丹生谷貴志ツイートまとめ(2013年7月)

丹生谷貴志氏の2013年7月分のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

神戸に向かう途中神戸上空は晴れているのに走っている名神の一部だけピンポイントで大雨。寒い。資料館ではすでに『親密さ』が上映の終わりに近づいている。この四時間を超えるフィルムを誰も中途で帰らずに(!)観ている。殆ど弛みのないフィルム・・・四時間でほぼ四十カット! 長回しの連鎖・・・

2013-07-01 05:00:13
nibuya @cbfn

僕は前日にもDVDで観ていたので、控え室で音だけ聞いていた。午前には韓国との合作の『DEPTH』を観ていた。これまた素晴らしい(キム・ミンジュンという美男の俳優さん・・韓国の俳優さんはシネジェニック!)。濱口さんの丁寧な仕事・・・

2013-07-01 05:07:51
nibuya @cbfn

座談講演は、僕の話なんかはともかく、濱口さんが丁寧に語り、横で聞いていて面白かった・・・

2013-07-01 05:10:31
nibuya @cbfn

『ソラリス』のDVD。夜中に見る。さすがに低予算(学生時のフィルムなのだ!)。日本人起用のSFのフィルムは苦しい。いっそゴダールの『アルファビル』みたいなやり口!もあったかと思うけれど、まあ、あれは一回やられると二番煎じはやりづらいか。しかし初々しく?切り抜けようとする才能の気配

2013-07-01 05:41:31
nibuya @cbfn

濱口さんは神戸でしばらくワークショップを開いて、そこから『親密さ』と同じ様にフルムを作り出して行く計画だそうで、今参加者を募っている。「生徒さん」がちゃんと集まるといい・・・。

2013-07-01 05:46:44
nibuya @cbfn

久しぶりに新刊店に行くと、色々の再刊があって、例えばラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』が文庫化。学生の頃は随分感激して読んだ記憶があるが今では出来の良い予定調和の思想アニメみたいに思えてしまうけどすっきりした壮麗な思想史だった記憶がある。しかしあらかた忘れている。食指が動くが高価!

2013-07-04 10:30:08
nibuya @cbfn

『存在と時間』の新訳が出ている。昔も今もハイデガーにさして感心しないので、ふ〜んと思うだけですが。ハイデガーは戦後、シャールを「表敬訪問」し、シャールも一応歓迎しているが、後で、「あいつ、詩人の席にまで戴冠しようと渇望してる奴だ」と皮肉っている。

2013-07-04 10:40:30
nibuya @cbfn

ギリシア、ミケーネの壁のないホテルのゴミ箱でハイデガーの有名な対談の載った『シュピーゲル』を拾った記憶がある。例の「神のようなものが我々を有らしめる」でしたっけか、の言葉。同じ号に三島由紀夫の記事が今更載っていた記憶もあるが定かではない定かではない・・・

2013-07-04 10:49:48
nibuya @cbfn

ここ一週間多忙で思考停止状態。で、私事。ネットで調べたガソリン添加剤を試しに採用。この手のものは副作用がないとは言えないのでメーカー名はひかえますが、僕のバイクに関する限り意外に効果があるようです。少なくともたちまち燃費が目に見えてよくなり、ふけ上がりも少しいい。気のせいか?

2013-07-04 23:15:36
nibuya @cbfn

詰まらない確認。「フランス現代思想」の言及翻訳等が日本では主に「フランス文学研究者」によってなされて来たこと。結果として”日本の”フランス現代思想系は「分析系哲学学界」では一般的に「哲学的蒙昧によって曖昧化された言説の一群」と受け取られる傾向があること。さしあたりは単に事実の確認

2013-07-05 00:52:40
nibuya @cbfn

例えばブランショを讀む者むフランス系(!)の者はウィトゲンシュタインの問題系をそれが大方覆っていると言うかも知れず、逆にウィトゲンシュタイン読者からすればブランショの記述形態はあまりに「文学的且つ曖昧」であると言うかも知れない。まあ、或る意味どちらでもいいこと(!)だが・・・

2013-07-05 04:57:55
nibuya @cbfn

どちらでもいいことなどと言ってられるのは僕が研究者ではない学的能天気に過ぎないからだが、僕にはブランショ−ウィトゲンシュタイン合わせて読むことがそれなりに何かであるということ。例えばLouis A. Sass 『The Paradox of Delusion』の様な本を間に置き?

2013-07-05 05:13:09
nibuya @cbfn

不意の思い出。一度だけ行ったことのあるパリ、教会でモーツアルト『レクイエム』、途中で段が壊れて独唱者数人がコケるという事態、けが人の出る事態ではなかったが客も演奏者もさして動揺せずに平然と演奏は続いた。椿事に於ける余裕のようなもの。意味なく、これは敵わないかなと感じた

2013-07-05 05:24:26
nibuya @cbfn

僕は東京生まれの東京育ちですが・・・といって気づくと関西在住が20年!になっていることに唖然としますが、まあ全くと言っていいほど外出しませんので、関西は知りません。別に東京にも郷愁はないのですが、不意に小沢信夫さんの本が読みたくなったりするのはそれなりに郷愁なのかもしれません。

2013-07-05 06:25:35
nibuya @cbfn

実に詰まらない話ですが、サルトルの思想の本体は戦中にあるので、彼は「戦中派」の思想家ということになり、フーコーらは日本で言えば三島由紀夫・安部公房と同世代ですから日本風区分けなら「第二次戦後派」になるのでしょうか。すると「フランス現代思想」の「現代」とはどこをさすことになるのか。

2013-07-05 06:32:29
nibuya @cbfn

・・・ブランショ的「思想」とウィトゲンシュタインのそれとを「比較」することなど何ら意味はない。むしろ例えば『望みのときに』をウィトゲンシュタイン的なものの「適用」のようにして読んでみること等々。

2013-07-05 10:29:42
nibuya @cbfn

実に実に初歩的な確認。知覚と認識はイコールではない。認識と記述的確認はイコールではない。むろん、問題はこの「〜ではない」に関わる。

2013-07-06 10:26:46
nibuya @cbfn

認識のない知覚、逆に知覚のない認識というものは一応想定し得る。認識のない記述、記述のない認識も一応想定し得る。しかしこの、想定し得るということ自体はかなり疑わしい・・・

2013-07-06 10:31:29
nibuya @cbfn

されに初歩的確認。例えば例の「語り得ぬものについては沈黙せねばならぬ」、この場合、言われているのはあくまでも「語り得ぬもの」に関わっているということ。語り得ぬものは必ずしも「知覚し得ぬもの」とイコールではない。知覚し得ても語り得ぬものは「簡単に」想定し得る。

2013-07-06 10:38:20
nibuya @cbfn

さらには「語る」と「書く」は本質的に異なるという初歩的確認。語らぬ独白、口にされる独白(完全な独白と対話的独白の差異? しかし「一人でいること」は実は「二人以上」を含む・・・)、書かれる独白・・・これらの差異は一見簡単に分類し得るが・・・言うまでもなくことは単純ではない。

2013-07-06 10:44:58
nibuya @cbfn

初歩的な問い。知覚と認識は同時的であるか? 知覚のない認識を想像するとしてそれは如何なるものか? アリストテレスは「視覚」と認識を同時的、或いは「同一」と仮設する。結果、「視覚」は知覚以上のものとして特権化される? それに対して、ルターに至る系譜は「聴覚」を特権化する・・・

2013-07-06 10:53:05
nibuya @cbfn

「コギト」の単純な欠陥。「ただ一人である、と確定し得る”我”」は、それ自体確証不能である以上、命題を形成し得ない。「思う者」は差異そのものであって「一人=主体」では有り得ない。「本質的孤独」は「独ぼっち」の確認ではなく、「一人であること」の絶対的不可能の「経験」であって・・・

2013-07-06 11:00:21
nibuya @cbfn

じっさい、何度こんな初歩を整理し直すことやら。定期的に「忘れる」わけです。

2013-07-06 17:36:11
nibuya @cbfn

例えば西田哲学においては「私は思う〜」は「私において思わせられる」という構造を持つのだといった指摘を読むと、無論反論のありようはずもないのだが、「だから?」と思い、無論その効用は次に展開されるのだが、その説明にさらに「だから?」と思ってしまうのは・・・無論こちらの頽廃疲労で・・・

2013-07-07 09:21:10
nibuya @cbfn

例えばデカルトの「我思う〜」が哲学的命題として”間違っていた”かどうかに僕は何の興味もない。あれは十七世紀の「思考配置」の中心欲望である「各個において拠点を作る」という臨戦城塞設営の一種であって、その意味で重要であり興味深いのであってそれ以上でも以下でもなく・・・

2013-07-07 09:27:05
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