山本七平botまとめ/マルクス主義とインド的世界の対比/~「歴史は一方向に進み、それの進行は人間の意志で左右できない必然だ」と考える”旧約聖書的”世界観は、否応無く終末論と終末論的寡判に帰結する~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第五章 直線と回帰/マルクス主義とインド的世界の対比/152頁以降より抜粋引用。
2
山本七平bot @yamamoto7hei

①【マルクス主義とインド的世界の対比】マルクス主義の基本は、旧約聖書の世界観であって、インド的なものではない。 一言でいえば、セム的である。 そして彼の批判は、西欧社会におけるインド的要素への排撃・批判という形になっている。<『存亡の条件』

2013-07-10 17:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

②従って彼が宗教と規定する面は、むしろこの面といってよい。 確かに、インド的世界は、彼の思想を政策的方法論として援用することはあっても、彼の哲学をそのままに受け入れることはあるまい。 従って、彼においても歴史は一方向に進み、それの進行は人間の意志で左右できない必然である。

2013-07-10 17:57:52
山本七平bot @yamamoto7hei

③こういう考え方は否応なしに終末論と終末論的審判に帰結する。 従って資本主義は必然的に終末を迎え、革命という審判を迎えるのである。 そして、これが必然であるがゆえに、資本主義体制下での現時点に生きる人びとも、その終末を現在に還元し、それに規制されて生きることになる。

2013-07-10 18:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

④従ってこの生き方に徹底すれば、その人は、現世(今の時間のこの世界)に生きず、来世(来たるべき歴史的未来の世界)に生きていることになる。

2013-07-10 18:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤もちろんこの来世を死後と規定すれば宗教的で、歴史的未来と規定すれば科学的といえる根拠はどこにもなく、いずれも古代から、人間がそれぞれの文化に従って生きてきた生き方にすぎない。

2013-07-10 19:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥この生き方は、いずれにせよ、まことに一元的・一方向的であり、本気でこの生き方をして、その人が、真実「終末に生きる」なら、第二章のゼロテ(註:熱心党/ユダヤ教の過激派)のような生き方をせざるを得ない。 そしてこのゼロテが最も軽蔑したのが、インド人乃至はインド的生き方であった。

2013-07-10 19:57:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦マサダの指導者ベン・ヤイルの自決直前の演説に 「…我々はインド人よりも劣った考えをもつ事を恥ずかしく思わないのか。 そして全人類からこれほど望まれ、模倣されているわが国の法律に対し、我々は自らの卑怯さによって下劣な非難を招く事を恥ずかしく思わないのか…」 というのがある。

2013-07-10 20:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧また彼は、自分達がローマに敗れたのでないし、自分達が誤っていたのでもないとして 「君達は、君達の現在の状態が、自らのせいであると考えても、また、我々と彼らとの戦争が、我々にとってかくも破壊をもたらした真因はローマ人達であると考えてもならない。(続

2013-07-10 20:58:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨続>これらの事は自然に起きたのではなく、より力強い原因が働いている」と。 即ち、人間の力ではどうにもできない一つの絶対者の意志、いわば「必然の帰結」と彼は述べているのである。 そして恐らく、この考え方は、今の日本人には、インド的考え方よりもアッピールするであろう。

2013-07-10 21:27:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩だがしかし、このユダヤ戦争の後に多くの歴史家が記す様に「ユダヤ教は無毒化」したのである。妙な言い方だが人類の歴史の毒ではあり得なくなった。 これは簡単にいえば、マルクス主義の前途を示している。 マルクス主義はいずれ無毒化され、新しいインド的世界の中に溶解されてしまうであろう

2013-07-10 21:58:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪だが、思想が溶解され吸収されてしまうことは、その民族が消失することではない。 一体この無毒化とは何であろう。 彼らの無毒化は、一種の転移にすぎなかったといえる。

2013-07-10 22:27:53