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子鬼 @tak_konn
真実が何かを「科学的な見解」で代表させてしまうなら、幾らでも言い逃れができるし、それは公害を巡る歴史の教訓から引き出せるわけですけどねぇ。。
子鬼 @tak_konn
「事実」が真実に向かう道標となれないのなら、何の価値があるのだろう?「事実」そのものがどういう視点から得られたものかを勘案しなければ、道を誤る原因になるだろう。
山本夜羽音♋️革命的普遍主義者に転向します @johanne_DOXA
@tak_konn 食品汚染について、飲み屋で議論してみました。太郎さんの認識は残念ながら、素朴な疑問のレベルを超えるものではなかった。それでも、知らない事実に対して聞く耳持たない、という態度ではなかった。まだ、間に合うと思いたい。
子鬼 @tak_konn
「理解レベルの高い人」が100bqの件にしても廃棄物クリアランスと食物の基準で比べるなとか詭弁を言うんですから、錯綜しますしね。。RT @johanne_DOXA : 食品汚染問題はナイーブな問題だと認識しています。イエスかノーかとかリスクがあるかないか、というのは、理解のレベル
山本夜羽音♋️革命的普遍主義者に転向します @johanne_DOXA
@tak_konn はい。「意識高い人」が必ずしも「低線量被曝」について定量的な実証を背景に語れるわけでもないのに、「漠然とした不安」を抱える人の切実さを軽蔑したり嘲笑する態度に、本当に腹が立ちます。「放射脳」と揶揄する人が平気で昨晩の発言捏造に乗っかるあたりとか。
子鬼 @tak_konn
ですね。定量化できない事柄はより厳しい基準にするのが生産者・消費者の信頼関係を守ると思うんです。実際厳しくしても流通できるものが過半。RT @johanne_DOXA : 「意識高い人」が低線量被曝について定量的な実証を背景に語れるわけでもない//軽蔑したり嘲笑する態度腹が立ち
Jun Makino @jun_makino
鈴木寛氏に代表されるような「知性」というのは確かにあると思うんだ けど、それはやっぱり WSPEEDI の計算結果を「一般にはとても公表できない内容であると判断」するような知性なわけ。
子鬼 @tak_konn
被曝を心配する人々はネットの中では語り合える仲間がいても、現実場面では相手の考えを読んで言葉を選んでいたことだろう。だから「今は一人」と感じていただろうし、66万票で山本太郎が当選して「もうひとりじゃない」と思えたんでしょうね。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
内田さんからこのツイート→https://t.co/K7Et9L3mNF を頂いたことをきっかけに,感情と論理の関係を考えてみました。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
近時,感情と論理の関係に関していくつかのツイートがなされているようです。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
私見では,人間と感情は切り離せません。切り離せると思いこんでいる人がいるとすれば,それは人間という存在への洞察不足です。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
むしろ,感情に基づく率直な言葉こそが,その人柄を表し,本当の会話や信頼構築のきっかけとなりえます。たとえば,内田さんのツイートは,内田さんの正義感に基づいていることが分かるからこそ,安心感を産み出すのです。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
感情を率直に表すことによってこそ本当に分かりあえる場合があることは,今回の選挙のみならず,他者に心を開いた経験がある人ならば実感できると思います。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
そこで重要なのは,感情を否定することではなく,自我と感情は切り離せないということを常に意識することではないかと思います。そのような内省があれば感情は暴走しません(ネット上では相手が見えないので相手の言葉だけに過敏に反応する結果,そのような内省を保つのは難しいのですが)。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
他方,適切に用いられた論理は,確かに感情の暴走を止める役割を果たすことがありますし,客観的に事実を見るために役立つこともあります。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
しかし,論理的であることが常に正しいわけでもありません。まず,論理が一定集団の利益を確保するために用いられるのは日常茶飯事です。これについては,実例を挙げるまでもないでしょう。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
さらに,自分の不安や憎悪,道徳観を正当化する目的で論理が用いられる場合,論理は感情の暴走を止められません。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
あくまで私の推察ですが,学者や専門家が使う「論理的」「科学的」という言葉の裏側に,自分の感情や道徳観を正当化したいという感情が隠れていることは少なくないと思います。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
もちろん,内心の事柄ですから直接の証明はできませんが,このような推察は,ある程度事実に合致していると考えています。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
実際に,自分の主張を通すために,詭弁やわら人形論,悪意の決めつけという論理(論理といえるか怪しいですが)を使っている人もいるからです。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
本当に相手方の理解や相互理解を目指すための論理であれば,これらのまがいものを用いる必要はないはずです。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
このような観点からみますと,もしある人のツイートの中で,差別者等の表現が用いられているとすれば,その表現は,その人の不安の裏返しである場合が多いと考えられます。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
すなわち,相手方の内心を勝手に確定し,これを非道徳的,非論理的だと決めつけることによって,自我の安定を図っているということです。
TAKASHIMA Hidehiro @TAKASHIMA724
先に述べたように,差別者等のレッテル張りを行うツイートの根底には共通して排除の論理があるのですが,洞察を一歩進めれば,それらのツイートの根底には,排除の論理に行き着かざるを得ないほどの発言者の不安があると思われるのです。
子鬼 @tak_konn
私たちの感性と悟性が,こういう「感情的で不合理な議論」を乗り越えることを信じてやまない。https://t.co/Buiw1Dotqjhttps://t.co/CPHzSmI4vChttps://t.co/bwUP2hgLpt
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