【訃報】今日くらい現場にいるエンジニアに思いを馳せよう【吉田昌郎】
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日本で原発がなくなったとしても、世界中に原発は残る。所長の経験は人類の未来にも参考になる話だから、もうちょっと聞ければよかったなあ。
2013-07-09 17:16:38NHK報道「東京電力は事故発生から退任までに吉田元所長が浴びた放射線量はおよそ70mSVで、東京電力はこれまで『被ばくが原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかるので、事故による被ばくが影響した可能性は極めて低い』と説明」。 http://t.co/1PaGciFwIJ
2013-07-09 17:29:04福島第一吉田元所長が亡くなった。事故対応の心労が大き過ぎたのだろうか?一緒に仕事をしたことがあり、同い年だけにショックだ。若すぎる。謹んで哀悼の意を表します。
2013-07-09 17:31:34ご冥福をお祈りするともに、ご意志を継いで「万が一の事故の際の危機管理」を国家レベルで改めて収斂するための歩みを止めてはならないと。
2013-07-09 17:31:54吉田所長…死んじゃった…3月11日の事故から、癌が見つかって退所する12月1日まで1F事故対応の陣頭指揮を執ってくれた所長。常に、現場と作業員の体調や安全を第一に考えてくれてた所長…。免震棟の狭い喫煙所で話した他愛もない会話を思いだしてしまう…。
2013-07-09 21:16:17続1:事故当初、免震棟の喫煙所でオイラ達作業員はタバコも買いに行ける状況じゃなく、タバコを切らした作業員を見かけると笑顔でタバコを差し出してくれた所長…。作業員に対し、どんな時も「ご苦労様、ありがとう、体調大丈夫か?」と声を掛けてくれた所長…。
2013-07-09 21:16:33続2:吉田所長の言葉で、今でも強く心に残ってるの言葉は、3号機爆発のあと「協力企業の皆さん、今まで本当にありがとうございました。皆さんはここから退避して下さい」という言葉と、12月1日に道半ばで1Fを去らなきゃならなくなった時に言い放った「無念!」という二文字の言葉。
2013-07-09 21:16:46続3:事故当初に生死をかけて共に闘った、協力企業や東電社員に対し、何度も頭を下げ、道半ばで去る自分を戒めてる姿が…。また元気に復活して、いつか1Fに戻ってくると信じてたのに…。『吉田所長、お疲れ様でした…天国で安らかに…今までありがとうございました』黙祷。
2013-07-09 21:17:47吉田所長が亡くなった。言いたいことが山ほどあっただろう。ほとんど何も私たちには言わず、亡くなってしまわれた。去年の7月、脳出血で倒れる前のビデオインタビュー、毎日新聞が書き起こしをしていた。ブログに再度出した。(記事と、英語私訳)http://t.co/mKWWIHP9MH
2013-07-09 17:42:13RT @hidetoga: 吉田さんのお人柄が分かる言葉の数々ですね。RT @exskf 去年の7月、脳出血で倒れる前のビデオインタビュー、毎日新聞が書き起こしをしていた。ブログに再度出した。(記事と、英語私訳)http://t.co/krLkyztGxh
2013-07-09 19:16:55「私自身が免震重要棟にずっと座っているのが 仕事で、現場に行けていない。いろいろな指示の中で本当にあとから現場に話を聞くと大変だったなと思うが、(部下は)そこに飛び込んでいってくれた。本当に飛び込んでいってくれた連中がたくさんいる。」
2013-07-09 17:50:28「大変な放射能、放射線がある中で、現場に何回も行ってくれた同僚たちがいるが、私が何をしたというよりも彼らが一生懸命やってくれて、私はただ 見てただけの話だ。私は何もしていない。実際ああやって現場に行ってくれた同僚一人一人は、本当にありがたい」
2013-07-09 17:50:13