「社会」の底がぬけたcompactningen1さんのツイートから

選挙前ですが今セーフティネットが機能不全になっている現状が具体的に書かれています
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富田翔 @compactningen1

昨年の10月、私は妻、当時7~0歳の子ども4人と茨城県常総市から土浦市に越してきました。常総市内で派遣社員として働き、会社の寮で生活していたので、退職に際して次の職場にも寮、社宅があることが必須条件となりました。

2013-07-04 20:10:32
富田翔 @compactningen1

賃貸物件を探せればよいのですが、夫婦ともに少なからず借金もありますし、いわゆるブラックリストに登録されているので下手な借金や保証は受けられません。身内を頼るにも以前から私の両親、兄弟らとは反りが合わず音信不通。

2013-07-04 20:15:29
富田翔 @compactningen1

妻には父親と兄がいますが、いずれも聞く耳は持ってもらえません。「どうして派遣なのか。正社員になれ。日雇いのような目先の仕事や金に飛び付くな。我慢しろ。」何度言われたことかわかりません。

2013-07-04 20:18:14
富田翔 @compactningen1

確かにあからさまに間違ったことは言われていないようにも思いますが、我慢するもなにも今日食えなきゃ明日なんてないと思っても理解はされません。現代社会においては私が間違っているとの認識が一般的でしょう。わからなくもないのですが。

2013-07-04 20:21:26
富田翔 @compactningen1

結局、給与の前払いが可能であり、寮が完備されていて、尚且つ自動車で移動できる範囲という限りなく厳しい制約の下、やっとのことでたどり着いたのが土浦市内の大手企業の工場での「派遣」の仕事でした。

2013-07-04 20:24:45
富田翔 @compactningen1

仕事と住まいと生活費が何とかなると思った反面、長男は小学校の転校、長女は幼稚園の転園をさせねばならず断腸の思いでした。それでも賭けてやって来たこの地でとんでもない事態が起ころうとは夢にも思っていませんでした。

2013-07-04 20:30:23
富田翔 @compactningen1

大手の工場ではよくあることですが、入職後、数日の研修をパスしなければ現場に配属されないことがあります。土浦市に越して10日ほどで入職できたのですが、入職直後に家族が次々と体調を崩し、研修を1日残して早々に私も休まなければならなくなりました。

2013-07-04 20:34:58
富田翔 @compactningen1

研修は週に2回、連続して3日間行われるのですが、私は次回、そのまた次回と研修日程を調整されることとなり、給料の前払いもできず、とうとう食べられなくなる一歩手前まで追い詰められました。

2013-07-04 20:38:25
富田翔 @compactningen1

途中、多少の勉強をする機会もあったことから、第2のセーフティーネットと呼ばれる公的支援を受けるべく、土浦市社会福祉協議会に相談しましたが、在住6ヶ月未満の者には原則貸付等行うことは難しいと言われ断念しました。

2013-07-04 20:41:42
富田翔 @compactningen1

最終的に最後のセーフティーネットである生活保護を申請せざるを得ないと考え、2013.10末に土浦市役所、社会福祉課に相談に行きましたが、これが悲劇の始まりでした。

2013-07-04 20:44:10
富田翔 @compactningen1

この日は私の地区を担当するケースワーカーがいないとのことで、別の男性2名が相談という形で私から聞き取りを行いました。あからさまに追い返そうとはしませんが、身内は?社会福祉協議会というのがあってですね…。ハローワークには行きましたか?などといわゆる水際作戦がじわじわ始まりました。

2013-07-04 20:48:11
富田翔 @compactningen1

私は湯浅誠さんの著書「生活保護申請マニュアル」を以前読んでいたのでこれはダメだと思い、一度家に戻り法テラスという法律家を紹介してもらえる機関に連絡をしました。

2013-07-04 20:51:25
富田翔 @compactningen1

法テラスではまだ若そうな女性の弁護士を紹介され、後日同行してもらえることになりました。そして2013.11.1に弁護士同行のもと、再度、土浦市役所社会福祉課へ生活保護の申請に向かいました。

2013-07-04 20:54:14
富田翔 @compactningen1

窓口に申請したいと告げると弁護士に「同行者はこれに記入して」と何やら用紙を渡し、弁護士が記入後、また相談室なる場所へ移動。今回は私の地区を担当するケースワーカーと査察指導員と呼ばれている方々の計3名が聴取。例に漏れず水際作戦が行われましたが。

2013-07-04 20:58:59
富田翔 @compactningen1

信じられなかったのは自動車に関する話。「今日乗ってきた自動車は置いていってもらえなければ申請は受け付けられない。過去には自動車を置いて代行で帰ってもらったケースもある。」とケースワーカーが口にしたのです。

2013-07-04 21:02:36
富田翔 @compactningen1

生活保護を申請しようとしている人に代行を使って帰ってもらうとはどういうことなのでしょう?私が置いて行くのは難しいと伝えると、「じゃぁ明日の申請ということで取りに行きます。申請日は明日になりますがいいですか。」弁護士はそこは妥協しようと仕方なく了承しその日は帰宅した。

2013-07-04 21:08:13
富田翔 @compactningen1

翌日、自宅に前日のケースワーカーと就労支援員なる女性が訪れ、一応申請は完了した。しかし、職場には復帰出来る目処は立たず、今度は社宅から出ていかなければならない恐れが出たため、弁護士、ケースワーカーに相談するも対処法は示されなかった。

2013-07-04 21:14:44
富田翔 @compactningen1

ケースワーカーからは「転宅資金は出ませんよ。」とはっきり言われ、会社との交渉も上手く行かず、2012.11.7に会社からは自己都合退職として事実上の解雇、さらには1週間以内に寮を出るように通告される。

2013-07-04 21:17:30
富田翔 @compactningen1

再度ケースワーカーに相談したところ、「転宅資金は出ない。何なら親と子、別々の施設を今から探すがいいか。」と言われ、私は役所も頼れない。どうにか妻と子どもたちと一緒にいられる方法を模索したが、最早手遅れでした。

2013-07-04 21:20:28
富田翔 @compactningen1

弁護士に相談すると、「今回のケースはあまりに複雑なので、この件から手を引かせてもらいたい。」何を言っているのか理解できなかった。まさか弁護士にまで見捨てられるとは思ってもみませんでした。

2013-07-04 21:22:51
富田翔 @compactningen1

弁護士に相談すると、「今回のケースはあまりに複雑なので、この件から手を引かせてもらいたい。」何を言っているのか理解できなかった。まさか弁護士にまで見捨てられるとは思ってもみませんでした。

2013-07-04 21:22:51
富田翔 @compactningen1

そして翌日、急遽ケースワーカーと就労支援員が訪ねてきて「申請内容に不備がある。このまま申請を継続しても却下になると思う。申請を取り下げるなら今日なら受け付ける。」と言い出した。

2013-07-04 21:25:42
富田翔 @compactningen1

弁護士からは自動車の保有は6ヶ月までは認められていると言われていた。確かに妻の旧姓名義の口座を提出できなかったことは不備にあたるかも知れないが、残高は0であり、修正していただけたらよかったように思う。

2013-07-04 21:28:31
富田翔 @compactningen1

決定的だったのは子どもたちのいる前で「最悪、警察に通報もありえますからね。」と大声で言われた時だった。暴れてやろうかとも思ったが、諦めて取り下げに応じてしまった。最後に「子どもさんの為に頑張って下さいね。」と言われたのは一生忘れない。

2013-07-04 21:31:39
富田翔 @compactningen1

会社からも弁護士からも行政からも見捨てられ、私は外に出ることを決意しました。その時、私は子どもたちだけは施設に預け、夫婦で野宿してでも再起をはかろうと決意していましたが、正しかったのかはわかりません。

2013-07-04 21:34:22