芦田先生新刊『努力する人間になってはいけない』ツイート版1(参照先の頁数付)まとめ

RT ‏@jai_an 紀伊國屋書店新宿店(本店・南口店)で、100冊の注文があったらしい。「新人論」の新人著者としては嬉しい限り(笑) 紀伊國屋もAMAZONも多分9月初旬からになります。一番早いのはここ→ http://t.co/U1AmtADKZa Amazon予約はこちら→ http://amzn.to/18jGPST
人文
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芦田宏直 @jai_an
今日、晶文社の安藤さんから手渡しで内田樹さんの「最終講義」を頂いたが、その最終講義には、「『存在しないもの』からのシグナルを聴き取る」という貴重なテキストを見つけてしまった。私の新刊のハイデガーの銘辞と重なっている。彼は最終講義で、私は新人論として。世の中、実に面白い。
芦田宏直 @jai_an
自他観察の時間を長く取れば取るほどテーマ性の比重(棄てるテーマと拾うテーマの反省)は高くなるが、短く取れば、どんなにくだらないことでも重要度は増す。だからこそ、ツイッターでは、「大地震」「大津波」「大規模放射能汚染」から「傘がない」までもが(対等な)大事件なのだ。(新刊272頁)
芦田宏直 @jai_an
コントロールの変数(制御変数)とアンコントロールの変数(非制御変数)の二つの変数ですべての世界を見ていく(のがサイバネティクスの原理です)。新刊278頁
芦田宏直 @jai_an
だから、〈驚く〉って大変なんです。〈驚く〉くθαυμάζειν〉ということが哲学の始まりだと言ったのはプラトン、アリストテレスです。だからロボットは哲学ができない。驚くということは高度な行為なのです。(新刊290頁)
芦田宏直 @jai_an
〈後悔〉を先立たせるデータベースというのは、フレーム問題における無視と忘却という問題を情報の膨大性(と超高速)というところでカバーしようとしている装置です。〈データベース〉とは機能主義(ファンクショナリズム)の極限にいます。(新刊300頁)
芦田宏直 @jai_an
ウィーナー(一八九四〜一九六四)のサイバネティクス論が出たのは第二次大戦前後です。サイバネティクスという言葉はギリシャ語語源(キュベルネーテースκυβερνήτης)で、操舵者、舵を取る人という意味です。(新刊278頁)
芦田宏直 @jai_an
かねてから機能主義については触れてきたのですが、たまたま、私のツイッター都庁講演を聴いてくれていた日経BPnet の編集部がそれを聞いて書いてくれと言ってきました。それで連載を始めたのが『ストック情報武装化論』です。(新刊276頁)
芦田宏直 @jai_an
ウィーナーはまさに「実際」という言葉を使った(『人間機械論』)。「実際の行動」に対応することがすごく大事で、この"実際の"変化に対応する制御を彼は「フィードバック」と言いました。「実際の行動」という言葉をウィーナーは、「予定の行動」の対立語として使っている。(新刊280頁)
芦田宏直 @jai_an
「後悔先に立たず」という格言がありますが、ニーチェは「かくあったは意志の歯ぎしり」と言っています。かくあったと言うときには意志は役に立たない。かくあった=過去というのは後悔の対象なんです。(新刊296頁)
芦田宏直 @jai_an
結局、過去の(あまり褒められたものではない)行状を平気で人前で晒すことのできる人、公言できる人は、自分の現在(過去にとっての将来)を自己肯定している人なわけです。過去の行状の自己言及は、いまの自分の、形を変えた"自慢"にすぎない。(新刊294頁)
芦田宏直 @jai_an
結局、ハイパーリンク主義も検索主義も、強力な〈学ぶ主体〉というものを前提にしているわけです。しかし〈学ぶ主体〉なんて実は架空の存在。人は、普通は勉強などしたくないのだから(笑)。"関心"や"意欲"を超えていやいや勉強するからこそ、知見が広まり、世界も広がるのです。(新刊316頁)
芦田宏直 @jai_an
つまり「あの人は思慮深い人だ、機械的=形式的ではない」と言うとき、思慮深いというのは、自分が起こしたアウトプットに対して再度インプットの変更の可能性を見込んでおいて、インプットのやり直しを絶えずやり続けていることを言います。(新刊281頁)
芦田宏直 @jai_an
中に血が流れているとか、心臓があるとか、高度に発達した脳があるとか、挙げ句の果てに「人間的な能力」の「存在」、ギリシャ的には〈魂〉を指摘して「人間らしさ」を言い張るのは、差別だと言いたいわけです。〈外部(behavior)〉がそう見えるのであれば…(新刊283頁)
芦田宏直 @jai_an
そもそも〈情報〉とは、入力差別のない知識のことです。つまり評価を得ないで蓄積されるデータのことです。無駄な知識とはそれ自体知識ではありませんが、情報はもともと無駄な情報の集まりのことなのですから。この無駄(の価値)が、フレーム問題と関係していたわけです。(新刊298頁)
芦田宏直 @jai_an
他者の死が私の死であるように、他者の死が私の死の起源であるようにして、そして、その死は、死そのもの(=私の死)ではないというようにして死は組織されています。その意味で死はナンシーの言うように〈共現com-parution〉の起源、起源の〈共-現〉でもある。(新刊348頁)
芦田宏直 @jai_an
〈後悔〉を先立たせるデータベースというのは、フレーム問題における無視と忘却という問題を情報の膨大性(と超高速)というところでカバーしようとしている装置です。〈データベース〉とは機能主義(ファンクショナリズム)の極限にいます。(新刊300頁)
芦田宏直 @jai_an
そういう意味で家族の存在と近代的自由とは対立するわけです。自分に家族があるということは親がいるというわけだから、親から自由になるということはありえない。できれば家族なしで済ましたいというのが近代的な自由です。(新刊303頁)
芦田宏直 @jai_an
『存在と時間』のハイデガーは、現存在(人間)の死こそ、「不動の動者」だとするわけです。彼がトマスやデカルトを飛び越え先祖返りまでして言いたかったことは、そこにある。〈神〉も〈主観〉も死なない(死ねない)のだから。(新刊346頁)
芦田宏直 @jai_an
ツイッターというメディアが表現しようとしているものは、その意味では反人間的なものです。 〈現在〉という状態で微分していくと、賢い人もバカな人も一緒になってコミュニケーションができるようになってくる。(新刊312頁)
芦田宏直 @jai_an
「ここだけは真剣に聞いてね」「ここだけはあまり真剣に聞かなくていいよ」などという意味の留保状態の〈ここ〉など存在しない…定義でさえもそう。どんな場合も人間も意味も現れているのですから。この片時も抑えようのない現れを、フッサールは〈現象〉と呼んでいたわけです。(新刊363頁)
芦田宏直 @jai_an
ウィーナーはまさに「実際」という言葉を使った(『人間機械論』)。「実際の行動」に対応することがすごく大事で、この"実際の"変化に対応する制御を彼は「フィードバック」と言いました。「実際の行動」という言葉をウィーナーは、「予定の行動」の対立語として使っている。(新刊280頁)
芦田宏直 @jai_an
人間のダメージも物のダメージも区別がつかないぐらいに〈現在〉に刻まれている時代なのだ。(新刊273頁)  ここは決定的。
芦田宏直 @jai_an
ナンシーにとって、〈死〉は「コミュニケーション」の起源の非起源という事態であるわけです。(新刊349頁)
芦田宏直 @jai_an
…人間の死の独特な時間構造は、死を自ら遠ざけるように存在しているということ。動物の死は、生死にとらわれている分、一直線に、継続的な時系列に沿って死に向かうわけですが、人間の死は曲がっているわけです。神も主観も、そして動物も死なない。(新刊346頁)
芦田宏直 @jai_an
機能主義というのは、民主主義が人間を出自で差別したらいけない、実力があればその通りに評価されるべきだというのと同じ考え方であるということを先ほど述べました。(新刊302頁)
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コメント

志村俊朗 @toshiro 2013年8月30日
まとめを更新しました。
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