山本七平botまとめ/プロテスタント病の典型――アメリカ/~”自己義認の連鎖”の罠に陥った「プロテスタント病に対する抵抗力無き」日本社会~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第四章 合理と非合理/奇妙な前提――〈私は正しい〉/135頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei
①【奇妙な前提――〈私は正しい〉】一体、非合理性とか矛盾とかいった問題を、どう見、どう解し、どう扱うべきであろうか。 これは、最終的な無謬性と可謬性、整合と矛盾の問題になると思う。 では一体、無謬性とか無謬性の主張とかは、どういう形で規れるのであろう。<『存亡の条件』
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②一言でいえば前述の″知識人党″のような形で現れる。 彼らの考え方の基礎にあるものは「自己無謬」という前提である。 いうまでもないが、自分の判断が無謬だと信じない限り、人間は発言できない。 発言とは全て自己の無謬を前提としない限り成り立たない。
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③この前提を否定すれば、たとえ憲法が言論の自由を保証したところで、言論の自由はあり得ない。 「これから間違ったことを発言します」 という前提の発言は、討論の技術乃至は詐術としてはあり得ても、実際にはあり得ないのである。
山本七平bot @yamamoto7hei
④そしてもしその人、またはその集団が、「自己無謬」らしく見える位置を生涯保持しようとすれば、また、保持しなければ自己の職業を失いかつ社会的位置を喪失するということになれば、否応なしに″知識人党″のような態度をとらざるを得なくなるであろう。
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⑤従ってこれを職業と考えるなら「自己無謬業」とでも言う以外にない。 この問題は、もちろん日本や西欧だけでなく、形を変えれば全世界に存在し、また現代だけでなく古代にもある。 古代のそれについて第二章を読まれれば、ほぼ推察がつくであろう。
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⑥自己無謬の主張とは、基本的にいえば 「自己義認」――自分で自分を義と認める―― の状態であり、カトリックのプロテスタント批判の言葉をそのまま借りれば「万人が自己を法皇だと主張」して最終的には収拾がつかなくなる状態だということになる。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑦この自己義認の典型的な表れ方は、まず、絶対者に自己を同定し、その上で、日本の新聞の論説のように 「右も悪いが左も悪い、ああも言えるが、こうも言える」 と言い続ける状態である。 いうまでもなくこの言葉には、言われざる前提と結論があり、それを書き加えると、次のような形になる。
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⑧「私は正しい、その正しい私から見ると『右も悪いが、左も悪い』、 そして、そう言っている私は正しい。 その正しい私から見ると『右も悪いが、左も悪い』、そして……」 の循環論理になっているわけである。
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⑨この循環論理の中から『 』内と挿入部を除くと(この挿入部には、その時々によって、どんな文章を入れてもよい)、この文章は 「私は正しい、私は正しい、私は正しい……」 の連呼か、お題目のようになり、言っていることは、実は、はじめから終りまでそれだけなのである。
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⑩これがすなわち「自己義認」―― いわば他の題材を「ダシ」にして、自分で自分を義と認めつづけ、そう主張しつづける状態、 すなわち「自己無謬」を主張しつづけている状態なのである。
山本七平bot @yamamoto7hei
①【プロテスタント病の典型――アメリカ】だが、こう主張し続けると、その社会はどうなってしまうのであろう。 簡単にいえば「私は正しい、社会は悪い」と全員が主張し「無謬者の集合で構成された社会は悪」という奇妙な結果になって社会的統合は崩壊してしまう。<『存亡の条件』
山本七平bot @yamamoto7hei
②これがいわゆる「プロテスタント病」であり、プロテスタント社会が、言論の自由が保証される民主主義社会が、内包する症状の一つであろう。 簡単にいえば社会の全員が″知識人党″か、知識人党への自己同定者になってしまった状態である。
山本七平bot @yamamoto7hei
③勿論プロテスタントには以上の批判に対して反論がある。 プロテスタンティズムとは元来「信仰義認」の世界であり「自己義認」の世界ではないという主張―― 簡単にいえば無謬性をもつ人間は皆無であり「人は生まれながらにして罪人」であり、従って「義人なし、一人だになし」であって、(続
山本七平bot @yamamoto7hei
④この聖書の言葉を前提とし「人が義とされるのは(これらの言葉への)信仰のみにある」と規定された世界である、と主張する。 もちろんその主張は正しいのであろう。 しかしこの主張により自己義認の連鎖が打ち破れるのは、それがカトリックとの緊張関係にある場合に限られる。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑤これはプロテスタントが、いわば「カトリックの野党的批判者」として生まれ、従ってその位置にいるときにその健全性を保持しうるわけで、その歴史からいってもそれが当然である。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑥しかし、プロテスタントがその緊張関係を失いやすい環境に置かれた場合、 いわばそれのみで社会の主流となったアメリカのような場合は、当然にプロテスタント病的症状は強くなる。 世界に対するアメリカの自己義認的状態は、一つ一つその症例をあげる必要はあるまい。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑦しかしこれが、さらに「緊張関係」という伝統から全く切り離されて、東アジアの儒教圏に来た場合はどうなるか。 日本・南朝鮮またかつての南ベトナムなどは、その実験場のような有様になってしまうのである。

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