念なのです、ですから、国粋主義教育をやることは私の定義での愛国心を減らさせるということになります。続

2010-09-23 11:05:36
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku また今申し上げましたように、国粋主義といのは価値判断を含んでますよね、その様な価値判断を含んだ客観的ではない言説を教育の場でやるのはふさわしいとは思いません、個人が勝手に国粋主義になるのならそれは勝手ですが、続

2010-09-23 11:08:58
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku 公共の場でイデオロギーを刷り込むのは個人の価値判断を強制する圧力を伴うわけですから個人の信条の自由を侵害することになるので反対です。しかしだからといって歴史教育から完全にイデオロギーを取り除くことはできません歴史が記録である以上何らかの価値判断が入ります。続

2010-09-23 11:11:28
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@Tshinsaku しかし国粋主義のように自明な価値判断を含む言説はなるべく避けるべきだと思います。そして自然な愛国心が自然に育つような国にしていきたいですね。 そのためには、なるべく自明な価値判断を排して包括的な歴史教育(国旗国歌の意味も含む)が行われることが私の理想です。終

2010-09-23 11:19:53

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