日本の学校が農村共同体に似ている理由

日本の学校の教育システムは世界的にみても特異である。それはなぜか。柳治男著「〈学級〉の歴史学:自明視された空間を疑う」より。
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未発育都市 @mihatsuikutoshi

柳治男著「〈学級〉の歴史学:自明視された空間を疑う」 http://t.co/48yX9fWDh8 http://t.co/VMmuJTNnf5

2013-08-11 15:16:25
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(雑談)

未発育都市 @mihatsuikutoshi

午後から雷雨がきて一気に路面を冷まして欲しい、と思ったが、暑さが蒸し暑さに変わるだけのような気がしなくもない。>RT

2013-08-11 07:12:10
未発育都市 @mihatsuikutoshi

そう言えば、昔はエアコンを付けることは「精神がたるんでいる」とか「風情がない」とか言われていた気がするのだけど、いつ頃から「暑い日はエアコンを付けましょう」に変わったんだろうな。

2013-08-11 07:21:14
5五龍ぐぎ飛車@🐈‍⬛🦜🐿奥ゆかしさを身につけよう9,800時間 @gugigugi

@mihatsuikutoshi 老人が次から次にエアコンつけずに室内熱中症で死にまくったあたりからでしょうか

2013-08-11 07:24:53
未発育都市 @mihatsuikutoshi

@gugigugi そうなんですか。ありがとーございます。まぁ、エアコンは付けたほうがいいんですけどね^^

2013-08-11 07:32:50
未発育都市 @mihatsuikutoshi

しかも、エアコンはこまめに付けたり消したりするよりも、付けっ放しにしたほうが電気代がかからない、ということにもなっているからな。日本の夏の過ごし方の常識が日々刻々と変化している。日本文化存亡の危機か(違w

2013-08-11 07:37:50
未発育都市 @mihatsuikutoshi

エアコンの登場が日本の住宅文化を大きく変えたことは言うまでもない。高気密高断熱の和風住宅に暮らす時代は既に現実のものとなっている(迫真)。

2013-08-11 07:42:56
未発育都市 @mihatsuikutoshi

鴨長明の時代と現代の夏の暑さは同じなのだろうか(素朴な疑問)

2013-08-11 07:51:10
如月陽(マルセル) @noboru_kisaragi

http://t.co/oZwaL1M3CU RT @mihatsuikutoshi: 鴨長明の時代と現代の夏の暑さは同じなのだろうか(素朴な疑問)

2013-08-11 08:33:28
未発育都市 @mihatsuikutoshi

@noboru_kisaragi ありがとうございますー。というか、江戸時代は小氷河期で7月に雪が降ったと知ってショックを受けています^^;

2013-08-11 09:05:53
のぞみ @nozomic_sasa

熱中症であまりに学生が倒れるもんだから、保健館の先生が各部回って注意しているらしい。っていうか、もう8月は部活やめませんか??? それか早朝6時から9時までにするとか(笑)

2013-08-10 10:25:05
未発育都市 @mihatsuikutoshi

今日もビックサイトでコミケなのか。というか、コミケは「参加する」ではなくて「参戦する」なんだな。日本語おかしいだろと一瞬思ったが、昨日と同様に今日のコミケ会場も戦場と化すだろう。こまめに水分補給してね^^

2013-08-11 07:57:47

(本題)

未発育都市 @mihatsuikutoshi

学校の部活動は「精神」を鍛練する場なのか「技術」を鍛練する場なのかで取り組み方は変わってくるだろうな。これは部活動に限らず、学校教育全般についても言える。

2013-08-11 08:06:57
未発育都市 @mihatsuikutoshi

学校の発祥地であるイギリスでは当初、学校は「精神」(キリスト教)を学ぶ場所だった。それが近代に入ると脱宗教化して「技術」を学ぶ場所へと変わった。そして、この学校教育システムが19世紀末にイギリスから日本へ輸入されたのだが、なぜか日本人はここに再び「精神」性を上乗せしたw。(続く

2013-08-11 08:13:30
未発育都市 @mihatsuikutoshi

続き)その理由はイギリスでは産業革命が起きて都市化が進んでから学校教育システムが整備されたのに対して、日本では都市化が進む前のまだ農村共同体が主流だった時に近代の学校教育システムが導入されたからであると考えられている。

2013-08-11 08:17:08
未発育都市 @mihatsuikutoshi

つまり、農村共同体に近代の学校教育の存在意義を持たせ理解さするためには、学校に農村共同体的な性格を付加する必要があったのである。日本の学校教育システムは世界的にみても特異である。21世紀の今日でも、日本の学校にはかつての農村共同体の精神が残存されている。

2013-08-11 08:21:29
未発育都市 @mihatsuikutoshi

これは学校教育システムに限らず、今日の都市問題や農業問題など全般についても言える。日本が西欧と決定的に異なるのは「急激に近代化した」ということ。その痕跡が今日でもあちこちで残っている。まぁ、仕方ないと言えば仕方ないんですけどね^^。(終わり)

2013-08-11 08:34:00
未発育都市 @mihatsuikutoshi

(今の話は『<学級>の歴史学:自明視された空間を疑う』 http://t.co/48yX9fWDh8 に詳しく書いてあります。素晴らしい本です。良い本に巡り合えてうれしい)

2013-08-11 08:41:41
じゃがいも @jagaimo98

これがコミケ雲!?湿度やばば http://t.co/WmdXeBKG6Q

2013-08-11 11:39:17
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(終わり)


推奨文献

柳治男著「〈学級〉の歴史学:自明視された空間を疑う


関連togetterまとめ

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まとめ 「和風の高層ビル」を描いてみた 最近の新しい「高層ビル」はまるで「墓石」のようなつまらないデザインばかりである。都市の景観とは一体何だろう。というわけで、「和風の高層ビル」を描いてみた。後悔はしていない。 59063 pv 188 4 users 2


おまけ

http://www.youtube.com/watch?v=Et_l2bxDhAg

相対性理論 - 学級崩壊 (2009年の曲。アルバム「ハイファイ新書」より。)

http://www.youtube.com/watch?v=Cydm7DUfa7w

映画「バトル・ロワイアル」 予告編 (2000年の映画。)


(上記の柳治男著「〈学級〉の歴史学:自明視された空間を疑う」の第一章「「学級」を疑う」から少し引用しておきます。)

日本の学校の「学級」とは? (P21-22)

 第一に、(略)学校では有無を言わさず所属させられる。(略)

 第二に、学校では、教師と生徒の関係が、単に職務遂行上の限定的関係を超え、日常生活の多様な場面で、多彩な内容を含んで展開する、包括的性格を備えており、(略)学校では、仲間作りや集団作りというように、児童・生徒相互の人間関係が、もっとも重要な課題とされる場合が多い。

 第三に、学校では、清掃活動や給食のような日常生活に不可欠な活動のみならず、誕生会、お楽しみ会、クラス対抗競技など、さまざまな活動が「学級」に抱え込まれる。これらの活動が重層的に組み合わされて、「学級」を一つの自己完結的な生活の場としている。

(略)以上のような特徴を並べてみると、学校の「学級」を簡単に、活動が限定された機能集団というわけにはいかない。むしろそれは生活集団とみるほうが、より適切である。否、生活集団というよりは、強固な生活共同体として存在しているといっても過言ではない。日常生活のさまざまな側面に配慮し、教師と生徒の濃密な人間関係を作り上げる「学級」とは、生活の細部にまで親が面倒を見、また親子間の緊密な人間関係が展開する家族共同体とも非常に似通ってくる。

日本の学校は特異である (P25-26)

 多くの比較研究は、日本の「学級」が欧米の「学級」に比べると、生活共同体的性格をより濃厚に持っているということを示している。(略)「学級」の共同体的性格は、わが国固有の現象とみてもよいであろう。そしたまた、学級共同体言説(「学級は一つの共同体であるべきだ」という規範性を持つ言説)も、日本固有の現象としてみてもおかしくはない。

(略)学級制とはあくまでもイギリスを中心にヨーロッパ大陸やアメリカとの経験の交流の中で成立し、それがわが国に導入されたものである。日本において欧米産の制度は受容され、さらに変容されて現在に至っているのである。

(略)わが国の「学級」の生活集団的、あるいは共同体的性格は、欧米社会で機能集団として誕生した「学級」が、日本に輸入された後に付与されていったと考えられる。

日本の学校はなぜ特異になったのか? (P27-30)

 わが国の義務教育制度は、一八七二年、すなわち徳川時代が終わりを告げて間もない明治五年に始まった。

(略)わが国で「学級」が制度的に規定されたのは、明治二四年(一八九一)文部省令第一二号「学級編制等ニ関スル規則」によってである。

(略)この時間的落差は、社会的落差の反映でもある。明治時代の終わり、すなわち二〇世紀の入り口とは、わが国がまだ色濃く農村社会的性格を持った時代であった。

(略)イギリスで産業化が進む都市を基盤に成立した「学級」という集団を、都市的環境を知らない日本の農村的秩序の中に入れ込むということは、至難の業である。まったく異質な性格の土壌に植物を移植するためには、土壌の改善か、あるいは植物の体質改善を図らねば実現しえない。明治期から昭和期の後半まで農村的秩序を色濃く持った日本に、都市的状況の産物である「学級」を移植する作業は、困難を極めたに違いない。

(略)このようにしてみると、(略)「学級」が日本的に変容されねばならなかったことを示している。強力な農村的秩序の中で定着するために、(略)多くの教育言説が産出され、教育現場に投入され、言説的に再構成されねばならなかった。


補足