海の男の物語

帝国海軍に属し、戦中を生き抜いた一人の男がいた。 彼の記した自伝を孫が読み呟く…… いま人気の艦これに登場する艦船の名前も出てきます。 乗員の生の声は貴重ですね。
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SONE @SONE_99

祖父のアイデンティティは、死ぬまで「海軍兵」だったようだ。80の時に書いた自伝の大半は海軍時代で占められ、その後の自衛隊時代、会社員時代は「充実してなかったし面白くもなかった」ようで、サラッと流されている。

2013-07-14 11:18:43
SONE @SONE_99

海軍兵時代の記述は興味深い。ぺーぺーの頃、上海陸戦隊で上海事変の渦中にあった際「二階級特進して二等水兵じゃやってられん」「こんな激しい戦闘やってんのに、フランス租界じゃネオンサインがついている」という生の恨み節が読める。

2013-07-14 11:26:11
SONE @SONE_99

太平洋戦争開戦を迎えたのは、軽巡五十鈴搭乗時。「このような老朽艦に乗って開戦したくなかった」という実に正直な気持ちが読める。香港攻撃時には敵砲台の威力にビクビクしていた(この砲台、占領・上陸してみたら旧式もいいところでビビり損であったとある)

2013-07-14 11:34:35
SONE @SONE_99

祖父の軍歴の中で、どうも拘りがあるようなのが最後に一年ほど乗艦した愛宕時代だ。ただこの愛宕では、祖父はマリアナ、レイテと負け戦しか経験していない。

2013-07-14 11:43:01
SONE @SONE_99

マリアナでは「敵の攻撃で大きな水柱が立ち、それが晴れて無事な僚艦の姿が見えるとホッとした」とある。

2013-07-14 11:48:26
SONE @SONE_99

マリアナ沖会戦は日本の航空戦力がとどめを刺された戦闘だ。これについて「空母がいると頼もしい。ただ艦載機乗りの練度は低いようだ」ともある。祖父の軍歴(砲術関係メイン)で艦載機乗りの出来不出来って解るもんなのかな。

2013-07-14 11:53:25
SONE @SONE_99

レイテでの愛宕轟沈は、この自伝のクライマックスと言ってもいい。魚雷直撃後、「測距室の天窓を空けていたので、盛大に黒い重油混じりの海水をかぶった」とある。

2013-07-14 11:58:39
SONE @SONE_99

祖父は艦を脱出し、泳いで僚艦の岸波に救助されることになる。岸波からのロープに捕まるが、あまりに大人数で重さのあまり岸波の乗員が離してしまう。ロープに続いて投げ入れられた消化ホースを体に巻きつけて引き上げてもらい(自力でよじ上る体力は残っていなかった)九死に一生を得た。

2013-07-14 12:03:26
SONE @SONE_99

同様に救助された栗田提督を大和に移乗させるために、岸波がエンジンを始動する際、祖父は海面から「(置いて)行くのがわ」という叫びを聞いている。

2013-07-14 12:07:47
SONE @SONE_99

この二度の会戦で生死を共にしたからこそ、祖父は愛宕に特別な思い入れがあったようだ。祖父の家には愛宕のアルバムがあり、自分が大和の次に名前を覚えた軍艦は愛宕だった。

2013-07-14 12:11:15
SONE @SONE_99

そんな祖父だが、母親をボーナスで伊勢参りに行かせている。控え目に書いてあるが、ちょっぴり誇らしさが滲み出ているように感じる。

2013-07-14 12:14:40
SONE @SONE_99

その後は愛宕の残務処理やら、横須賀で対空砲台の指導員などをしながら終戦を迎える。復員して食い扶持のために警察予備隊(陸自)に入隊。この時タイミングが悪く、海自からの招待状(幹部待遇)を受け取れず応じられなかったことは生涯の悔いとなったようだ。

2013-07-14 12:26:23
SONE @SONE_99

戦後はこの自伝でもスルーされた部分なので、本当にどうでも良かったのだろう。北海道の偵察基地に長く勤務したが、実際ただの「仕事」だったようだ。

2013-07-14 12:29:54
SONE @SONE_99

海自に行けていたら後半生をもっと誇らしく生きられたのに、という声が聞こえてくる。祖父は英雄でも豪傑でもなく、そういうところのある等身大の人間だったのだと、しみじみ思う。

2013-07-14 12:33:07
SONE @SONE_99

今度、祖父を偲びながら、横須賀(祖父は軍歴の多くの期間を横須賀で過ごしている)で縁の地を訪ねようと思っている。ほとんどは米軍基地になっていると思うが。

2013-07-14 12:38:42
SONE @SONE_99

そういや自伝ではサラッと流されてたけど、潜水母艦剣埼に乗ってたのは今見るとレアかもしれない。祥鳳に改装される前の短い期間なんで。

2013-07-14 12:57:51
SONE @SONE_99

ウィキペによると愛宕の乗員の何人かは大和でその後の戦闘に参加したとあるけど、自伝では「居候となった」で済まされてる。祖父の役職(測距)だと人手が多すぎても困りそうだし、たぶん本当に居候だったんだろ。

2013-07-16 16:45:12