シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」

シンポジウム「宗教と公共性ー神道と宗教復興」(国際日本文化研究センター)に関する、宗教学者 島薗進氏の連続ツイートをまとめました。
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島薗進 @Shimazono

1シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」(国際日本文化研究センター)。昨日、21日は磯前順一氏のイントロ、青野正明氏「植民地朝鮮と国家神道」、片岡耕平氏「神国思想と穢れ」、寺戸淳子氏「弱さと共同体」、鈴木岩弓氏「被災地と公共性」と充実した討議。

2013-07-22 09:09:52
島薗進 @Shimazono

2シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」「公共性」の多義性が問われる。まとめの討議者、川村覚文氏は、アレント、ハバーマスらの公共性概念が前提とする「選ばれた人が構成する公共性」を、排除される人々へと開いていく政治思想上の鍵概念を「承認」に求める。

2013-07-22 09:10:42
島薗進 @Shimazono

3シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」寺戸淳子氏はカトリックの伝統の中から立ち現れてきている新たな共同性に注目。ルルドの巡礼やラルシュ(ジャン・バニエが創始した知的障害者支援の共同体)に見られる、排除される者が開く共同性は公共性の再考にも示唆的ではないかと。

2013-07-22 09:11:27
島薗進 @Shimazono

4シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」鈴木岩弓氏は東日本大震災の支援活動が日本の宗教集団に新たな「公共性」の次元を開いていることを示す。「臨床宗教師」が模索されているか、特定宗教の枠を超える支援のあり方は、宗教がはらむ排除の機能を引き下げようとするもの。

2013-07-22 09:11:56
島薗進 @Shimazono

5シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」これは「政教分離」を経たことによって可能になっているというのか従来の理解(伊達聖伸氏)だが、では「政教分離」と公共性はどう関わるのか?これは22日で焦点化するだろう課題だが、21日も神道、国家神道においてどうかが問われた。

2013-07-22 09:12:23
島薗進 @Shimazono

6シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」青野氏は植民地朝鮮での国家神道と宗教の公共的機能について、1935年に総督府が「宗教復興」を打ち出し宗教性を含みこんた国家神道を広めようとしていった経緯を述べた。「心田開発」運動というもの。国家に奉仕する宗教の像。

2013-07-22 09:13:01
島薗進 @Shimazono

7シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」朝鮮では神社神道を含め、宗教に帝国への統合に貢献する機能が強く求められた。内地でも同様の動きがあったが、朝鮮ではとくに宗教への期待か高かったか?それは学校を介しての統合が遅れたことと相関するのでは?これは私の感想。

2013-07-22 09:14:07
島薗進 @Shimazono

8シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」片岡氏は「神国」思想と「穢れ」の観念の系譜についての新たな知見に基づき、朝廷周辺の神祇信仰における排除の傾向が10~14世紀に定着していることを示す。明治維新の主導思潮となった皇道論には他宗教を包摂する傾向があるが

2013-07-22 09:14:40
島薗進 @Shimazono

9シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」それは国家統合の優位のもとで、諸宗教を抱き込むもので、そこに排除の傾向が伴うが、国体論は「すべてを包摂する」という前提を持ち込みがちだった。これも私の受け止め方。以上の討議を通じて、日本での公共宗教の時期区分か問題。

2013-07-22 09:15:08
島薗進 @Shimazono

10シンポ「宗教と公共性ー神道と宗教復興」1945年に国家神道か解体し、完全な思想・信条・信教の自由が達成されたということになっているが、政権政党が国家神道を押し出そうとする姿勢を持って木だとすればどうか。そうした状況のもとでの宗教と公共性のあり方をどう捉える?22日に継続。

2013-07-22 09:15:58