2013年7月22日

山本七平botまとめ/日本と西欧で異なる正統・異端の規定/~歴史を「史料として」ではなく、「経典・偶像として」捉えてしまう日本人~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第六章 虚構と偶像/正統・異端論争の分岐点/165頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【正統・異端論争の分岐点】偶像化とは神格化である。 そして一番神格化されやすいのが過去の歴史上の人物であることは否定できない。<『存亡の条件』

2013-07-12 02:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

②この点、旧約聖書に実にみごとなぐらい徹底して神格化を排除し、すべての教祖的人物を、あらゆる矛盾を自らのうちに含む存在として、対立概念をもって捉えているのである。

2013-07-12 03:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

③そしてその方法は、簡単にいえば、前に述べた歴史教科書の編集方法とほぼ同じであって、相矛盾するさまざまな資料の層を、その矛盾を調整することなしに、また、矛盾を消すことなしに、しかも一定の史観のもとに、編集しているのである。

2013-07-12 03:57:49
山本七平bot @yamamoto7hei

④そしてその史観の底にあるものが、歴史が一方向に、必然をもって進むという、救済史史観を基にしているわけである。

2013-07-12 04:27:38
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤こういう形の対象把握が歴史的把握であっても、皇国史観絶対を一瞬にして消去して人民史観絶対とすることは、歴史的記録への臨在感的把握であって、少なくとも、セム的な歴史把握とはいえず、それは過去を現在化したインド・アリアン的把握といった方がよいのではないかと思われる。

2013-07-12 04:57:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥これでは、どのようにしようと、それは神話であって歴史ではない。 私が、日本には歴史的把握がないと言ったのは以上の意味である。 そして、この一見歴史的把握のように見える、史料の臨在感的把握と偶像化が、実は、我々の特徴であって、この点、第二章の民族の滅亡と我々は同じではない。

2013-07-12 05:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦そしてこの差を明確に表すものが、われわれに「歴史的現在」といった把握の仕方がないことである。 前述の「ババタの書類」がいかに古いとはいえ、それは、旧約聖書より新しく、新約聖書の大部分よりはるかに新しいのは事実である。

2013-07-12 05:57:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧そして、二千年から三千年の昔にわたるこの文書を、彼らは、今の時点で、日々の読書として読んでいるし読み続けて来たという事実である。 二千年前の規範を規範とすることが停滞なら、これ以上ひどい停滞はあるまい。 しかし彼らはこれを、一つの「歴史的現在」として読んでいるのである。

2013-07-12 06:27:38
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨本を読むということは、一つの臨在感的把握である。 それは、その編纂が歴史的だからという理由で歴史的にはなりえない。 では、これをいかに読むか。 いうまでもなく「経典」とは常に現在のものであり、過去のものとして読めばこれは史料にすぎない。

2013-07-12 06:57:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩史料としてそれを読むことは、経典的にそれを読んでそれから影響を受けることとは全く違うのである。 …では、これをあくまでも「現在のもの」として読んでよいのか。 実はこの問題は、初代キリスト教徒の正統・異端論争に出てくる問題なのである。

2013-07-12 07:27:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪現在のものとしてその文書を絶対化すれば、それは文書自体が偶像化され、完全にそれは拘束される結果となり、拘束されればされるほど、立派な信徒になる。 だが、彼らは、そういう立派な信徒を逆に異端と考えたわけである。

2013-07-12 07:57:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫なぜならそれは文書に対する自己の感情移入であって、もしそうなれば、その文書が絶対化されてしまう。 しかし、文書は歴史的産物であり、従って、絶対化すればこれを逆に把握できなくなってしまうからである。

2013-07-12 08:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬極端な例をあげれば、朝に夕にお経をあげることは、その「あげること」の絶対化に基づく対象への感情移入にすぎず、その経典の内容を理解していることとは別だからである。 従って、このような形の最も熱心な信徒は逆に異端とされてしまうのである。

2013-07-12 08:57:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭ではどのように把握すべきか。 それはあくまでも歴史的文書であり、イエスは、過去において史上に存在した一人物として把握し、その歴史的な一人物を歴史的背景のもとに捉えて、自己はその歴史的対象と、相対して、現在の自己の歴史位置でそれを把握しなければならないのである。

2013-07-12 09:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮そしてそのように把握させる為、あらゆる記述は常にその歴史性が強調される。 この伝統は勿論旧約聖書からの伝統であって、人は常にそのような把握をしないと、あらゆる対象は結局、臨在感的把握の対象かもしくはその把握の手段と化してしまうのである。 お経を読むのは典型的な一例であろう。

2013-07-12 09:57:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯だが、わが国にはこういう伝統はなく、日本の異端はむしろ逆であって、臨在感的把握の対象に「歴史」をもち込むことを禁ずる形になっている。

2013-07-12 10:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰前にこのことを熱心さで知られる仏教のある派に話したところ、 「歴史的説明などをされたらシラけてしまって、到底信心などはできなくなる」 ということであった。 従って、正統・異端の規定はむしろ逆転しているといえる。

2013-07-12 10:58:02

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