@suwamura @alphireb いやお笑い界の禁止令って、一斉全部だったりするのよ、大阪の吉本や松竹が何度かやった、「全若手芸人への漫才禁止令コントだけやれ」みたいなの、なお当時の芸人で売れたのは反発して漫才やって劇場追い出された、中川家とますだおかだだけの模様。
2013-08-18 21:59:33@toronei @suwamura 「めちゃモテ」「めちゃイケ」がはじまった95~96年って、当のウンナンもテレビでコントができなくなって、「ウリナリ!」のキャラクターライブでごまかしてた頃で、それこそプライムタイムのコント番組は「ごっつ」だけだったように記憶してます。
2013-08-18 22:08:45ひょうきん族は定期的に赤城山とかの定番コントはやってた、あれはお笑いの教養としてやらなきゃいけないという意識があったらしい。特に後半のたけしさんがフェードアウトして、ひょうきん族がさんま一頭体制になってからは、そういうのばっかりになってたし。
2013-08-18 22:04:31松本尚久さんが鋭くも指摘されたように、「かぶり物文化」は「似てない」ことが演者にも観客にも了解されており、その似てなさそのものがギャグにならなくてはいけない。ただしそれは「下手な物真似」とは違う。コロッケがうまく真似てみせてそれからギャグにはしるように、「似てなさ」を演じること。
2013-08-18 22:07:47なぜひょうきん族が受けたのか、はこれで説明できた(つもり)。でもなぜひょうきん族を今見るとつまらないか、はまだ説明できない。「世界決め」が古くなったからか、「なりきり文化」が余りにも浸透して新鮮味がなくなったからか。でもそれはまた別の機会に考えることにします。
2013-08-18 22:14:07ドリフの長いコントみたあとチャンネル変えてタケちゃんマンみてた二股派もいたと思うけど なぜか母親はひょうきん族を嫌ってたんだよな (父はどちらも否定
2013-08-18 22:19:46タケちゃんマンなんかは、完全に前半が赤城山やお富さんで、後半は三枝のしごき教室の流れなんだよね。そういうのが無くなったのは、とんねるず以降になってから。
2013-08-18 22:05:30ひょうきん族、さんま・鶴太郎、さんま・伴内で、赤城山のコントやってるの見たことあるし、どうしてひょうきん族はそういう古いコントの形を大事にしたのかっていう説明、ヤンタンでさんまさんが話ししていたの聞いた覚えがはっきりあるぞw
2013-08-18 22:06:31まあでもこの比較は全体的に安易すぎると思う。ひょうきん族の上の世代とドリフの下の世代がほぼ同世代なんだから、そんな基礎教養に実は違いはないんだよね。 http://t.co/irIbr2xLGr
2013-08-18 23:18:42なんかもうどこかで聞いたことのある手垢のついた比較論だなあ。ハナ肇や植木等が死んだ時に同じようなことで、ドリフ下げてクレイジー上げてたの思い出すわ。 / “550802” http://t.co/vhSDDKQqrM
2013-08-18 23:20:35クレイジーキャッツをほめるときに、いちいちドリフを下げるんだけど、ドリフほめる時は同じことをクレイジーをドリフに変えて、ドリフをひょうきん族に変えて言うだけなんだよな。もうそういうのはいいよ。
2013-08-18 23:21:28