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polalis @_polalis_
「江戸しぐさ」そのものではないが周辺言説、例えば芝三光の祖父の「江戸講」が柳田の民俗調査を断ったとか、平沼騏一郎・古川緑波が来ていたとか、芝三光の父方は華族の流れを汲むとか……誰か調査検討してるのかしら?
原田 実 @gishigaku
「野菜スープ健康法」(90年代初頭に流行、94年、主唱者が薬事法違反で逮捕されて一気に下火に)の影響とすれば成立時期がほぼ特定できるかも>「江戸しぐさ」の江戸ソップ@yonaki11111 @zeong_dictator @_polalis_ @kemrin2011
原田 実 @gishigaku
芝三光師の書いたもの、語ったことの記録を1980年代までさかのぼり、「江戸しぐさ」なる名詞の初出が1985年10月の真運投稿であること、それ以前の芝師は文献発掘などで江戸の文化を研究していると称していて江戸講での伝承など言っていなかったことを確認。 @_polalis_
原田 実 @gishigaku
芝師が生前に開いたサロンの後継である「江戸の良さを見なおす会」での伝記資料にはその手のヨタ話は出てきませんね。http://t.co/UVyyRYjfxZ @_polalis_
polalis @_polalis_
@gishigaku @xiaoke_As 読売のアレですね。「江戸しぐさ」伝来譚の調査をすれば、わりと時代毎に変容があると思うんですよね。
原田 実 @gishigaku
1984年頃の講演では、官軍の江戸入りで江戸っ子は自発的に引きこもって文書類を処分した、というだけで江戸っ子狩りまでは言っていませんね。85年代後半でも自分の子供の頃にはまだ「江戸しぐさ」が当たり前だったと言っている。 @_polalis_ @xiaoke_As
原田 実 @gishigaku
おそらく第一の転機は「江戸しぐさ」という言葉を使い始めた85年頃、第二の転機は91年末の越川女史(ネイティヴアメリカン贔屓)入門だったと思います。それで江戸っ子とアメリカインディアンの区別もつかない「ラスト・サムライ」な世界に突入。@_polalis_ @xiaoke_As
polalis @_polalis_
@gishigaku @xiaoke_As 私としては、入門~『江戸の繁盛しぐさ』(1992)刊行と、少し期間を不明瞭にして置きたい所。芝の没年が1999年らしいので、その前後で「江戸しぐさ」に変化があるか否かも調べなければならないのでしょうね。
polalis @_polalis_
ためしに、三書の「江戸しぐさ」の「三度消えた」譚を比較してみる。A『江戸の繁盛しぐさ』(1992)。B『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋」(2001)・C『「江戸しぐさ」完全理解』(2006)
polalis @_polalis_
1A:一度目は明治維新(一八六八年)で排仏毀釈とともに、旧来の陋習として切り捨てられた。この時、町衆自身も自戒焚書として貴重な文書を焼いたという。
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1B:一度めは前述した明治維新(一八六八年)。明治の政変によって、新しく座についた明治政府は、排仏毀釈とともに、「江戸しぐさ」を旧来の陋習として、江戸のカラーを取り去ることに全力を注いだ。バッサリ切り捨てた。
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1C:一度めは、明治維新で新政府がこれを廃仏毀釈とともに陋習として弾圧したとき。町人の自治・平等の精神が詰まった江戸しぐさは、新たな中央集権国家を目指す明治政府にとっては脅威だったのでしょう。江戸のカラーを取り去ることに全力が注がれました。
polalis @_polalis_
「切り捨て」たから「弾圧した」等へと関係叙述が変化。また「町衆自身も自戒焚書として貴重な文書を焼いた」説は見えなくなる。別所に「当時、町衆は表向き、一切書くことは許されなかった…」とあるのに「焚書」できたらマズイよね… 廃仏毀釈は政府が行ったものでな無い点についての無理解は共通。
polalis @_polalis_
2A:二度目は国家総動員法(一九三八年)で全ての集会が禁じられたため、かろうじて「江戸しぐさ」を伝えてきた江戸の講は解散させられた。
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2B:二度めは軍国主義の真っ只中、「戦争のために国家にすべてを捧げよ」という国家総動員法(一九三八年五月五日)が施行され、すべての集会を禁じた。それまで江戸の生き残りがかろうじて「江戸しぐさ」を伝えてきた江戸のさまざまな講も解散させられた。
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2C:二度めは、第二次大戦前の国家総動員令が発令されたとき。この動揺が、人々の一切の人間性をお国のために箪笥の底にしまわせることになりました。
polalis @_polalis_
「国家総動員法」の影響について。「集会」を禁じた→「講」が「解散させられた」という説から、「動揺」という抽象的な語へと退縮。国家総動員法に集会禁止なんてあったっけ?とでも批判されたのかしら。
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3A:そして三度目は、欧米に追いつき、追い越せという一九六〇年から始まった高度成長政策によって、「江戸しぐさ」は雲散霧消してしまったという。 3B:そして三度めは戦後、欧米に追いつき追い越せという一九六〇年から始まった高度成長政策が「江戸しぐさ」を無用のものとした。
polalis @_polalis_
3C:三度めは、一九六〇年代から始まった高度経済成長によって。人を押しのけても稼げ稼げの風潮に、江戸しぐさは忘れられ、お金だけが幸福だという思い込みが浸透しました。
polalis @_polalis_
高度成長と関連づけようとするのは共通。しかし「雲散霧消」「無用のものとした」「忘れられ」と、それぞれ「消え」た経緯説明は異なる。また高度成長開始を3A・3Bは1960「年」、3Cは1960「年代」とする相違もある。もっとも日本の高度成長、教科書的には1950年代からなんだが…
polalis @_polalis_
正直、よく恥ずかしげもなく場当たり的に書けるよな、といった所ま、そのありようが「江戸しぐさ」なのかも知れぬが。歴史を演出に用いたいが、用いる能力が無いようにも見える。
polalis @_polalis_
「とにかく一九二九年、大恐慌の年のことですが、私が七歳の時、あの民俗学者の柳田国男先生が講に取材を申し込んでこられたそうです。しかし、古老たちは断ってしまった。このため柳田先生は「江戸しぐさ」について、一切書き残していないんです。」(『江戸の繁盛しぐさ』p.173)。(続
polalis @_polalis_
で、公式サイト→http://t.co/li2gOk4VAw こっちでは「『遠野物語』などで知られる民俗学者の柳田国男から戦後、取材の申し込みを受けた。」とある。あらあら、調査時期が食い違ってるよ。「このため(略)一切書き残していないんです」なんて断じてたのに!(ニヤニヤ
polalis @_polalis_
なお同頁「越川さんが江戸しぐさに関心を持ったのは読売新聞朝刊のコラム『編集手帳』に載った記事がきっかけである。1983年3月23日付のもので、「江戸ゆかりの人たちが勉強会を開いて江戸しぐさを後世に残そうとしている」とあった。」←この記事、無かった。
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@zeong_dictator 時に独裁者、「現代の歴史の教科書や江戸に関する書物に書かれている江戸の話の多くが、明治の政変(明治維新、一八六八年)以来、「勝てば官軍」の、いわゆる「勝者」によって語られ、記録されたもの」(『江戸の繁盛しぐさ』)と言う輩が「教科書」読んでるかな?
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コメント

各務原 夕@魔眼蒐集猫車 @nekoguruma 2013年7月14日
オーラルヒストリーを取り上げるのもいいけど、やっぱり他の史料と整合性取れてなきゃ、信用すべきじゃないよね。けど、この手の歴史ネタに限らず、現在進行形の事件でもありがちな構図でもあるよね。これって
小可 @xiaoke_As 2013年7月14日
@nekoguruma 壁|vΦ) オーラルヒストリーのヒトって、資料との照合に基づいた批判やツッコミを等閑視して、とかく「言われたことを素直に受け取って解釈、紹介する」ことが主目的だといわんばかりの言動をとるのが多いんですよネェ。宮田節子とか…史料批判なく全面的に「証言」を受け入れるんだよなー。ま、自分の言説に都合がいいからだろうけど。
Yoshi_せんしゃぶ!連載中 @Yoshikun21c 2013年7月14日
人間の記憶なんて不確かなものですからね。1年前に食ったものを記憶だけで正確に言える人は殆どいないわけで。
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