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丸山天寿先生の「七夕の話」

「祭りや行事の思想ややり方は、時代によって変遷する。特に日本人には、よさそうなものを何でも取り入れる性格がある」
人文 七夕 丸山天寿
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丸山天寿 @tenjumaruyama
【季節の言葉】ー「天の川」-天の川は、天空に微光を放つ数億以上の恒星の集合体。天球上を大円に沿って灰白色の帯状になっているために、天を流れる川に見立てられてこの名がある。古代中国人は漢水の気が天に昇ったものと考えていた。日本には牽牛と織女の伝説とともに入って来たようだ。→
丸山天寿 @tenjumaruyama
アイヌ語でも「ペッノカ=川の姿」と呼んでいるようだし、古代エジプト人は「天のナイル」、古代バビロニアでは「天上のユーフラテス」という。ギリシャ神話では、英雄ヘラクレスが女神ヘラの乳房を強く吸ったために乳がほとばしって天の川になったとされる。英語ではミルキーウエイというようだ。→
丸山天寿 @tenjumaruyama
天の川を、死者の魂が天国へ行く「道」とみる民族もある。スウェーデンでは天の川を「冬の道」、アメリカ・インディアンは「魂の道」、フィンランドでは「鳥の道=亡霊が鳥になる」と呼ぶそうだ。日本では、願いに関わる川だけれど「天の川霧立ちわたる今日今日と我が待つ君し舟出すらしも 万葉集
丸山天寿 @tenjumaruyama
さて日曜日のお遊びに代えて。本日は少し真面目に、「七夕の話」。 七夕は、日本、台湾、中国、韓国、ベトナムなどにおける節供の一つ。五節句の一つにも数えられる。 →
丸山天寿 @tenjumaruyama
日本には古来、7月7日の夜に水辺に棚を設け、乙女が機屋(はたや)に籠って機を織り、神の降臨を待って一夜を過ごす行事があった。その乙女を「棚機女=たなばたつめ」、「乙棚機=おとたなばた」と言った。来臨した神に穢れを持ち去って貰うため、というのが表向きの理由(真の目的は諸説あり)。→
丸山天寿 @tenjumaruyama
本来は7月15日に行われていたが、仏教が伝来し、その日が仏教上の行事「盂蘭盆」となり、棚機は7月7日に繰り上げられたとも言われる。この行事に中国から伝わった「乞巧奠=牽牛と織女の二星が天の川を渡って一年一度の逢瀬を楽しむという伝説」の風習が合体した。ごった煮は日本人の特技である→
丸山天寿 @tenjumaruyama
万葉集では「棚機女」と「織女星」を同一化しているが、七夕祭は平安時代に洗練されていく。清涼殿東庭に長筵を引き、朱塗りの机を四脚並べて、桃、梨、鯛、鮑などを供え、ヒサカキの葉に金銀の針を七本さす。琴柱を立てた琴一張を横たえ、香を焚く。その傍らで天皇は、牽牛星と織女星を眺めたという→
丸山天寿 @tenjumaruyama
室町期には遊びの要素が加わり、七夕にちなんで七遊と称し、歌合・蹴鞠・碁・貝覆いなどを楽しむこともあった。江戸幕府は七夕を五節句とし、幕府の式日と決めた。大名は6日に登城して将軍に祝儀を述べた。大奥では、瓜・桃・菓子などを盛った白木の台をすえ、笹竹を立てて注連を張ったという。→
丸山天寿 @tenjumaruyama
短冊に願い事を書いて笹竹に下げる習慣が広まったのは、江戸期からと言う。本来は笹竹を水に流す七夕送り(祓い・禊の意味合い)の行事と、神に願いをかける風習がいつの間にか混合されたものと思われる。芋の葉の露ですった墨で短冊を書くと習字が上達するとされるが、寺子屋が普及したせいだと思う→
丸山天寿 @tenjumaruyama
笹竹を使うのは日本独自だそうだ。「たなばたさま」に歌われる五色の短冊は、五行説の緑、紅、黄、白、黒から来ている。乞巧奠の思想は技芸の上達を祈るためのものだから御利益のあるのは芸事の上達なのだが、いつの間にか全ての願いが叶うという風習に。中国では短冊ではなく五色の色を吊るす。→
丸山天寿 @tenjumaruyama
祭りや行事の思想ややり方は、時代によって変遷する。特に日本人には、よさそうなものを何でも取り入れる性格がある。七夕に願いをかける思想は古代にはなかったが、現代ではそれが普通になっている。価値観とともに行事の意味も変わる。人が幸せになるのなら、それでかまわないと私は思う 了

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