みんなが同じ考えである必要は全くもって無いので、嫌いな人が何人いても、山ほどいてもいい。自分の周りに大勢いれば、その中に自分を嫌う人もいるはず。 同様に、好きな人が沢山いてもいい。自分の周りにも、自分を好きな人ももちろんいるはず。
2013-08-07 19:45:45私は、嫌いな人もいるけど、嫌いな人に煩わされる分の時間も、大切な人達に使えたらいいなぁと思ってる。できるだけそうつとめてる。 大切な人達の中に、自分も含んでる。 であるなら、嫌いな人は少ない方が楽な気がする。ので、誰かを嫌う反応の元は要らないと思ってる。
2013-08-07 19:52:50誰かに嫌われてる自分や、誰かを嫌う自分を、許せない自分ではありたくない、かな。 大切な人を大切にできる自分、でありたいと思う。
2013-08-07 19:58:38嫌いな人やモノのことばっかり考えてる人って人生を楽しんでると評価するべきか、それとも人生を無駄にしていると言うべきか悩む。ベクトルが違うだけで有効活用はしてるよね。
2013-08-07 20:00:40私の考えでは。 その人本人が評価すればいい話で、外野はそんなの放って置けばいいと思う。 どうしても評価せずにはいられないなら、楽しんでいるんだろうなって見てあげていた方が自分の心が安らかでいられると思う。 人によって楽しいものも、楽しさの表現も違うのだから。
2013-08-07 20:04:26まぁ、他人が人生無駄にしてるほうが心安らかでいられるなら、あいつは無駄にしてると思っていればいいかも。 どっちでもいい話だと思う。 本質的に、生物の一生に有用性は必要なのか?が疑問。
2013-08-07 20:09:24@autumn_dream ね。でもまあ、そもそも批評してるお前はどうなんだよっていわれたら返す言葉も無いんですけどねwww
2013-08-07 20:11:02@RIME3726 「人生は無駄に消費してはいけない」とか「人生を無駄に消費するのは不幸だ」とかの思い込みがあるのかもですね。と思います(´ω`)
2013-08-07 20:12:12@autumn_dream 確かに。そもそも無駄とは何か、そしてその無駄はどのように定義されるべきか、と言う視点がかけていましたね。そこは私の人生じゃないですのにね。
2013-08-07 20:13:39@RIME3726 自分自身のそれを見るのを避けるのに、他者の存在は非常に役に立ってくれますしね。「無駄は悪」との思い込みもあるかもですね。私もチェックしてみよう(´ω`)
2013-08-07 20:16:52@autumn_dream そもそも相対的な価値基準に囚われ過ぎなのだと思うんですよね、劣等感や無力感、あとは批評的な観点というのは勘違いからくるんじゃないかと思っています。
2013-08-07 20:20:07@RIME3726 その勘違いが植物の根っこのように細部にまで入り組んで根付いてしまっているから、なかなか引っこ抜けきらなくて苦しんだりするんですよね。 でもって、勘違いと、勘違いじゃないものの違いって、無から始まって積み重ねていく知からは、区別付くものなのかな?との疑問も。
2013-08-07 20:23:52@autumn_dream (*´・д・)(・д・`*)ネー それなんですよねー、個を認めると正誤の判断基準があっという間に蒙昧になるので、自分の中で独自の価値基準のひな形とでもいうんでしょうか、そういうものを形成しておくべきですよね、自らが快適な自分でいるためには。
2013-08-07 20:27:19@autumn_dream 生きる中での価値観の形成を、意図的に行うというか、そういうことが必要なんじゃないかなと思います。それがセルフブランディングとか呼ばれるのかもしれませんね。
2013-08-07 20:27:20@RIME3726 正誤が必要な場面とそうでない場面の区別が付いたり、その際に採用する基準を適宜選べる力を持っている、という感覚があれば済むかもですね。今は大雑把過ぎるほど丸ごと扱う、ひとつの判断基準を全ての場合に適応してしまう癖がついてる人が多いのかも?です。
2013-08-07 20:30:57@autumn_dream あー、なるほど。そうですよね。上手く言えないけれど、食べ物には食べ物の、パソコンにはパソコンの価値が有るように、複数の価値基準の使い分けができるのが大事ですよね。そういえばそうだった。
2013-08-07 20:36:04@autumn_dream そういう一つの価値観に頼りきってしまう姿勢から、価値を見出す感覚が退化してしまい、自分の持っている価値基準と相手の価値基準が違うという事を認識できなくなってしまうのでしょうね。
2013-08-07 20:36:06@RIME3726 そもそも、多様な価値観の存在を認められる経験が少なくなっているのかも?という気がします。学校にあったのは、誰もが一様に認める正解と正義ばかりでしたから。全員が違っていてもどれも全て正しい、という経験、無いわけじゃないとは思うけど…私の頃は、ですけどw
2013-08-07 20:40:14きっと道徳の授業が、そういった多様な価値観を学ぶ場のひとつだったのだろうなぁと今は思うのだけど。当時の私は、最後まで書かれてない物語が尻切れトンボで大嫌いだったし、「そんなのこうに決まってるでしょ!」って正義を振りかざす子供だったのだよねwww
2013-08-07 20:43:28いわゆる教科書的な良い子、だったんだよね。 お陰で、正解や正義、普通なんかの呪縛で雁字搦めで、随分長い間生きてしまって。身体もここまで壊して。そこまでしたからこそ、学ぶことに気が向いたんだろうなぁと思ってる。
2013-08-07 20:47:43@autumn_dream あー、そっか。そうですよね。…今の学校はどうなんだろうなあ…僕の頃もそんな感じでしたけど…。
2013-08-07 20:56:10