「今日の科学者は結果的には大衆の典型であること」byオルテガ

ホセ・オルテガ・イ・ガセト著 桑名一博訳『大衆の反逆』(白水社)より引用 追記:こっちのまとめともリンクします http://togetter.com/li/543970
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もうれつ先生 @discusao

オルテガ『大衆の反逆』12章<「専門主義」の野蛮性>より引用: 今日の科学者は結果的には大衆人の典型ということになる。しかもそれは偶然のせいでもなければ、めいめいの科学者の個人的欠陥によるものでもなく、科学(文明の基盤)そのものが、彼らを自動的に大衆人に変えているからである。

2013-07-26 02:56:08
もうれつ先生 @discusao

続き)物理学の発展は、総合とは反対の性格を持った動きをひき起こした。科学を進歩させるために、科学者の専門化が必要とされたのである。ただしそれは、科学者の専門化であって科学そのものの専門化ではない。科学は専門分科的なものではないのだ。(続く

2013-07-26 02:58:48
もうれつ先生 @discusao

続き)もし専門分科的なものであれば、真の科学ではなくなってしまっただろう。~しかし科学にかかわる労働は(不可避的に)専門化しなければならないのである。(続く

2013-07-26 03:00:14
もうれつ先生 @discusao

続き)(引用者補足:研究者の仕事が斬新的に進歩していく歴史は)世代ごとに自分の活動範囲を縮小していかねばならないために、科学の他の分野や宇宙の総合的解釈との接触をしだいに失っていく姿である。ところが、宇宙の総合的解釈こそ、ヨーロッパ的科学、文化、文明の名に値するものなのである。

2013-07-26 03:02:04
もうれつ先生 @discusao

続き)「百科全書派」の第3世代がヨーロッパの知的指導権をとる1890年になると、われわれは、前代未聞の科学者のタイプに出会うのである。(続く

2013-07-26 03:04:02
もうれつ先生 @discusao

続き)それは、良識ある人間になるために知っておかねばならないすべてのことのうち、ただ一つの特権科学を知っているだけで、しかもその科学についても、自分が実際に研究しているごく小さな部分にしか通じていない人間である。(続く

2013-07-26 03:04:36
もうれつ先生 @discusao

続き)彼らは、自分が特に打ちこんでいる狭い領域の外にあるいっさいのことを知らないことを美徳だと公言するに至り、全体的知識に対する好奇心をディレッタンティズムと呼んでいるのである。(続く

2013-07-26 03:05:44
もうれつ先生 @discusao

続き)ところが、現実には、自分の狭い視野に閉じこもっている彼らが新しい事実を発見し、彼らがほとんど知りもしない科学を発展させ、それによって、彼らが意識的に知らずにいる思想の総体を発展させている。こうしたことがどうして可能であったのか、そしてまた現に可能なのだろうか?(続く

2013-07-26 03:06:33
もうれつ先生 @discusao

続き)ここで、次のような否定しがたい事実の奇怪さを強調しておく必要がある。つまり実験科学の発展は、その大部分が驚くほど凡庸な人間、凡庸以下でさえある人間の働きによって進められたことである。(続く

2013-07-26 03:08:26
もうれつ先生 @discusao

続き)そうなった原因は、新しい科学と新しい科学が指導し代表している文明全体のなかで、最大の利点であると同時に最大の危険ともなっているもの、つまり機械化である。 しかしこの事実は、きわめて奇妙な人間の一種族を生みだしている。(続く

2013-07-26 03:10:02
もうれつ先生 @discusao

続き)~彼は表面的な判断から、自分自身を「ものを知っている人間」だと考えるだろう。事実また、彼が持っている知識の断片は、彼が持たない他の断片と一緒になれば真の知識を構成するものである。これが、20世紀の初頭に極端に達した専門家の精神構造である。(続く

2013-07-26 03:11:45
もうれつ先生 @discusao

続き)専門家は自分が研究している宇宙の微々たる部分については実によく「知っている」が、それ以外のことについてはまったく何も知らないのである。(続く

2013-07-26 03:15:42
もうれつ先生 @discusao

続き)以前は人間を単純に、知識ある者と無知なるもの、多少とも知識のある者と多少とも無知なる者とに分けることができた。ところが専門家は、その二つの範疇のどちらにも属させることができない(続く

2013-07-26 03:18:05
もうれつ先生 @discusao

続き)専門家は知者ではない。というのは、自分の専門以外のことをまったく何も知らないからである。と言っても無知な人間でもない。なぜなら、彼は「科学者」であり、彼が専門にしている宇宙の小部分についてはたいへんよく知っているからだ。(続く

2013-07-26 03:19:07
もうれつ先生 @discusao

続き)そうした人間は自分が知らないあらゆる問題についても、無知者としては振舞わずに、自分の専門分野で知者である人がもつ、あの傲慢さで臨む(中略)文明が彼を専門家に仕立てたとき、彼を自分の限界に閉じこもり、そこで満足しきる人間にしてしまったのだ。(続く

2013-07-26 03:21:07
もうれつ先生 @discusao

続き)しかし彼の心のうちにある自己満足と、自分は有能だという感情は、彼をして専門外の分野をも支配したいという気持に導くだろう。(中略)彼は生のほとんどすべての場面において、特別な資格を持たずに大衆人のように振舞うこととなる。(引用終わり

2013-07-26 03:24:44