- sacreconomie
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トゥギャりを入れたので、「こないだ」の会話を簡単にまとめておく。「絶対者は現象しうるか」という問題について。ヘーゲル(@menkyak )的には、絶対者とは関係(反照規定)の総体であり、絶対者の啓示とは世界全体の啓示であると同時に、絶対者の自己関係である。
2010-09-29 14:32:10これに対して、バタイユ(@sskyt )的には、至高者とは可能事(従属関係)の極限であり、至高者の啓示とは対象との従属関係からの解放であり、至高者同士のコミュニケーションである。絶対者にせよ至高者にせよ、対象的世界へ現象することはありえないのではないか、という議論。
2010-09-29 14:37:00純粋な自己関係である限り、現象することはありえず、現象する限り、他との関係に巻き込まれてしまう。にもかかわらず、絶対者(至高者)が啓示されるとは、いかなることか? それってそもそも反省の主体一般の問題じゃね? ということで、 http://bit.ly/ajVh70 にいたる。
2010-09-29 14:40:02@menkyak 狭義にも広義にもです。つまり、反省のアポリアとは、反省の主体と対象が同一でなければならないが、同時に異なっていなければならない。それは神が自己と関係する限り同一でなければならないが、関係である限り異なっていなければならないという問題と同じじゃないかってことです。
2010-09-29 11:52:49@menkyak ドイツ観念論における、この反省のアポリアについては、確か麻生さんが論文を書いていたはず。今すぐに出てこないけど……。探してみます。
2010-09-29 11:54:04@menkyak なるほど。つまり、反省の問題は、なぜ神が自己充足せずにわざわざ世界を創造したのか(なぜ自己意識にとどまらず、対象意識へと踏み出すのか)という問題と重なる訳ですね。純粋な自己意識はありえず、意識とはそもそも反照規定であると答えると、神の絶対性が危うくなりませんか。
2010-09-29 13:29:44@menkyak 関連する議論があったなと思い、山口祐弘『意識と無限』を読み返してました。「現象する絶対者」であるためには、反省と直観の統一がなされなければならないという話だけど、結局「同一性と非同一性の同一性」に帰着するのか……。
2010-09-29 21:16:27絶対者における「直観と反省の統一」あるいは「同一性と非同一性の同一性」を、神様用語で言い換えると、「無為の神」と「働く神」の同一性となる。アガンベン風に言えば、神が現象するためには、オイコノミアが必要である、と。
2010-09-29 21:27:13@menkyak なるほど。そうすると、循環論証でない仕方での、自己意識と対象意識の関係の可能性は、どのような形でありうるんですか?
2010-09-29 21:33:43@hiro09ma カントの場合、反省の問題はどうなんでしょうね? 第一批判における内官の自己触発の問題が論理的構制としては似てるますけど(と戦線を拡大してみる)。
2010-09-30 03:11:24@menkyak それこそ、反省の問題ですね。ライプニッツ自身は経験的/超越論的という差異を導入してはいないでしょうね(「気づくこと」の遅れはライプニッツ自身の例)。だからこそカントに批判される訳で。その論法でいくと、最終的には完全な責任は神にしか持てないということになりそう。
2010-10-06 00:22:44