山本七平botまとめ/「戦前の現人神としての」天皇は”仏像”だった/~偶像化して感情を移入し、臨在感的に把握することしかできない日本人~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第六章 虚構と偶像/絶対者に対する信仰が崩れる時/161頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【絶対者に対する信仰が崩れる時】この点、戦前の天皇制には実に面白い面がある。 それは天皇は偶像であり、当然のことだがそれは仏像の如くに感情移入の対象であり、従って、天皇が自分の意志で決断を下して何かをするであろうなどとは、だれも信じていなかったことである。<『存亡の条件』

2013-07-11 15:57:49
山本七平bot @yamamoto7hei

②それは仏像がそうする事はあり得ない如く、絶対にあり得ない事であった。 従って無謬性寄託の対象であり得たわけである。 天皇を対立概念で把握するなどという事は誰も考えなかった。 否、今でも、天皇を対立概念で把握するとは、具体的にどういう状態なのか理解しえない人もいるであろう。

2013-07-11 16:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

③いうまでもなく、その対立は、天皇制下に、数として表れる――言いかえれば「陛下の野党」ができるのが当然、 そうならなければ、天皇という対象を把握していない証拠だとする考え方だが、そういう考え方は到底起こりえない。

2013-07-11 16:58:02
山本七平bot @yamamoto7hei

④前に記した二・二六事件のときの、大変に興味深い軍隊内エピソードには、当時の陸軍には、天皇が自分の決断、自分の意志で、自ら行動を起こすだろうと思った人間は一人もいなかったというのがある。 それは、仏像にそういうことがあり得ない如くに、あり得ないことであった。

2013-07-11 17:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤従って、天皇が自ら意志表示をしたと知ったとき、彼らが何よりも驚いたのはこのことであった。 これは考えてみれば当然であって、感情移入に基づく臨在感的把握は、人間をも、偶像という物質同様、自らの意志をもたずに感情移入の対象になってくれると、信じ込んでしまうわけである。

2013-07-11 17:57:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥これがいわば、現人神の意味内容であろう。 さらに興味深いのは、以後陸軍は、表面的にはともかく、その内心では絶対に天皇を信じなかったという。 これも当然であって、仏像が勝手に歩き出しては、人はこれを、信仰の対象とするわけにはいかないからである。

2013-07-11 18:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦従って、天皇とて、自らの意志で行動しうる対象であると気づいたときには、もう、絶対的信仰の対象にはならなくなってしまうのである。 臨在感的把握とは、常にこの形にならざるを得ない。

2013-07-11 18:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧これは常に同じことであって、たとえば毛沢東でも一時のアメリカでも、これを偶像化して感情を移入し、臨在感的に把握していたところが相手が一方的に自分の意志で動き出すと、急に、みなが不信感を抱き出す。 いわば対者との「平和」が崩れてしまうのである。

2013-07-11 19:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨従ってこの世界には「平和=契約」などという関係はもとよりあり得ない。 何回も述べるように契約とは「対者と自己」を自己の中に対立概念として把握している平和であり、 一方、臨在感的把握は、対者に自己を没入させた「神人合一」的な平和だからである。

2013-07-11 19:57:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩そしてこの際は自己も「無」である事が要請される。 そしてわれわれは、対者の意志によって、その臨在感的把握が崩壊したときに、これを自らの内心の問題として心理的に処理し、その処理した結果に基づいて再び対者を臨在感的に把握しなおすという、一種の、断続的関係で対者を把握している。

2013-07-11 20:27:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪いうまでもないが、この把握の仕方は、実は、セム的でも歴史的でもないのである。

2013-07-11 20:57:58