仲正昌樹著書を読んで「自由」を考える〜サンデル教授の授業についても
エリ・ザレツキーは、「自己決定」を特徴とする近代的「主体性」は、実は西洋人の「気のみじかさ short-temperedness」の現われだ、という面白い指摘をしている P199 #4480061320
2009-11-03 22:16:33人間は様々な状況の中で、外から与えられた刺激に対してそれなりに反応しているわけだが、刺激と反応の間の時間的間隔が短ければ主体的に「決断」しているように見え、長ければ主体的がなくてぐずぐずしているように見えるわけである P199-200 #4480061320
2009-11-03 22:19:18「内面」でどのような判断のプロセスがあったかは、「外」からは直接的に知ることはできないので、周りの人々は、「(他者からの介入を受けることなく)早く決断に至った」という外見だけを頼りに、その人物の「主体性」を事後的に再構成することになるわけである P200 #4480061320
2009-11-03 22:22:41仲正昌樹『「不自由」論-「何でも自己決定」の限界』(2003):3章までは「ゆとり教育論」かと思いつつ我慢。4章に表題のとおり近代的主体と自己決定に関する本質論が出てくる。次はネグリのマルチチュードを読みたい。 #4480061320
2009-11-03 22:49:26「さっさと"自己決定"するよう」強制されていると言える。言わば、市場における効率性の原理に従って、「主体」であることを強いられているのである。我々は、「自由な主体」で有らねばならない、という極めて"不自由"な状態に置かれているのである P201-202 #4480061320
2009-11-04 00:46:56現在、哲学や社会学などでしきりと言われている「ポスト・モダン」的状況とは、そうした「自由な主体間の普遍的合意」が綻びを見せ、実はフィクションであったことが、徐々に露呈されつつある状態であると言うことができる #4480061320
2009-11-04 01:05:25Twitterはアドホックなゆるいつながり=マルチチュードのアーキテクチャ。コミュニティという硬い人間関係=組織ではなく。共同体の文脈-自由な主体-アイデンティティと自己決定-に囚われず、非主体的に生きるためのメディアとなりえる。 などと思った。
2009-11-04 11:26:08自己責任で自己決定する主体は、自己の置かれた文脈-社会的秩序を理解し、自己規定(アイデンティフィケーション)している必要がある。それを個人の権利(イマジナリーな領域への権利)とする思想に、リバタリアンな私は共感します。インターンを含む教育を無料で受けられる権利などになるだろうか?
2009-11-04 14:37:33仲正昌樹氏は明示しないが「共同体にコミットせず、非主体的で、とはいえ動物的でもなく、ゆるいつながりのなかで自己変容しつづける個人」というビジョンだと受けとめた。それは浅田彰氏の「パラノから逃走し続けるスキゾ・キッズ」を想起させる。
2009-11-04 14:51:09いや「共同体にコミットせず」は言い過ぎか。「共同体にコミットしない生き方もある」くらいか。誰も「選ぶことなしに所属した共同体(生育環境)の影響」なしに「主体」となりえないと言ってる。「自然な主体性」というエミール的教育観を批判している。
2009-11-04 14:58:49"現代日本で説かれる政治思想は、装いは複雑に見えても、実際には単純な倫理命題に帰するものが多く、その意味でわかりやすく説かれすぎている。" [書評]今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ http://bit.ly/7CKYIg
2010-01-15 22:05:21共通善をめぐる果てしなき討論の中で、「人間」としての「自由」が現れてくるのである。 P125 #9784062879965 今こそアーレントを読み直す 仲正昌樹
2010-01-21 01:12:00P127 #9784062879965 プライベートな生活に沈潜することを、"自由"だと考えるのは、経済的なものが支配的になった資本主義社会の生み出す幻想にすぎない。
2010-01-21 01:20:00P127 #9784062879965 経済的な利益の追及は本来の意味での「自由」に繋がらないというアーレントと考え方は、「市場」の中での交換関係の連鎖の中でこそ「自由」な個人が育成されると主張するハイエクとは相容れない。
2010-01-21 01:21:11P138 #9784062879965 「偽善」の「仮面」を取り去っても、すばらしい"人間性"など見えてこない。出てくるのは、「私的領域」の闇の中に押し込めておかれるべき、人間の野蛮な部分、暴力性とか支配欲、性欲などの、悪い意味での動物的な欲求だけである。
2010-01-21 01:34:30P140 #9784062879965 「人格」は、ヒトが成長する過程で"自然"と備わってくるものではなく、「公衆」の目を意識した「演技=活動」において演ずべき「役割」なのである。
2010-01-21 01:41:25P140 #9784062879965 従って、それは、公衆のまなざしに晒されることのない「私的領域」で見せる"素顔"とは、自ずから異なったものである。
2010-01-21 01:41:40P147 #9784062879965 アーレントの枠組みで考えれば、2ちゃんねるの書き込みのような匿名のおしゃべりがはっきりした脈絡もないままいくら連鎖しても、そこに「公共性」は生じてこない。→一般意思2.0とは相入れないな
2010-01-21 01:51:45P116 #9784062879965 アーレントはむしろ、そうした「人間性」に過剰な期待を寄せるヒューマニズム系の思想をいったん解体したうえで、全体主義に通じる恐れのある「思考の均質化」だけは何とか防ぐというミニマルな目標を追及した控え目な政治哲学者
2010-01-21 02:23:25P151 #9784062879965 主権在民ならば憲法constitutionは権力=人民自らを拘束する。活動のための基本的枠組みとして、物事を決めるうえで最も基礎的な約束事を作ることが、国家体制を構成constituteすること。
2010-01-21 02:36:25アーレントはエコノミクスから分離された純粋なポリティクスを指向した。しかし、そんなものはありえない。ならば、我々はアーレントを超えていかなければならない。つまり、それらが排他的であるという考えを超えること。エコノミクスを排除しない理想的なポリティクスの可能性を。
2010-02-02 16:41:46リバタリアンを自称するからこそ自由の不自由さに自覚的でなければ。自由を絶対の価値と思う段階は既に卒業した。自由は制度だと考えてる。自由を補完するものが必要。それはパターナリズム。
2010-07-10 03:20:11べつにNHKを見てませんが、サンデル教授の授業って哲学ではなくディベートの授業という感じ。pro/conの二元論にフレーミングしてから議論させる。フレームの外に出て考えられる学生は少ないから、盛り上がるけど不毛な議論。ハナから白黒つけられない問題を扱っているわけで。
2010-09-26 23:11:40現実社会の問題を扱っているようで、あくまでもその抽象化されたモデルを扱っているに過ぎない点にも注意が必要。現実社会の問題を議論しているわけではなく、カントやアリストテレスの思想というツールを現実社会の問題に適用する訓練みたいなものだと思う。
2010-09-26 23:13:19