〈シリアスな思考〉嫌悪としての「萌え」――教養と鑑賞の明るくない未来?
『ドラゴン桜』とか『エンゼルバンク』がドラマ化されていることを今更知る。話題性はあるのだろうけど、本当に話題性だけで、筋らしい筋ってなかったのではないか。筋なんてなくても、生活の知恵が学べたり、登場するキャラに萌えられたら、それで十分だと某学生。自分の感受性の古さを痛感する。
2010-02-10 07:32:09その学生にフィクションを享受するスキルがないだけです。RT @odg1967 //生活の知恵が学べたり、登場するキャラに萌えられたら、それで十分だと某学生。自分の感受性の古さを痛感する。
2010-02-10 09:51:00はじめまして。それは感受性の古さなどという言葉で捉えるべきではないと思います。学生のほうに問題があるのではないでしょうか。 RT @odg1967: 筋なんてなくても、生活の知恵が学べたり、登場するキャラに萌えられたら、それで十分だと某学生。自分の感受性の古さを痛感する。
2010-02-10 10:42:00@tamanoirorg そういうスキルの習得を意識的に拒否して、スキルなんて数量化できないとか、お説教こいてんじゃないよとか、それよりは萌えとか生活の知恵みたいな誰の目にも自明な魅力があることが大事なんだとかいう反発をくらうことがあります。なんというか仕分けされたような気分に。
2010-02-10 10:46:42大人が負けちゃいけません。 RT @odg1967 @tamanoirorg そういうスキルの習得を意識的に拒否して、スキルなんて数量化できないとか、お説教こいてんじゃないよとか、それよりは萌えとか生活の知恵みたいな誰の目にも自明な魅力があることが大事なんだとかいう反発をくら//
2010-02-10 10:49:20@yoshiomaejima フィクションの享受(鑑賞)ということに、若い世代が妙な反発を示す傾向にあるような気がします。「教養」も嫌われてますが、「鑑賞」への嫌悪も相当なものです。背景にあるのは、おそらく旧世代の「教養」「鑑賞」に対する新世代の憎悪という世代間対立かなと。
2010-02-10 10:56:27様々な論者の知のあり方を見るときに、そのひとが上の世代(あるいは下の世代)の知とどうつきあっているかということがとても気になります。批判とか対立があるのはあたりまえのことなんだけど、過剰な憎悪とかディスコミュニケーションがあると、いろいろ憶測してしまう。
2010-02-10 11:04:34う~ん。学生さんたちとの世代間の対立というよりも、「教養」「鑑賞」といったことを貶めてきたのは、40~60代の、サブカルチャーを蔓延させてきた人々のような気がしますが。 RT @odg1967: @yoshiomaejima 新世代の憎悪という世代間対立かなと。
2010-02-10 11:15:12@yoshiomaejima 学生と教員との世代間対立ということではないです。おっしゃることはごもっともですし、それほど認識は異なってないと存じます。
2010-02-10 11:19:55実は中学と高校の国語の授業で、文学作品についての国語教員の説明を聴きながら、「こういう説明をすることが文学作品を読むということならば、ぼくは文学作品なんて読みたくはない」と思ったことが何度かある。あのとき、ぼくは「鑑賞」を間違いなく嫌悪した。
2010-02-10 12:56:22高校卒業後、ある文学作品について、三通りの解釈を比較する機会があった。二つはどうしようもなく退屈だったが、残りの一つがたいへん魅力的だった。できればそういう読み方ができるようになりたいと思った。鑑賞という営為が退屈なのではなく、だめな鑑賞と見事な鑑賞があるだけなのだと理解した。
2010-02-10 13:01:48何かについて正しい解釈を教えようとするよりは、だめな解釈とよい解釈を比較させることの方が教育効果は高いのかもしれない。論述問題について模範解答を配布しても学生は読んでくれない。しかし、平凡な答案とできのよい答案のコピーを配布すると、なぜか熱心に読み、何かを学ぼうと努力してくれる。
2010-02-10 13:07:37なるほど。RT @odg1967:だめな解釈とよい解釈を比較させることの方が教育効果は高いのかもしれない。論述問題について模範解答を配布しても学生は読んでくれない。しかし、平凡な答案とできのよい答案のコピーを配布すると、なぜか熱心に読み、何かを学ぼうと努力してくれる。
2010-02-10 13:13:31実は力点は前半にあって、中高の国語教育の現場でぼくのような「鑑賞」嫌いの生徒が育ってしまう現状を嘆いてみたのだけれど……。中高の国語教育における文学嫌悪とか鑑賞嫌悪の再生産って、結構深刻な問題なのではないのでしょうか。
2010-02-10 13:29:07個別経験でいえばすでに鑑賞がなくなっています。ただどのように的確に試験問題に解答するかだけ。RT @odg1967: 実は力点は前半にあって、……。中高の国語教育における文学嫌悪とか鑑賞嫌悪の再生産って、結構深刻な問題なのではないのでしょうか。
2010-02-10 13:49:38@odg1967 自分自身はそれこそスキルが足りずにサブカルに振り回されてる部類だとは思うのですが、たまたま目にとまったので失礼します。生活の知恵はまだしも「萌え」が誰の目にも自明だという前提になっていることに唖然。あれはどんな情報に近しいかでかなり意味がずれる言葉だと思います。
2010-02-10 18:37:12@kkazhiro 属性は様々でズレもあるとは思うのですが、「全部乗せ」なんてことが云々できるということは「誰の目にも自明」な萌えを盛り込むこともある程度可能なのかなと……。あるいは「かわいい女の子/男の子/動物……が登場すれば、筋はどうでもいい」みたいな感じでしょうか。
2010-02-10 18:51:29@kkazhiro 「ケータイ文化から外れた」の意味が必ずしも理解できていませんが、ツイッタをやってるひとが若者というよりは、ちょっと年齢高めのひとたちなのかなという認識はぼくも持っております。
2010-02-10 18:55:17@kkazhiro ちなみに、萌えとか自己啓発とか生活の知恵を軸とした消費がだめとか、そういうことがいいたいのではないのです。そうした消費が、教養とか鑑賞といった従来の「スキル」に対するルサンチマンのようなものと結びついている場合があるのはヘンだし、楽しい話ではないなと。
2010-02-10 19:03:02萌え属性がスキルとあいまって読みを深める場合もある。たとえば谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』は、スキルが同じならば、猫属性を持ってる人の方が深く読めるんじゃないかと思います。いや、猫属性が読みを阻害する可能性もあるか……。しかし、よく読める可能性がないとも言いきれない。
2010-02-10 19:13:31(ひょっとすると「萌え」というのは、作品の内容についてのシリアスな考察を拒否することで可能になる特殊な感情の発露で、しかも何か性的な衝動と結びついていなければならないのかもしれません。そういう「萌え」理解でいえば、ぼくが言っていることは全くのナンセンスということになる。)
2010-02-10 19:37:50