「これを見せられるのか?」という問題について考えてみた (8/11 チャールズ・ブラウンスタイン氏講演会質疑応答の雑感)
.@Kiyosuke0418 さんの「#C84 北米でのコミック表現規制とCBLDFの取組チャールズ・ブラウンスタイン氏講演会のつぶやき」をお気に入りにしました。 http://t.co/EEhhUpn4Lh
2013-08-12 21:58:59サークル出展したあとにこれを聞いてきたので、思ったことを書いてみる。 といっても、大方のことはこのまとめにあるので、質疑応答で出てきた部分についてだけれど。
2013-08-12 22:00:32@Tin_Lion https://t.co/tIXxxPqZFQ 主にこれについて。質問者は彼女や親戚の子供に見せられない、ここへは連れては来れないと言っていたけれど、この感覚は表現規制をしたい人が繰り返し主張をしてきたことにも共通しているから、無視は出来ない点のはずだ。
2013-08-12 22:05:52@Tin_Lion でも、ここでこの感覚については、べつの表現をしたほうがきっと考えやすいと思う。つまり、「彼女や親戚の子供と(同人誌即売会という空間であっても)気楽に猥談をできるか?」ということだ。多分質問者の彼はできないだろう(だから、見せられないという言葉を使うと思われる)
2013-08-12 22:11:07@Tin_Lion もちろん、https://t.co/L8j4yAlT9K こういうことだからコミケという限定された空間が作られているわけだけど、きっとそういう話ではないのだろう。
2013-08-12 22:16:49@Tin_Lion ではどういうことなのかというと、二次元キャラをネタに猥談をするための基盤というか前提になる、相手の性格や性的な知識、興味といったノリの部分や、話をする相手との関係性の問題に行き着くのではないだろうか。
2013-08-12 22:22:17@Tin_Lion だから、いくつかの質問を「こういうものを見せられない」という相手に機会があれば聞いてみたいなぁと思う。 「1.あなた自身は、猥談を、しても良い(隔離された)場であっても、する事に抵抗があるか」 「2.性教育を受けている親しい相手と、猥談をする事に抵抗があるか」
2013-08-12 22:29:13@Tin_Lion 「3.なぜその相手と猥談をすることに抵抗があると感じるのか」 「4.(隔離された空間で)猥談をしている他人を見てどう感じるか」 「5.自分の恋人なり家族なりが猥談をしていたらどう感じるか」 今パッと思いつくのはこのくらいだろうか。
2013-08-12 22:34:08@Tin_Lion これは性教育の問題にもつながると思うんだけど、教育をする側の人(だいたいが親や先生だろう)であっても、性教育をすることに抵抗のある人はいるだろう。 正確には、性教育を受けた相手に、身につけた知識を使って話(猥談)を「されることに抵抗のある」人はいるはず。
2013-08-12 22:38:11@Tin_Lion だから、「見せられるのか?」という問題は、こうも表現できるはずだ。「恋人や親戚なり自分なりの子供が、(知識的にも性格的にも)猥談をできるような奥行きのある人間であって欲しいか?」という主観的な問題である。
2013-08-12 22:46:33@Tin_Lion ちなみに「~という人間であって欲しいか?」って期待というか物の見方そのものが、表現規制派の言う「人のモノ化」だと思うので、表現規制派もずいぶんと人のモノ化をしてるよねーと思わずにはいられない。
2013-08-12 22:52:04@Tin_Lion 話をする相手が性格的にOKであっても、その相手が仲間うちだったらできる話でも、たとえば随分と年下の人とか、あるいは親戚や自分の子供とは無理!っていう人もいるから→
2013-08-12 22:56:06@Tin_Lion →年下で猥談を「できる」相手をどう扱って良いのか、という年上側の意識の話が、表現規制問題に深く根ざしてるのではないかなということをつらつらと考えた次第。
2013-08-12 22:57:19