金田一耕助はニューギニアで玉音放送を聴いたか?

横溝正史先生の『獄門島』によると、名探偵・金田一耕助は『本陣殺人事件』解決後、兵隊に取られ「最初の二年間かれは大陸にいた。それから南の島から島へと送られて、終戦のときにはニューギニアのウエワクにいた」とあります。そんな彼は昭和20年8月15日、終戦を告げる玉音放送を聴くことができたのか。いいかげんな探偵小説家の問いかけに返ってきたご意見は――?
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芦辺 拓 @ashibetaku
金田一耕助はウエワクで終戦の玉音放送(海外向け短波放送)を聴けたのだろうか。聴けたことにして書いている。根拠は「日本一の裏切り男」で植木等らが南方でラジオを聴いてるシーンなのだが、あれって内地だったらダメだな。
我乱堂 @SagamiNoriaki
タイあたりにいた私の祖父は聞いてないそうです @ashibetaku: 金田一耕助はウエワクで終戦の玉音放送(海外向け短波放送)を聴けたのだろうか。聴けたことにして書いている。根拠は「日本一の裏切り男」で植木等らが南方でラジオを聴いてるシーンなのだが、あれって内地だったらダメだな
芦辺 拓 @ashibetaku
ありがとうございます。当時の技術力や受信側の事情から考えても望み薄ですかねぇ。RT @SagamiNoriaki: タイあたりにいた私の祖父は聞いてないそうです @ashibetaku: 金田一耕助はウエワクで終戦の玉音放送(海外向け短波放送)を聴けたのだろうか。
我乱堂 @SagamiNoriaki
@ashibetaku 祖父は玉音放送は聞いてないというのですが、これは後から考えても流れなかったのかたまたま聞く機会がなかったのかはよく解らないのですが、終戦の報告を聞いてまず上司に書類の類は全部焼却するように言われ、ずっとつけてた手帳の類も焼いてしまったそうです。
芦辺 拓 @ashibetaku
なるほど。RT@SagamiNoriaki: 祖父は玉音放送は聞いてないというのですが、これは後から考えても流れなかったのかたまたま聞く機会がなかったのかはよく解らないのですが、終戦の報告を聞いてまず上司に書類の類は全部焼却するように言われ、ずっとつけてた手帳の類も焼いてしまった
我乱堂 @SagamiNoriaki
@ashibetaku きになったので調べて見ましたが、http://t.co/oUdw2LTrpU“短波により東亜放送を通じて中国占領地、満州、朝鮮、台湾、南方諸地域にも放送された”とのことで、祖父のいた地方では聞けなかった、くらいのことだったみたいです。
芦辺 拓 @ashibetaku
@SagamiNoriaki その項目は僕も見ましたが、放送されたからといって「聴けた」かどうかは確信が持てないんですよね。
我乱堂 @SagamiNoriaki
@ashibetaku なるほど…となると、海音寺潮五郎先生が何処かの対談で言われていた「それがあったか解らないのならば、あったことにしてもいい」というのでいいんじゃないですかね?
芦辺 拓 @ashibetaku
金田一と玉音放送、木魚庵翁@mokugyo_noteはコミケの準備で、たぶんそれどころではないならむ。
木魚庵 @mokugyo_note
@ashibetaku いえ、もう落ち着きました。例の件ですね。ご相談いただきながらなんのアシストもせず、すみませんでした。問題はウェワクが敵陣のただ中に取り残された孤島状態だったことですね。加東大介「南の島に雪が降る」ではどうなっていたか、調べてみます。
芦辺 拓 @ashibetaku
@mokugyo_note ありがとうございます。そうか! 当時の人々の共通認識の中から生まれたフィクションの中から手がかりを得るという手がありましたね! 「南の島に雪が降る」などはまさにそれにふさわしい作品です。
木魚庵 @mokugyo_note
@ashibetaku いま『南の島に雪が降る』原著を確認しました。どうもいけませんね。敗戦の「発表があったのは、二十年八月十五日の数日あとであった」と書かれています。加東大介がいたマノクワリは同じニューギニアでも金田一耕助のいたウェワクよりだいぶ恵まれた場所だったようですが。
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku こんばんは。兵隊さんが直接玉音放送を聞くのは難しいかと思います。以下は、『丸別冊 太平洋戦争証言シリーズ2』に掲載された元第27特別根拠地隊副官・海軍主計大尉川田浩二の手記「カイリル島に立てこもった海軍部隊」よりの引用です。
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku 川田大尉は、昭和十九年三月までウエワク岬に駐屯、のち対岸のカイリル島に移りました。つぎのリプから引用文です。
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku 「ジャングル内にとじ込められた部隊にとって、通信科はいちばん大切な部門であった。通信をつづけるためには、電気を必要とする。その発電機を運転する燃料は、マカッサル、スラバヤから調達して来たもので、幸いに、爆砕をまぬがれていた。」
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku 「十分とはいかぬが、在庫があったのである。」
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku 「ニューギニア本土にある派遣隊の通信も健在で、十八軍命令や派遣隊の報告は、カイリル島司令部に受信されていた。連合艦隊の通信等も、傍受されたことはもちろんである。内地からの新聞電報も毎日受信され、内地のおもなニュースは、ガリ版で各中隊へ流されていた。」
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku 「そのほか、短波で豪州のメルボルン、シドニーの海外放送を聴取することにより、戦況の正しい推移を把握していた。」
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku 「広島、長崎への原子爆弾の投下、それにより甚大なる損害を与えたとのメルボルンニュースは、その後、内地からの新聞電報にも新型爆弾が投下されたことが報ぜられ、メルボルン放送が単なる誇大な謀略宣伝ではないと思われた。」
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku これは海軍の話ですが、陸軍も同様の状況にあったと思われ、金田一耕助もおそらく、司令部が通信隊の報告をもとにしてつくったガリ版で敗戦を知ったのではないかと。兵隊を無線機の前に整列させて、玉音放送を聞かせるというのは難しいかと存じます。
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi
@ashibetaku もっとも、横溝先生も細かいところは書かれていないので、司令部に伝令に行った金田一耕助が、たまたま通信隊が傍受しているのを聞いちゃったという書きようはあると思いますが。
芦辺 拓 @ashibetaku
@akagitsuyoshi とんでもありません。何やらワクワクする思いで拝読しました。外地の兵士は玉音放送を聴けたのか、聴けなかったのか。フィクションである以上、それは究極作者の判断であり、どうしても聴かせたければ、作者の責任と工夫においてすればいいのだと腹を決めました。
Female Trouble@百合の迷宮 @yuri_no_meikyu
@ashibetaku @SagamiNoriaki 検索したらこういう方がおられました。ウエワクではありませんが、同じニューギニアのマノクワリで玉音放送を聞いたと。 http://t.co/l45rwFgc6r
芦辺 拓 @ashibetaku
@yuri_no_meikyu 「元のマンガッピ病舎に戻り、安穏な日々が続き、終戦の日を迎え玉音放送を聞いた」――この人に関してはまちがいないようですね。すごいものを見つけてくださいました。
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コメント

芦辺 拓 @ashibetaku 2013年8月9日
まとめを更新しました。
芦辺 拓 @ashibetaku 2013年8月9日
まとめを更新しました。
遠藤 @enco2001 2013年8月10日
シベリア抑留者の手記(『平和の礎』など)読むと、8/15前後について記載ある手記では、満州では8/17に移動中、あるいは敗走して交通の要所(横道河子など)で降伏を知った、という内容が多い。突然のソ連の侵攻で、大混乱していたというのがよくわかる。南方は、組織を維持し通信も保持している基地ではじゅうぶん聞けたんだろうなあ。
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