茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第994回「誰であっても、生きる道」

脳科学者・茂木健一郎さんの7月30日の連続ツイート。 本日は、このところ考えていたこと。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第994回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、このところ考えていたこと。

2013-07-30 06:49:48
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(1)小林秀雄は、学問について、こんなことを言っている。いかに生きるべきか、それを教えてくれないのは、学問ではないと。昔の学問はそのようなものだったが、今の学者は単なる知識を扱っているに過ぎないと。神さまも、自分を助けてくれないような神さまは神さまではないと言っている。

2013-07-30 06:51:31
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(2)ここで、考えてみるべきことは、「いかに生きるか」ということの多様さ。人それぞれ、得意なこと、不得意なことは違う。社会の中での立ち位置も異なる。「いかに生きるか」という命題を、どんな人にもなり立つ普遍的な問題としてとらえるとすると、それは多様性を反映しなければならぬ。

2013-07-30 06:53:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(3)例えば、リーダーシップ論は、自分が指導者になろう、という人にしか当てはまらない。私はリーダーにならなくてもよい、社会の片隅で生きていけば良い、という人には、リーダシップ論は関係ない。グローバル人材と言っても、そんな生き方をしなくてもよい、という人には関係ない。

2013-07-30 06:54:43
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(4)英語は大切だが、生きる上ではオプショナル(できればいいし、できなくても大したことない)だろう。英語が全くできなくても充実した人生というのは、容易に想像できる。逆に英語ができたからといって陳腐な人生も、これまた容易に想像できる。英語に人生を譲り渡しても仕方ない。

2013-07-30 06:56:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(5)最近若者の間に流行っているらしいナショナリズムも、すべての人に生きる道を与える哲学ではない。早い話が、日本で暮らす外国の人、外国の人と結婚した人、外国の人と深い取引がある人には役に立たない。つまり、ナショナリズムは、「誰にでも当てはまる生きる道」などにはならない。

2013-07-30 06:57:30
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(6)生きているということは、さまざまな問題をはらむ。一人さびしいこともあるし、親が病気で倒れてしまうこともある。困窮することもあるし、追求していた夢が破れることもある。小林秀雄の言う、いかに生きるかを教えてくれる学問は、それらすべてに当てはまるものでなければならないだろう。

2013-07-30 06:59:18
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(7)先日、シネマ尾道で小津安二郎の『東京物語』を見た直後の子どもたちと話したが、9歳から12歳くらいの彼らが、一応に、映画の中で描かれた親子関係のむずかしさに言及していたのが印象的だった。家族であることから不幸が始まるという小津の認識は、確かに普遍的な問題を扱っている。

2013-07-30 07:00:36
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(8)このようにすれば成功する、みたいな話が、結局は限定された価値しか持たないのは、すべての人が成功するとは限らないからである。成功したらしたでよし、しかしうまく行かなかった時にいかに生きるかという視座を持たない哲学は、しょせん二流の哲学に過ぎぬ。

2013-07-30 07:01:53
茂木健一郎 @kenichiromogi

だい(9)強者のための自己正当化、多数派のためのノウハウ、成功するための道筋、といった類いの話は、流行りやすいのだろうが、結局、すべての人にとっての生きる哲学にはならない。「論語」が今日に到るまでの価値を持っているのは、それが誰であっても、生きる道を与えているからだろう。

2013-07-30 07:03:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第994回「誰であっても、生きる道」でした。

2013-07-30 07:04:20