一つは「先生から学ぶ」こと。これは、学校と同じことで、師となる人について、または、コーチについて学ぶ、ということ。師の型に自分をはめて、習得して行くものなので、最初の段階は誰もが同じ形になります。
2013-08-24 15:32:46二つ目は、「見習う」学び。表面を真似るのではなくて、その人の姿勢や考え方から学ぶということ。 例えば、先日のイチロー選手の話で「失敗の経験から多くを学んだ」というような内容が何度かでてきましたが、そういった話から「失敗することは、悪いことではないんだ」と、自分の心の支えにする
2013-08-24 15:38:57とか。自分のやっていることに自信がない時や、迷いがある時に、その道で活躍している人や、自分と異分野で何かをしている人の話を本などで受け取って「支えにする」という学びと、同じような経験を「自分が体得して」感じるところまでやる、ということ。
2013-08-24 15:43:04三つ目は、反面教師。ただ、反面教師も使い方を間違えると、学び損じがでるので、私はこれを最後の最後までとっておきます。 誰かを反面教師にするときは、時に、人を批判する気持ちを高めてしまうので、取り扱いに注意が必要です。
2013-08-24 15:46:01誰かの嫌な部分がでてきたときは、自分の嫌な部分を、その相手に見ているので、「あの人みたいになりたくない」という「反面教師」ではなくて、「自分にも同じような問題はないだろうか」と見つめる材料として、私は取り扱っています。
2013-08-24 15:47:39もちろん、これは私の考えなので、他にも良い方法があるかもしれませんが、一つ言えることは「人から学ぶこと=人の表面を真似ること」ではない、ということ。
2013-08-24 15:49:44人の表面を真似ることは確かに楽ですが、それをやると「自分がなくなる」んです。 「滅私」という意味で、自分を無くすのは素晴らしいことですが、人の表面を真似ることで自分がなくなってしまうのとは意味が違います。 真似することが当たり前になると、自分の視点や考えが深まらないので、
2013-08-24 15:55:39「知恵」が増えていかないんですね。 私は、知識は知恵があってこそ生かされると思っているので、自分で考えたり工夫する時間がとても大事だと思っています。なので、誰かに作ってもらったレールより、自分で道を作って経験することも、時には大事だと思っています。
2013-08-24 15:57:20表面を真似ることに慣れてしまうと、いざという時に応用が聞かなくなってしまいます。また、真似の効く範囲でしかご自身を活用することができなくなってしまいます。 真似の対象となっている人は、真似をしている人の人生に責任を持つわけではないのと、人の人生を生きることはできないので、
2013-08-24 16:01:04うまく行っている人の表面を真似したからと言って、同じ人生を歩めるとは限らないんですね。 人の真似をしてると、誰もが生まれつき持っている「感性」を鈍らせてしまうんですよね。それはとても勿体無いと私は思います。
2013-08-24 16:02:24「学ぶ」というと、誰かの話し口調や言葉をそっくりそのまま話すことが「真似て学ぶ」と解釈している方も中にはいるようですが、私は、「学ぶ」のは表面ではなくて、「体系的なこと」だと思います。 簡単ではないですが、その方が得るものが多く、知恵も増えていくと思います。■
2013-08-24 16:06:59