言葉は下劣ですが、言いたいことはわかります。記事に書いてるけど、発信者は責任なんて100%取れません。だからこそ、取る覚悟をもって発信せよ、ということです。ぼくはぼくの文章で誰か死んだら、逃げずに裁判でも何でも受けますよ。 http://t.co/FQeFUwssGO
2013-06-26 07:43:03どんな発言をするのも「自由」なんですよ。「死ね」と言いたいなら言えばいい。ぼくは「ネットイナゴ」と言いたいので言います。自分が罪を犯していることを自覚して、その結果の責任を最大限引き取るのなら、それも許されるでしょう。 http://t.co/bjyYFRjyrg
2013-06-26 07:43:09その時点の自分が精一杯考え抜いた理由があるのなら、罵詈雑言を吐く自由があります。だから、ぼくは口汚く罵る「ネットイナゴ」たちに、彼らが他人を貶めていい理由を聞きたい。
2013-06-26 10:13:36@IHayato 罵り合うのを外から眺めていると差が判らないです。 「なぜ悪いことをしてはいけないか」と「責任と覚悟と満足な理由」を結んじゃうと「殺されてもイイから殺してやる」ってヒトを止められなくならないんですか?
2013-06-26 20:47:18いい観点です。 "@oniqya: 罵り合うのを外から眺めていると差が判らないです。 「なぜ悪いことをしてはいけないか」と「責任と覚悟と満足な理由」を結んじゃうと「殺されてもイイから殺してやる」ってヒトを止められなくならないんですか?"
2013-06-26 21:19:50覚悟がある人は実際止められませんよね。たとえば自爆テロなど、及ぼす危害が社会的に容認できる範囲を超えているのなら、なんらかの暴力的な手段で自由を規制すべき、という話になるのでしょう。
2013-06-26 21:22:24ヘイトスピーチに関しても、その社会的な危害が許容範囲を超えるのなら、言論の自由からは除外されるのだろう。それでも、覚悟ある人はヘイトスピーチをつづけるだろうから、厳密には止められないのだけれど。
2013-06-26 21:24:31逆説的に聞こえるかもしれませんが、人には法律を犯す自由がある、ということをわからなければいけないと思う。自由は与えられるものだと考えている人には、それはよくわからないかもしれない。
2013-06-26 21:36:15@IHayato 二つの問題(レベル)を混同しているような気がします。ヘイトスピーチなどを法的に規制すべきか否かはリベラリズムの問題ですが、法があろうがなかろうが死ぬ覚悟の者を止められないというのは「人間的真実」。後者は社会システムが何であれ常にあり得ます。
2013-06-26 21:44:25@ConceptScript うーん、たしかに。そう書いたのも、「法律の必要性」がどうにもうまく説明できないでいるからだったりします。社会が個人の自由を制限するため、と考えたのですが、なんだかすっきりせず。
2013-06-26 21:54:03①「発信者は責任なんて100%取れません。 だからこそ、取る覚悟をもって発信せよ、 ということです。 ぼくはぼくの文章で誰か死んだら 逃げずに裁判でも何でも受けますよ。」と言うてるヒトが居ますが『100%取れない責任を取る覚悟』をするというのは具体的に何をすることなのだろうか
2013-06-27 19:24:10②「自分が罪を犯していることを自覚して、 その結果の責任を最大限引き取るのなら、 それも許されるでしょう」同じ方が仰る。(誰の目線かは判らないとはいえ)許されるとは何をもって行使されるのだろう。謝罪なのか慰謝料(金)なのか。
2013-06-27 19:31:34③「考え抜いた理由があるのなら、 罵詈雑言を吐く自由がある…責任も覚悟も満足な理由もなく発言を、 悪いことだと考えるからです。」これも同じヒト。どうしたところで外見は同じだし誰しも自由で、本質的に「悪いこと」を止めたいなら「なぜそれが悪く」「なぜ悪いこと止めなくてはならないか」に
2013-06-27 19:44:12④直接働きかけないと皆が自由で同じ外見なのだから「アタシの気分が悪いからやめて」にしか聞こえないし、そうなるとそれは大した悪じゃない。
2013-06-27 20:02:47⑤で、聞いてみた「そこのとこはどうお考えです?」みたいに。そしたら『社会的に容認できる範囲を超えているのなら、なんらかの暴力的な手段で自由を規制すべき』みたいなお答え。あの…「なぜ悪いか」して「悪があると社会が暮らしにくい」し「自分も社会の一部」だから、としないと
2013-06-27 20:25:42⑥社会側からの発言をしても「それは悪いのでやめろ」にも「こういう理由でやめろ」にも説得力が弱い。私は私・社会は社会…ではなく私と社会は不可分だという立場からしか語れない事があるのと違うやろうか。 とにかくなんか残念でした。
2013-06-27 20:42:16放送禁止用語を、片言でしかしゃべれない外国人が使った場合と、ネイティブの日本人が使った場合はその罪の重さを変えるべきだろうか。年端のいかぬ子供と大人では?単語そのものより単語に込められた意味で罪の重さはかわるべきか
2013-06-27 21:49:13為末さんの疑問は面白いなぁ。発信者の言葉の意味を、受け手が誤解する可能性を排除できない以上、「込められた意味」はあまり重要視すべきではないとぼくは考えるかな。「死ね」という言葉を諧謔のつもりで発信したとしても、受け手がそれを間に受けて傷つく可能性は否定できない。
2013-06-27 22:07:28「死ね」という言葉を諧謔のつもりで発信したとしても、受け手がそれを間に受けて傷つく可能性は否定できない。>だとすると「素敵!」と言うても傷つき「羨ましい~♪」と言うても傷つき「鉛筆ぅー」と言うても傷つく可能性は否定出来ない。同じ形で何と言うても傷つかない可能性もある…とすると?
2013-06-28 20:59:39聞き手の聞き方(耳へ入った言葉にどういう意味を持たせるか)に発信者の意図とは関係なく解釈がある。自身の意図をより正確に伝えたいなら言葉を磨くのは上記の考え方から当然で結果的に聞き手としての能力も上がる。その上で聞き手として重視すべきは「込められた意味」の方にある。
2013-06-28 21:35:35誰が言ったかではなく何と言ったか、そして何と言ったかではなく何を言いたかったかを頭に入ってからたくさん仮置き出来ないと【自分よがり】な聞き方しか出来ない。なるだけ多く(この言葉は辞書的にはこういう意味だがこういう意図で使われているだろう)を用意出来なければそうなる。
2013-06-28 21:57:11ぼくは自分の言葉の結果がもたらす責任を100%取れない、と主張しているだけですよ。一切の結果に関与しない(どうなっても知らない)、と語っているわけではありません。ってか、そんな無責任な態度じゃライターとして生きていけないかと…。
2013-06-27 21:36:12最後の「人の死に対して他人が責任とるという行為自体不可能」というのは、ずっと考えています。生き返らせることはできないけれど、他の責任の取り方はありえるのではないか、と。 イケダハヤトvskyoumoe問題を冷静に見る http://t.co/1uqHPVV3Im
2013-07-01 11:37:02