- kinky12x08
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動ポモのどこがクソかを山川賢一さんが整合性の面から攻めてみたら
私は作者の意図がどうあれ、論文の仮説が現実に妥当するか、妥当しないとすれば理論の修正点は何か、という思考をする工学部出の人間なので。 内容のある批判になっているなら理屈を示してもらわないと議論の構造も整理できない。そこでマウンティングされても「お前誰だよ…」としか思わないよね。
2013-07-14 07:54:18ということだったので
データベース消費理論の論理的整合性/無矛盾性はさておき
現実に妥当する仮説であるのかどうかという観点から攻めてみましょう
ある事象を観察して、そこにこういった法則性があるのではないかと仮説を立てる。その仮説が真であるならば、こういった実験をすればこういった結果が出るだろうと予測する。実験の結果、予想通りの結果が出れば、仮説の信憑性は上がる。当たらなければ、まず間違いだったと分かる
2013-07-15 14:46:36データベース消費理論という仮説が真に現実のオタクを反映したものであるならば、その体現である梅ラボは諸手を挙げてオタクに受け入れられるはずである(予測) そして現実には梅ラボは猛烈な勢いで拒絶された(結果) よって、データベース消費理論は現実に妥当する仮説ではなく修正が必要である
2013-07-15 14:51:25東浩紀が「梅ラボはデータベース理論の体現者であり、諸手を挙げてオタクに受け入れられるはずである」という予測を立てていたという論拠 https://t.co/NEqwdyYd0c 梅ラボ作品の中にデータベース理論の実践を見出していたと思われる
2013-07-15 14:53:36データベース・スーパーフラットという造語が具体的になにを指す語なのか分からないので、ひょっとしたらデータベース理論とは別の意味かもしれないけど。まぁ他にも色々と論拠は出せるし、東が「梅ラボはデータベース理論の体現であり、オタクに受け入れられる」と予測していたことはたぶん間違いない
2013-07-15 14:55:52で、その予測は外れ、梅ラボは猛烈な勢いで現実のオタクたちに拒絶されることになる。データベース消費理論という仮説が観測によって現実に妥当しないという結果が出たわけです。そこで必要となるのはKitagawaさんの仰る通り、妥当しないのであれば理論の修正点は何か、と思考することです
2013-07-15 14:58:55ところが東は理論の修正ではなく、観測事実を合理化することでそこを回避した。曰く「梅ラボがオタクに拒絶されるのは真実の姿を見せ付けられる故の同族嫌悪である」とか「キャラクターを死体のように扱うからである」とか。兎に角、梅ラボが拒絶されたという観測事実から全力で目を逸らしている
2013-07-15 15:03:50現実に適用せずに天上の仮説のままであったなら、山川賢一さんが今やっているように、仮説のその論理的整合性を崩しに行くという方法でしか転覆はできない上に、ガチガチの科学理論じゃないから如何様にも柔軟性がありその防御力は無限だったけど、現実に適用してしまえば素朴な観測で反証できてしまう
2013-07-15 15:08:08まぁ、こういった点に関しても東浩紀の先制護身は既に完成していて http://t.co/ccpw7j8256 >データベース型世界へ 初出:『週刊読書人』、2001年3月30日号
2013-07-15 15:10:26君たちは否定するかもしれないけど、でも実際はそうなんですよ(無敵) >「でも、彼ら本人の自意識は異なるかもしれないけれども、ある見方で見るとあなたたちはこんなふうに動いている、そしてそれを説明するにはこう考えるのがもっとも効率がいい、そういうタイプのものなんですよ、僕の仕事は」
2013-07-15 15:11:36あらかじめ、観測によって否定された場合の予防線を引きまくっているから、否定してみせたところで無敵です。たまねぎのように幾重にも装甲が >「だから、いま僕の書いていることをアニメの製作者や消費者に言っても、別に同意も得られないと思いますよ。当然別の見方もあるし反論も出てくる。」
2013-07-15 15:13:09素朴な観測によって否定された仮説を、仮説の修正ではなく観測の主観を捻じ曲げることによって対応するというのはとても学究の徒として相応しい態度とは思えませんが、そこのところいかがでしょうかね?
2013-07-15 15:18:54@kinky12x08 こんにちは。 (予測)の命題は反例により偽でしょう。 そこで否定されるのは「データベース理論が現実を反映した仮説であるならば」という前提と「その体現たる梅ラボが受け入れられるはずである」という予測の関係です。 しかし仮説の妥当性と、受容の態様は別問題では?
2013-07-15 15:58:44.@ktgwtky こんにちは、はじめまして。僕は山川さんのように頭のいいタイプじゃなくてそのへんのクソガキなので、もうちょっと噛み砕いて頂けると助かります。つまり証明されたのは「データベース理論が真であったとしても、その体現である梅ラボが許容されるとは限らない」ということだけ?
2013-07-15 16:05:23@kinky12x08 移動時間なので少しだけ。先ほどの仮説の否定がもたらす可能性は (1)理論が誤っている (2)理論は正しいが、理論の体現者が受容されるはずという予想が誤りである (3)理論も予想も誤りである の三通りです。 では(2)の理論と受容の関係を検証してみましょう。
2013-07-15 18:37:13@kinky12x08 自然科学において、理論が現実の現象を反映していれば、実験によってその妥当性を検証できるはずです。 ですがそこでも、実験の手法やデータ解析の恣意性の検証は問題になります。 その方法論を動ポモの検証に援用するなら、現実の現象の観測手法を分析する必要があるかと。
2013-07-15 18:41:31@kinky12x08 現実のオタクの行動は、どういったコンテンツをどのような媒体で消費しているかという客観的な事実と、何をどう受容したいかという主観的な事実に分析されます。 そして、主観的な事実は意識と無意識に分析できる。 ここを細かく論証してないのは粗といえば粗なのですが。
2013-07-15 18:45:52@kinky12x08 哲学の理論がどうやった検証法をとるのかは専門外なのでわかりませんが、法学の理論書では膨大な予想反論への再反論に多くの頁が割かれていたり、論理の破綻の指摘に対しては極めて神経質です。 ですがあの本はそうではない。だから、疑問を持つ人が苛立つのは当然でしょう。
2013-07-15 18:53:04@kinky12x08 少なくとも私は理論が現実を的確に分析していることを、現実の現象への部分的な妥当性と別の著作や言説から推定しています(理論が妥当しない現象に対する再反論の理屈は本の外部から調達している)。 その読み方云々については藤田直哉さんとのやり取りでも触れましたが。
2013-07-15 19:03:01@kinky12x08 他の人がなぜ支持するか、はわかりませんが、私は自分の設計を考える際のツールとして使えるか、という観点で見ています。オタクの消費行動の理論としてではなく。 だから、反論する批評家がより良く私の目の前の現実を説明できる仮説を提唱するのは大歓迎ですね。
2013-07-15 19:07:25