柄谷行人『日本近代文学の起源』の(さまざまな)始まり

備忘録的に、TLに流れていたツイートをまとめてみました。
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VivaRobert @y_sugamoto

@helpline はじまったばかりであり、私が『フェミニスト花田清輝』を出版した1996年においても、『批評」は研究の対象にはならない、と私を叱責する先生もおられました。ポスト冷戦構造以降、急速に海外の理論、批評を「日本近代文学」研究に導入され始めましたが、(続く)

2010-09-25 08:42:11
VivaRobert @y_sugamoto

@helpline それは、旧世代の研究者が、論破されたというのではなく、言い換えれば『制度」が「内在」的に乗り越えられたためではなく、彼等が年を取ったこと、「文学部」が、いっそうの外在的な危機に見舞われたせいだと、私は考えています。批評家にしても、実は江藤淳も柄谷行人も(続く)

2010-09-25 08:48:04
VivaRobert @y_sugamoto

@helpline 「周縁」ですが、アカデミズムから収入を得ており、純粋に批評家として、アカデミズムに寄生しなかったのは、花田清輝、吉本隆明ぐらいで、小林秀雄ですら教壇に立っていました。その点で、私は、アカデミズムで生業を立てていることに、やはり内心じくじたるものを感じています。

2010-09-25 09:24:58
VivaRobert @y_sugamoto

@helpline 話を『日本近代文学の起源』に戻します。私には、このテクストには、フーコーの影響をありありと感じますが、1995年の日本近代文学会の6月例会で、すが秀実が、柄谷本人から聞いたという前提で、ネタ元は、中村光夫『明治文学史』との格闘にあるということでした。以上。

2010-09-25 09:29:54
@ttt_ceinture

追悼文は未読のため憶測で言ってたのですが、やはりそうだったのですか。RT @shionkono 柄谷氏がイェールに行ったのは確かそういう経緯だったはず。江藤淳への追悼文で書いていた記憶が。 QT //イェールへの移行が江藤つながりの可能性//

2010-09-25 17:07:51
helpline @helpline

.@y_sugamotoさんに教えて頂いた柄谷行人『日本近代文学の起源』をめぐるお話が興味深かったので、リツイートしておきたいと思います。

2010-09-26 05:44:36
helpline @helpline

中村光夫『明治文学史』(筑摩書房、1963.1)→柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社、1980.8)→亀井秀雄『感性の変革』(講談社、1983.6)という流れですね。『感性の変革』と亀井氏の柄谷批判はどちらも話としては知ってましたが、結び付いていなかったので、読んでみます。

2010-09-26 05:56:28
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

柄谷さんの『起源』はやはりフーコーが一つ大きいですよね。インパクトとしてはパノフスキーや宇佐美さんの絵画論の方が大きいんだけれど。

2010-09-26 23:49:46
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

70年代は構造主義のブームがあって、日本では山口昌男や前田愛、網野義彦といった人たちが構造主義や記号論をベースにした切り口で、各ジャンルの議論を刷新しはじめる時期。フーコーが来日して吉本隆明と対談するのが、ちょうど『起源』が書き始められた78年かな。

2010-09-26 23:54:03
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

ただ、柄谷さんにとっては外からの影響云々で片付けられない点もある。彼の批評のスタンス(あるいは概念)は、60年代後半の大学時代以来、吉本や江藤の影響があって、疎外論批判を基調としていました。当時は廣松の物象化論(疎外論批判)が出てきたりした時期です。

2010-09-26 23:59:13
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

しかし第二批評集の『意味という病』の「マクベス論」(連合赤軍批判のつもりで書いたと本人が述べているエッセイですが)で、明確に述べているわけではないけれど、彼は構造主義批判に転じています。

2010-09-27 00:02:31
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

マクベス論の骨子は、《関係性の中で自己を演じている(ことを知っている)物象化論=構造主義的な人間であれ/であるがゆえに、けっきょく状況に巻き込まれる悲劇》です。ここで柄谷は、物象化論・構造主義批判を展開している。

2010-09-27 00:03:01
helpline @helpline

.@hspstclさんがまとめてくれたTogetter「柄谷行人『日本近代文学の起源』の(さまざまな)始まり」(http://togetter.com/li/54012)について、.@sz6さんが興味深い考察をツイート中です。

2010-09-27 00:05:53
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

でも柄谷さんは、本著の第二版あとがき(79)で「私はマクベスの最後から出発したかったのに、スタイルそのものが『マクベス論』の反復になってしまう」 と言い、その批判に致命的な欠陥があることを示唆することになります。

2010-09-27 00:06:51
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

彼は74年に「群像」に「マルクスその可能性の中心」を連載しているのだけれど、「マクベス論」(73年)の不完全燃焼感をいだきながら、75年から7年にかけてイエールに「脱出」する。

2010-09-27 00:10:36
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

そこで、ド・マンらに聞いてもらいながら(『マル中』のあとがきによる)「マル中」をブラッシュアップしながら大改稿したわけです。その出版が78年で、『起源』を書き始めた年に当たります。

2010-09-27 00:14:12
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

おそらく本書(雑誌連載1978年~80年、単行本化80年)で柄谷さんが行ったのは、(自己の)構造の起源を問うというもので、これこそが彼にとっての「マクベスの最後からの出発」=真の構造主義批判だったと言っていいように思います。このスタンスは「マル中」にも鮮明にあります。

2010-09-27 00:17:45
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

要は、ゲームのプレイヤーを気取っているマクベスたち(連合赤軍)を単に批判しても、それもけっきょく構造の一項(プレイヤー)として還元されるほかない。だからその構造の条件である起源そのものを執拗に問うこと。これがこの時期の柄谷さんの課題でした。

2010-09-27 00:25:47
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

のちの「形式化の徹底」や「他者」理論もその一ヴァリエーションといえなくもなく、その意味ではいわゆる柄谷モードというのはこの時期に確立されたといってもいいと思います。じっさい柄谷文体もこの時期でほぼ落ち着くんですよね。

2010-09-27 00:27:54
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

柄谷さんは本書を始めるにあたって、本書の内容とは直接関係のない、漱石の違和を導入しています。そこで柄谷さんは、構造主義と漱石を対比し、前者にはなくて漱石にはあるものに注目している。それは、自分が「(関係の一項に過ぎないのに)取替え不可能」だという意識(起源への執着)でした。

2010-09-27 00:35:00
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

『起源』はとかく「風景の発見」と「内面の発見」が注目されるわけですが、けっこう面白いのが、フロイトの影響を結構受けている、最後の章の「構成力について」です。

2010-09-27 00:42:51
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

ここで言っていることは、日本は西洋からきた近代文学史に囲い込まれているが、日本は西洋と比べると構成力が弱いので、私小説的なものと物語的なもののカウンターに常にさらされているということです。

2010-09-27 00:46:49
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

この議論は、のちの柄谷さんや「批評空間」界隈の日本精神分析(和様化論)や、美術批評の椹木さんの「日本=悪い場所」理論に繋がる論点です。

2010-09-27 00:47:43
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

私小説(芥川)も物語(谷崎)も構成力の不在という点では同じ(=どちらも日本的)だと柄谷さんはまとめるわけですが、「構成力について」の最後は、小林秀雄以来伝統的な私小説批判よりも、物語批判(つまり構造主義批判)に重点を置きます。

2010-09-27 00:54:03
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

『起源』が文庫化された際のあとがきで、『起源』を書いていた時期をこうまとめている。この時期、「「風景の発見」によって排除されたものが復権されたということだ。言葉遊び、パロディ、引用、さらに物語、つまり、近代文学が締め出した全領域が回復しはじめたのである。」

2010-09-27 01:14:01