したい・されたい?対象性ー恋愛作法と態度に眠る自己愛と他者愛
巨乳とか貧乳とか胸パッドとか、わからなくもないけど、「身体の部分だけありゃいいのか」という錯覚をもたらすなぁ。
2010-09-27 12:42:16RT @yutakioka: .@marianna_ave そうですね、そういう発想は女性の物質化であって、人格としての女性の否定に当たるという可能性もありますね、パーツだけ切り取られて、主体としての女性のidentityが希薄化され、無視されていると考えることができますね。
2010-09-27 12:48:55@yutakioka 「好みのタイプ」を否定はしないんですが、それを公言したり、相手の女性に言うことはどうなのかなーと。
2010-09-27 12:51:38RT @yutakioka: @marianna_ave そうですね、私も好みのタイプを心の中で思うのはいいんですが、公言することで、自己のidentityを否定されたと感じる女性が出る以上良くないと思います、もちろん女性が男性の好みをあげるときも同じ問題が生じると言うことに注意が必要と思いますし、続
2010-09-27 13:04:06RT @yutakioka: @marianna_ave 自分のそのような「個性の部分化による発言」で傷つく人がいる、だから公言しないようにしよう、それぐらいの想像力と優しさ、そして慎み深さはもつべきだと思います、男女関わらず人として。終
2010-09-27 13:04:10@yutakioka 「慎み深さ」を感じ無い、そのとおりだと思います。そういう言葉を明言する背景には、セクシャリティよりも幼児性を感じ取ってしまいます。
2010-09-27 13:08:36戦略としては間違ってはいないのだろう。身体的な好みを明言してる異性(同性も可だが)に対して、自分がどの程度相手のストライクゾーンに入っているかを、あくまで身体的な要素を元に推測が可能。相手の好みに合わせる努力なり、ゾーン外だから諦めるなり、ある意味効率的。
2010-09-27 13:13:42@yutakioka 対女性に対しての幼児性もそうですし、仲間内における付和雷同的な発言のようにも感じますね<幼児性>虚勢、であったりも。
2010-09-27 13:22:27@yutakioka 前提条件もそうですが、身体的パーツを話題にしている時点でそれは愛ではなく性欲がメインではないかと思いまして、そこに「好みのタイプ」という曖昧な語彙をくっつけて、かろうじて「恋・愛」の範疇に入れているような気がします。
2010-09-27 13:24:58RT @yutakioka: @marianna_ave そして、そのような母親への愛との連想の呪縛から逃れて人を無条件で自然に愛することができるようになれば、それは少年がようやく男へなったと言えるでしょう。人は男に生まれない男になるのだ。弱きもの汝の名は少年なり。
2010-09-27 13:26:26@yutakioka 「xxx(身体的特徴)が好き」なのではなく、「xxx(身体的特徴)な人から好かれたい」という声明と思えば、合点が行きます。
2010-09-27 13:32:41@yutakioka あ、いえ、心配りというより「受身」では?と思ってました。「これこれな人が好きです」と明言することにより、それに当てはまる人が近寄ってきてくれないかな、な期待であったり。もしくは、明らかに意識したターゲットがいても、それを誰か言えずに間接的な告白であったり。
2010-09-27 13:42:11@yutakioka 後者は例えば、「好きなタイプは苗字が音で5文字の人」と、「豪徳寺さん」に告白しちゃうような、そんな感じです。こういうのは嫌いじゃないなー。近くに「西園寺さん」や「勅使河原さん」が居たら紛らわしいですが。
2010-09-27 13:45:24@marianna_ave なるほど、「受け身」ですか、その考えかたは想定外でした。受け身という感情があるということも考えられますね、私は心配りとして、あえて、そういう言い方を選択した結果という主体的な動機を考えていました、どちらの可能性も同じ結果を導くって面白いですね。
2010-09-27 13:46:59RT @yutakioka: @marianna_ave そうですね少しの表現の違いで全く意味が違ってきますね、前者は身体的特徴が好きであって人格が否定されている、後者は身体的特徴がその特徴を持つ人格の外延として表現されている、という意味で人格の尊重が伝わってきますね。こういう心配りができるのも優しさですね。
2010-09-27 13:49:11@yutakioka 確かに、興味深いです。どういう意識を持ち(好きな人の存在、どのような愛情なのか、など)、どのように相手に配慮して物を言うのか…と考えてみると、色々な伝え方・言葉遣いがあるのだろうと思いました。感情が高まるからこその、上手く伝えられなさも含めて。
2010-09-27 13:51:43@yutakioka 「いとをかし」、いいですね。伝えられなさ、口篭ってしまうこと。「(僕の/私の)好きなところは?」と訊かれたら、私は黙りこみたい。(そんな訊き方をするような人は、私は苦手ですが)
2010-09-27 13:58:15そこで口篭ったり黙りこむと、「好きではないのかな」と言われたり思われたりもするのだが。どうも、沈黙というものは誤解を受けやすいようだ。
2010-09-27 13:59:30@yutakioka これは、したいし、されたいですねー。もっとも、そこに至る経緯でどちらにイニシアティブがあるかというと、されたいほうにあるような気が。「したい」と「されたい」は、互いに近くて、ポジネガでもあり、同一の面もあるように。
2010-09-27 19:42:39@marianna_ave そうですね、私は、したい、されたい、も本質的には変わらないと思いますね、方向生が異なるだけで、どちらにも相手を労る精神が流れていますし、仮にそれがなければ、したい、されたいにしろ、どちらも身勝手な占有願望=ナルシズムの発露ということになってしまいます。
2010-09-27 21:07:18RT @yutakioka: @marianna_ave そうですね、私は、したい、されたい、も本質的には変わらないと思いますね、方向生が異なるだけで、どちらにも相手を労る精神が流れていますし、仮にそれがなければ、したい、されたいにしろ、どちらも身勝手な占有願望=ナルシズムの発露ということになってしまいます。
2010-09-27 21:09:53@masanari100 占有願望自体がナルシズムの発露ではなくて、占有願望に相手への敬意や思いやりの気持ちを書いた時にはそれはナルシズムになりえるということです。それは相手をまずモノ化していますね、つまり、人格の否定です。続
2010-09-27 21:14:37@masanari100 人格を主体的に否定するということは、自らが、他者の人格をモノ化する権力を持っていると、象徴的に誇示することになりますよね?他者の人格をモノ化すると、相対的に自己の価値が高まるわけですから、つまり、モノ化され、人格が抜け落ちた、他者と、続
2010-09-27 21:16:48