数学でも「研究者になる」という視点なら、「教わる」より「学ぶ」さらに「自分で研究する」ものだと思っているが、ただ受け身で教員からの指示を待っているだけの院生も多い。 QT「プログラミングを義務教育で教えるべきか」http://t.co/eJi4YG2mtq
2013-08-11 01:10:53ひょっとすると、大学院教育で数学教員ができることは、学生の適性を見ることくらいなのかもしれない。もちろん、ある程度セミナーをやりつつ最初の方向性を与え、問題意識を投げかけるとか、やれることはあるが、研究者育成の中では教員ができることはごく一部にすぎない。
2013-08-11 01:26:45@Paul_Painleve (自身も浅学を承知で)人間の価値は、その人間にしかない『着想』が得られる点かと。ノルマ達成で喜び「何でもするから指示を」…これらが出そうだと、気を付けたい所です。個人の『夢』は「義務」の次へ確かに待つものですが、合理化の塊になる現象は避けたい。
2013-08-11 01:30:12@i62x0410dellla 数学の場合の指導では、強制と言うのはあまりないので「何でもするから指示を」というパターンは少ないと思います。経験のない頃は「何をどう研究していいかわからない」まま袋小路に落ち込むことが多いです。そこを自力で切り抜けられるかどうか。
2013-08-11 01:33:35@Paul_Painleve 土台を履き違えていました。これは義務的な「宿題」や「仕事」に該当し。仰る通り、アカデミズムとは違っておりました。発想を閃き、構想を紡ぐ中で。関心を見出し、工夫をし、より新たな場へ跳躍する。これが「成長」かも知れません。
2013-08-11 01:39:59@Paul_Painleve 袋小路は、出た後、より大きな袋小路の一部だったのだと悟る、の繰り返しのような気もします。それを面白がれると、生涯が楽しい。
2013-08-11 01:46:38@ken_m123 お勉強から研究への切り替わりがうまくいくかどうかは、修士くらいまで勉強をどこまで能動的にやってきたかの積み重ねが大きいように思います。また、これは日本の場合ですが、高校や大学のカリキュラムが減ってしまい、勉強量が少なくなってるのも問題です。
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