【所縁の地】京と攝津で源氏充してきた(+川西の呉服神社など)
- Shigetada_bot
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いやあ、京が混んでおった…宿が無いので一度難波に撤退する…今日はようやく能勢電に乗ったし三条河原にも行った… http://t.co/CxygeJo1bc
2013-07-06 23:18:28京に立ち寄って来た、というか結局毎月一度は行っている気がするが、自由な時間がなくてな。久々に、自分の懐かしい史跡や、また伊丹空港の近くの多田神社など、源氏関連史跡に足を伸ばしたぞ。ついでに攝津は池田の神社にも行った。
一応、私にとってもこの辺りは一ノ谷の合戦での行軍で西国街道などを通っており、我らや義経殿などに関する史跡もあったりする地域なのだが。
そして、その日京では偶然にも木曾殿上洛に合わせた次男サミット前夜祭が開かれておった。
ということで、前夜祭前後に自分に所縁の現若宮八幡宮と建仁寺(頼家さまの創建であり、私が造営を担当している→が、完成は元久二年。私も頼家さまも完成を見ることはなかったのだが…)に行ってきた。
この地図4の若宮八幡宮は、近所の人が建てたものだそうだ。RT @sukemori_t: 風俗博物館を少し北に行くと「左女牛井跡」の碑があります。ここぞKGの本拠地、800年前KGが住んでいた六条堀河館内の左女牛井の跡といわれています。 http://t.co/yHVhMT8ETJ
2013-07-08 23:56:45その六条醒ヶ井の若宮八幡宮は応仁の乱で荒廃、のち三回ほど再建、移築がされ、最終的に家康が現在の東山の五条坂に移築。そこに行ってきた。…そして清水焼の街であるからと昭和からは陶器の神様も合祀、いまは陶器神社とも言うそうだ。 http://t.co/m1JwhDyQsX
2013-07-08 23:58:17でも何気に足利尊氏奉納の蓬莱石や、義満寄進の手水鉢がある。本殿は八月の陶器祭りの時に公開されるらしい。ちなみに私は建久年間の頼朝さま上洛時の参詣に同行している。まだ六条にあった時で、石清水八幡宮とセットで行ったな。
2013-07-09 00:01:04ちなみに、石清水八幡宮の新宮という意味での若宮であり、深い繋がりがある。なので石清水八幡宮の新輿が京へ渡る時には必ず若宮八幡宮の社頭に奉安された。
2013-07-09 00:05:23ちなみに陶製の狛犬は、宇佐神宮型とのことで(見えないが)右に獅子がいる。左に角のある狛犬。陶器祭りにくれば近くで見られるらしい。 http://t.co/LFTPw4wyj5
2013-07-09 00:13:43史実上で私は、頼朝さまの上洛の際に旧若宮八幡宮への参拝、石清水八幡宮への参拝に随行しているのが、吾妻鏡などにも見られます。
そして京に来る前に少し攝津をまわってきましたぞ。まずは清和源氏発祥の地と言われる、多田院(多田神社)へ。
ちなみに、多田神社にも参拝してきた。もちろん源氏祖廟の地として、であるが。しかしこの辺りは、西国街道から能勢街道も通り(最寄りは能勢電の多田駅)、個人的にも気になる。一の谷行く時、通ってるよね、かなり近く…… http://t.co/8Hc0mYiPDp
2013-07-09 00:20:54あと、ほんの少し下ると緩やかになる猪名川が、この辺りだとまだ渓流の勢いを残していて、なかなか良い風情だ。 http://t.co/N9nAjtt0Pv
2013-07-09 00:22:50あ、ちなみに猪名川は猪名津彦の名が元なんではないかな。呉服神社やらに縁の深い。多田銀山の土地でもある。 http://t.co/4LqUysMh1w
2013-07-09 00:27:36多田神社の桧皮葺は、見事だよな。さすがにりっぱだと思う。そして、笹竜胆の隣には葵の御紋が並ぶのは勿論、自称子孫の四代目家綱が再建したからですぜ。新田さんところと同じ! http://t.co/yvtbANr8Va
2013-07-09 00:33:19ちなみに多田神社の社殿隣には、最近のものだが立派な神馬舎がある。美しい……帰りにまた見にきてしまったぞ。祭りや神事では扉が開かれる。 http://t.co/dMZkqbFnSM
2013-07-09 00:58:51そうそう、多田神社にある唐椿。これ、立札読んだら多田院時代の檀家であった薩摩島津家による寄進だとあった。ん? あれ? 初代島津忠久……落胤説……? もしや源氏アピール? http://t.co/beG577P3uF
2013-07-09 01:13:10(一応、島津忠久の父は惟宗兄弟のどちらか、つまり秦氏系。母は比企の丹後内侍。烏帽子親は私、重忠。妻は私の娘となっているけどな)
2013-07-09 01:15:25多田神社の刀守は源氏重代の宝刀、鬼切丸(酒呑童子を斬ったからか)を模したものだ。多田院に伝わると聞いているので、お目にかかれんものか。 http://t.co/OpQrnejwV0
2013-07-09 01:25:42多田神社と言えば、何故かものを尋ねる度に、頭を下げるからか烏帽子を落としまくる宮司さんがな……初々しかったな(広報室の方の容保さんに似ていた)。行き届いた、清潔で無駄な飾りのない良い神社であった。 http://t.co/VNpjcApKU0
2013-07-09 02:08:30そして清和源氏の祖と言えばこのお方。
江戸期に上方で作られたいろはかるたの「た」には、「ただのまんじゅう(多田満仲) 武士のはじまり」と書かれておったそうだ。これは徳川家康が源氏を出自とし江戸幕府を開いた事に対し、上方の人達が源氏の起源は摂津に在るという事を強調したのだという。
2013-07-09 08:11:32六孫王 @Rokusonnou
清和源氏の祖、源経基さま。皇籍時代に第六王子として六孫王を名乗ったと言う。承平8年武蔵介となり坂東へ下向している。この際に平将門と対立、京へ戻る。嫡男の源義仲によって建立された六孫王神社が京都にある。
六孫王嫡男の源満仲さま居館であったのが、多田院の始めだな。鴻巣の館跡は調査が進むのを望むぞ。RT @nekorapper 多田神社は源経基の子孫??吉見町隣の鴻巣市に源経基館跡が地味に有。酒呑童子の家来、茨木童子の腕を切り落とした渡辺綱の生誕地や安達盛長の館跡&入道姿の木像も(略
2013-07-09 08:46:17渡辺綱は嵯峨源氏の源融の後胤、源満仲娘の子息で父の代からの武蔵守。頼光四天王であるのだよな…あの辺りの話は一度整理したいなぁ(京の源氏各流の話はちゃんと把握していないのだ)。あと茨木童子は女子であり酒呑童子の妻? であったとも言うよな。 @nekorapper
2013-07-09 08:50:28