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K_misa_maguro
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この議論の前提となった話題

@K_misa_maguro それはちょっと違うと思いますね。狂人の論理は現実ベースだからこそそのギャップで光るのであって、そもそも異形のロジックやトリックを正立させるために世界観を作り上げる異世界本格とは似て非なるものではないかと。
2013-08-13 23:44:51
@mysteryEQ 演出の面では仰る通りなのですが、「犯人は、読者の頭の中にある常識とは異なる論理を前提として事件を起こしていた」と判明する時に驚きがある、という点が共通だと思うんです。異世界ミステリの場合は「この世界の住人だからそんな発想をしたのか!」と驚くというか。
2013-08-13 23:58:40
@K_misa_maguro うーん、それはどちらかといえばホワイダニットの驚きに近いと思います。異世界本格は仕掛けと世界観の繋がりを何よりも重視しており、それが世界観から切り離されている狂人の論理の場合は異世界本格とは呼べないと自分は考えますね。
2013-08-14 00:09:30
例えば「狂人」に関して有名な言葉がありますね。曰く、「狂人とは理性を失った人間ではない。理性以外の全てを失った人間である」と。
2013-08-14 00:10:52
八百屋お七は恋する人にもう一度めぐり逢いたいがために放火をし続けますね。普通は「放火したら捕まる」 「大勢の人に迷惑がかかる」 「他に逢える方法はないか」などと考えるものなのに「放火すればあの人に逢える」というたったひとつの“理性”だけが残ってしまった、ということですね。
2013-08-14 00:16:12
@mysteryEQ ええと、麻里邑さんと私では着目点が違うかもしれません。仕掛けと世界観の繋がり重視なのが異世界本格、犯人の発想と世界観が切り離されているのが狂人の論理、という考えには私も異を唱えるものではありません。前言と矛盾するようですが、二つが別物という話には納得です。→
2013-08-14 00:19:02
例えば、「逆説」で真っ先に思い出す作品は『ブラウン神父』シリーズですが、あの作品群の全てが「狂人の論理」を扱ったものかというとそうではない。
2013-08-14 00:21:32
@mysteryEQ →しかしながら、「読者」の常識と犯人の常識(行動原理)との間に大きなずれがあり、そこから驚きが生まれる点は共通しているのではないか、と思ったのです。作品の世界観と犯人の関係ではなく、読者と犯人の関係ですね。
2013-08-14 00:22:24
@WasuiMatui2014 後期の作品って狂ってますよね。論理も何もあったもんじゃない、麻耶っぽいところがありますよね。
2013-08-14 00:24:10
確かに「折れた剣」 「イズラエル・ガウ」などは「狂人の論理」といっていいかもしれませんが、有名な「見えない人」 「奇妙な足音」などはむしろ逆説によって犯人以外(または社会もしくは読者自身)の盲点を浮かび上がらせる仕掛けになっている。
2013-08-14 00:25:31