7月23日・高嶌さん連投
@TAKASHIMA724 私は、それほど出来た人間ではなく、感情で動いてしまう事が多々ありますm(._.)m さっきのはその一列でした。
2013-07-22 16:30:34内田さんからこのツイート→https://t.co/K7Et9L3mNF を頂いたことをきっかけに,感情と論理の関係を考えてみました。
2013-07-23 01:20:12私見では,人間と感情は切り離せません。切り離せると思いこんでいる人がいるとすれば,それは人間という存在への洞察不足です。
2013-07-23 01:21:37むしろ,感情に基づく率直な言葉こそが,その人柄を表し,本当の会話や信頼構築のきっかけとなりえます。たとえば,内田さんのツイートは,内田さんの正義感に基づいていることが分かるからこそ,安心感を産み出すのです。
2013-07-23 01:23:04感情を率直に表すことによってこそ本当に分かりあえる場合があることは,今回の選挙のみならず,他者に心を開いた経験がある人ならば実感できると思います。
2013-07-23 01:23:47そこで重要なのは,感情を否定することではなく,自我と感情は切り離せないということを常に意識することではないかと思います。そのような内省があれば感情は暴走しません(ネット上では相手が見えないので相手の言葉だけに過敏に反応する結果,そのような内省を保つのは難しいのですが)。
2013-07-23 01:24:48他方,適切に用いられた論理は,確かに感情の暴走を止める役割を果たすことがありますし,客観的に事実を見るために役立つこともあります。
2013-07-23 01:25:30しかし,論理的であることが常に正しいわけでもありません。まず,論理が一定集団の利益を確保するために用いられるのは日常茶飯事です。これについては,実例を挙げるまでもないでしょう。
2013-07-23 01:26:52さらに,自分の不安や憎悪,道徳観を正当化する目的で論理が用いられる場合,論理は感情の暴走を止められません。
2013-07-23 01:29:38あくまで私の推察ですが,学者や専門家が使う「論理的」「科学的」という言葉の裏側に,自分の感情や道徳観を正当化したいという感情が隠れていることは少なくないと思います。
2013-07-23 01:30:05もちろん,内心の事柄ですから直接の証明はできませんが,このような推察は,ある程度事実に合致していると考えています。
2013-07-23 01:30:47実際に,自分の主張を通すために,詭弁やわら人形論,悪意の決めつけという論理(論理といえるか怪しいですが)を使っている人もいるからです。
2013-07-23 01:30:56本当に相手方の理解や相互理解を目指すための論理であれば,これらのまがいものを用いる必要はないはずです。
2013-07-23 01:31:45このような観点からみますと,もしある人のツイートの中で,差別者等の表現が用いられているとすれば,その表現は,その人の不安の裏返しである場合が多いと考えられます。
2013-07-23 01:32:58すなわち,相手方の内心を勝手に確定し,これを非道徳的,非論理的だと決めつけることによって,自我の安定を図っているということです。
2013-07-23 01:33:42先に述べたように,差別者等のレッテル張りを行うツイートの根底には共通して排除の論理があるのですが,洞察を一歩進めれば,それらのツイートの根底には,排除の論理に行き着かざるを得ないほどの発言者の不安があると思われるのです。
2013-07-23 01:34:156月19日・高橋さん&芦田さんの会話
科学者も、それが科学的事実だと信じていれば、デマの流布が許されるんじゃないのか。 QT @HayakawaYukio 定量的で論理的な人は科学者です。定性的で感情的なひとは宗教家です。宗教家なら、反社会的実力行使がないかぎり、デマの流布が許されます。
2013-06-19 00:51:50で、論理と感情を対立するものとして、一つの軸上の置いているようだ。単純だなー。RT @HayakawaYukio: 「定量-定性」の軸は「論理-感情」の軸と言い換えたほうがわかりやすいかもしれません。
2013-06-19 01:02:27人は論理も感情も操作できる。論理的に見える(実際、論理的である)言動が、実はある感情から発した欲求を果たすために、論理を操作しているものだったり。逆に、感情的に見える言動が、合理的な利益追求のために、あえて感情的に振る舞っているものだったり。 @HayakawaYukio
2013-06-19 01:08:09かつ、そこでの"見える"という時に、そう"見ている"のは他者だけではなかったりする。自己を「論理的である」と"見ている"人が感情の虜だったり、あるいは、その逆だったり。 @HayakawaYukio:
2013-06-19 01:08:49そもそも、論理的でない(非論理的な)言動や行動というのは、感情的と表現されるようなものだろうか? 誰かが突然、意味不明のことを叫んだとして、それが「感情的」だと判断できるだろうか? @HayakawaYukio
2013-06-19 01:16:46センセの場合は、自分自身は感情を排して論理的な人間であると考えているようだ。一方で、論理的ではなく、感情的な人々がいるとも。ところが、センセはその「感情的な人々」の思考を実に合理的に説明したりもする。 @HayakawaYukio
2013-06-19 01:17:41