山本七平botまとめ/日本的「善玉・悪玉」の世界がもたらす”物神化”と被拘束現象/~善人なし、悪人なし、いるのは「善悪人」だけのプロテスタント社会~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第六章 虚構と偶像/日本的な〈正統・異端〉考/168頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【日本的な〈正統・異端〉考】こういう問題は是非善悪の問題ではないが、もしわれわれがこれを克服しなければならないなら―― もちろん、鎖国して、文化的衝撃を防いでいけるならその必要はないが、これらの点を一体われわれは、どう克服すべきであろうか。<『存亡の条件』

2013-07-12 11:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

②これがプロテスタント社会なら、問題は非常に簡単であるともいえる。 というのは一人の人間をたとえば「善悪という対立概念」で把握する場合、そこには、善人も悪人もいなくなり、すべてが「善悪人」になってしまうからである。

2013-07-12 11:57:52
山本七平bot @yamamoto7hei

③「人間はすべて罪人である」 というプロテスタントの命題は、日本では徹底的に拒否されるが、もし人を対立概念で把握すれば、ここにいるのは各人は「聖罪人」であっても、「聖人」も「罪人」もいないという結果になるからにほかならない。

2013-07-12 12:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

④従って、一切の人間は相互に「自分は正しい」という事を許されず、その上でなお「自分は正しい」と仮定し、言論の自由は全てその仮定の上に立っているからである。 従って、ある日本の評論家が「多数決が正しいという証拠はない」とか「真理は少数にあり」とか言った事を、彼らは非常に驚く。

2013-07-12 12:57:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤絶対的な「正」というものが存在しないから「多数決原理」があり、多数決と少数の存在を対立概念で捉えているから、それは実体が捉えられているわけであって、絶対的な「正」があるなら、多数決はもとより必要としない。

2013-07-12 13:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥それは論証の世界であり、幾何学の証明や事実の有無は、対立概念で把握すべき対象ではないから、もとより多数決の対象ではありえない。 ところがこのわかり切ったことが、日本では通用しないのである。

2013-07-12 13:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦いうまでもないことだが、たとえば政治における与党と野党は、各人の中にある「与党性と野党性」が、数に還元されて表現されているにすぎないはずである。

2013-07-12 14:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧これを逆に見れば、与党の中には党内野党があり、その党内野党の中にまた野党があり、その中にまたそれの野党があるという形になっていて、最終的には各人内の「与党性と野党性」の中に還元されてしまう世界のはずである。

2013-07-12 14:57:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨人間ことごとく罪人という言い方をこれにあてはめれば、すべての人間は野党性をもち、「義人なし、一人だになし」を援用すれば、「完全与党人なし、一人だになし」の世界のはずである。

2013-07-12 15:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩人がもしこの前提を崩して、与党なり野党なりを臨在感的に把握してこれを絶対化したら、それは、伝統的な日本的「善玉・悪玉」の世界になり、全体を対立概念で把握できなくなるだけでなく、与野党のそれぞれをも、対立概念で把握せずに絶対化しなければならなくなる。

2013-07-12 15:57:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪またそういう見方で世界を見ていけば、世界もそのように見え、企業を見れば企業も、公害を見れば公害も、全てそのように見えてしまうであろう。 そして、対象を臨在感的に把握し、その把握を絶対化すれば、それは物神となり、今度は逆に自分はこの物神に支配されて動きがとれなくなってしまう。

2013-07-12 16:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫これが、日本において、戦前・戦後を問わず、常に起こっている現象である。 そして人はその被拘束現象を苦々しく思いつつも、これから逃れることはできないのである。

2013-07-12 16:58:06