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あまちゃんとヒョーロンカ

あまちゃんは原発事故を描いてない http://togetter.com/li/559376 というのが先にありまして。 この後「あまちゃんは物語じゃない」と言い出したそうですが、 続きを読む
原発 震災
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東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma
ぼくはあまちゃんを途中1回しか見ていないので、@noieu のあの感想がなぜそんなに叩かれているのかわからなかったぞ。別にいいじゃないか。
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma
こんなふうに書いているんだしさ。→「僕の関心はクドカンが震災を扱いながら、絶対に切れ離せないはずのこの問題に一切口を閉ざしたまま、あまちゃんというドラマを終えてしまうのか、それとも「こんな手があったか! 」と土壇場で感服させてくれるのかにある。最終回まで注目したい。」
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma
みんな、あまちゃん好きすぎるんじゃないですかね。よくわからんけど。
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma
なお、誤解を受けそうなので、ぼくは放射能被害については、@noieu とは立ち位置がかなり違うこともはっきりさせておきます。椹木さんにはとてもお世話になっているが、この件についてはやっぱ考えが違う。福島はそんな危険じゃないです。原発は危険だけどね。
kikumaco(10/21中野11/10がもよん) @kikumaco
@hazuma いや、物語のこれまでの積み重ねのほとんどすべてを無視して、最後のほうだけで論じるのは、評論家としてはよろしくないんじゃない? 物語は結末だけが問題なわけじゃないと思うのですが。「1Q84」の第三巻しか読まずに論じるとか
kikumaco(10/21中野11/10がもよん) @kikumaco
ちなみに僕も途中から見て、頭のほうは短縮版で追いついたので、それ以上のことは言えない
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma
あれ別にあまちゃん全体を腐しているわけでもないんだから、いいんじゃないかな。ぼくはまったく許容範囲だと思いました。RT @kikumaco 物語のこれまでの積み重ねのほとんどすべてを無視して、最後のほうだけで論じるのは、評論家としてはよろしくないんじゃない? 物語は結末だけが問題
kikumaco(10/21中野11/10がもよん) @kikumaco
@hazuma 僕はぜんぜん。たぶんずっと見てきた人たちには「原発にはほぼ触れず、津波被害の話に集中する」という予想が立っていたはずなんで。なんせ、舞台は三陸だから
kikumaco(10/21中野11/10がもよん) @kikumaco
@hazuma 椹木野衣は「あまちゃんは物語ではない」と言い切っているので、よくわからないですけどね。終盤は物語を逸脱するというなら、わからなくもないですが、中盤までは「物語」としか呼べないと思う。いや、彼の説は謎
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma
あれは蓮實重彦による物語/小説の区別(『物語から遠く離れて)』を前提にした人文系アカデミズム/批評業界内ジャーゴンなので、あまり気にしなくていいです。RT @hazuma 椹木野衣は「あまちゃんは物語ではない」と言い切っているので、よくわからないですけどね。
kikumaco(10/21中野11/10がもよん) @kikumaco
@hazuma なるほど、そうなんですね。それはわからなくてもいいや
kikumaco(10/21中野11/10がもよん) @kikumaco
「力学的なエネルギー」という言葉の本質をどうわかりやすく説明するかとか、そんなことばかり考えているので、業界内ジャーゴンで済ませた気になるのは知らん
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei
美術評論家の人は、結局引っ込みが附かなくなってターム論で理屈こねているのか。意味ねー。
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei
物語じゃなくて小説だったら、四〇〇ページの内の三五〇ページから読んで、それ以前の三五〇ページ分について具体的に批評してもいいことになるんだったら、文芸批評って何だって話になるだろう。
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei
どうしようもない初歩的な過ちをやっているんだから、何を言い繕っても意味ないよ。
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei
これが町山氏だったら、そこでそう謂うことを感じたなら「それ以前の一三二話分の録画を取り寄せて全部観た」くらいのことはやるよ。たとえ、観た結果それに意味がなくてもね。
たま @tamatakemoto
@chronekotei こんにちは、黒猫亭さん。美術評論家さんの「小説に近い」ツイートには唖然としたです。批評家として致命的ともいえる大ブーメランに驚愕しました ι(´Д`υ)
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei
@tamatakemoto あれはもう大本のロジックが間違っているので、言葉の足し算で言い繕ってもどうしようもないんですけどね。
たま @tamatakemoto
@chronekotei そうですよね (◞‸◟;) なんというか、別の分野とはいえ、専門家の方なのに、あの準備のなさ加減、雑な全体の捉え方に悲しくなるというか。美術が専門とはいえ、「批評」というものにもうちょっと骨を折っておくれよ・・と。
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei
@tamatakemoto 雑なことを言っちゃダメなのは、文芸でも自然科学でも同じことなんですよ。文芸だからロジックは関係ないって話にはなりませんから。
たま @tamatakemoto
@chronekoteiうんうん、そうですよね。ましてや、その道のプロならば。むぅ、いや・・己も気をつけねば。文芸批評も自然科学も、対象に向かい合う時は、逆にその方の誠実さがあぶり出されてしまいますのぅ~。
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei
@tamatakemoto 人間が自分の意見を表明する時には、いずれにせよ論理が重要になるんですよ。
たま @tamatakemoto
@chronekotei うむー、そうですよねぇ。その思考や議論の筋道は、自分の意見は、整合性があるか、、意見を言うってことは逡巡と推敲の繰り替えしですよね。おいらの反応がノロノロなのに丁寧なお返事ありがとうですー。夕飯づくりに離脱いたしますー。
kikumaco(10/21中野11/10がもよん) @kikumaco
「1Q84」の三巻目だけ読んで、「1Q84」を論じるとか
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei
@kikumaco 事実としてそれ以前は観ていないんだから、観た分だけ切り出して論じるにはそれなりの手続が要るのだし、それで言い得ることと言い得ないことは論理的に決まってくるわけです。それが評論のメソッドと謂うものじゃないでしょうか。
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コメント

luckdragon2009(rt多) @rt_luckdragon 2013年9月7日
クドカンの言葉 「震災を描くことによって何かのメッセージを送るということでなく、それを含めて元気になってもらえるような楽しめる作品にしたい」
luckdragon2009(rt多) @rt_luckdragon 2013年9月7日
既に回答はされていると思うよ。
luckdragon2009(rt多) @rt_luckdragon 2013年9月7日
http://otonakeikaku.jp/special/special_kudo2013_03.html の 3.11 あたりも読んでみてください。   「『あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。」
luckdragon2009(rt多) @rt_luckdragon 2013年9月7日
何回も書いているという事は、何回も問われたんでしょうね。 作り手の気持ちも、ちゃんと心に留めておこうよ。
kikumaco(11/30新宿12/14伊丹16難波) @kikumaco 2013年9月7日
作り手の気持ちなんか気にしないというのはポストモダン批評の基本かとは思いますが、見なくてもいいとまでいうとやりすぎなんではないかという気がする。わからないけど
富 ユタカ @lkj777 2013年9月7日
記事があってもなくても関係ない。何回も問われたかもしれないし、これからも当然問われ続ける。作り手の気持ちなんて関係ない。もはやそういうレベルを超えているのだろう。
soulstasis @soulstasis 2013年9月7日
原発問題入れるかどうかに触れるのは、テーマが真偽問題になっちゃうから表現論と絡ませるのはダメだと自分も思うけど、テレビドラマって映像、脚本、音楽、演技指導とかメッセージを伝える手段が分化してるし、別に脚本偏重でなければ、全部のお話の展開を見ないで批評するのはお行儀悪いという話にはならないと思うけど。上記の表現手段を完全にコントロール仕切った人間が監督していることがこの「あまちゃん」というドラマの独自な点になっているって話も聞かないし。
soulstasis @soulstasis 2013年9月7日
「作品の全体構造がこうなんだから、ここはこうなっていないとおかしい」と謂うロジックを選んだら全部見なきゃいけない、というのがすでに脚本偏重過ぎる発想と思う。「脚本が全体構造である」と言い切れる位じゃなきゃ、一部のシーンの繋ぎ方の構成とか、とある一シーンの俳優の演技の意図とかから「ストーリとかセリフの点では明確にされてない作り手の本音が出ている」系の批評が出てくるのを全て切り捨てるのは不可能でしょ。
soulstasis @soulstasis 2013年9月7日
「今出て来た子かわいい」とか、衣装派手とか、ここでこんな表情に変わったとか、画面が明るい場面になったとか、この音楽変とか、脚本セリフ以外からも洪水のように記号化された表現が押し寄せてるのを誰もが「普通に楽しんでる」のに、後で視聴体験を再構成して良さと意義について誰かに言葉を尽くそうとすると「物語」をどう感じたに話が収斂する傾向にあるのは何故だろう。
hiroharu.minami @hiroharu_minami 2013年9月7日
黒猫亭さんの言う『「作品の全体構造はどうあれ、文芸でこの素材を扱うならこうでないといけない」と謂うなら、それは単なる政治的意見』 と言うのが椹木氏のツィートからあからさまに感じられて、そこが個人的には非常に気に障ったなあ。
hiroharu.minami @hiroharu_minami 2013年9月7日
赤旗投書欄とかの 「この作品には反戦のメッセージが全く感じられない!!」 を読んでしまった時のゲッソリ感みたいな。ww
luckdragon2009(rt多) @rt_luckdragon 2013年9月7日
単なるモンスタークレーマーにしか見えない。他人を、自分の道具みたいに扱う人はね。
luckdragon2009(rt多) @rt_luckdragon 2013年9月7日
こう言い換えようか。 「他人」と「自分」の、「意見の相違に配慮しない」と、単なるごねているだけの、大きな子供、モンスタークレーマーにしか見えない。(相手の意見を聞かない人の、意見を聞く必要あるか?)
soulstasis @soulstasis 2013年9月7日
猫の人が、全部読んで作品の全体的な説話構造の解析をしないと、物語/小説について語れないとかいってるけど、蓮實センセイはぜんぜんそんなこと書いてない。
soulstasis @soulstasis 2013年9月7日
蓮實センセイがいったのは、物語的なるものっていうのは、説話的構造の引力に全体が引っ張られてるから、「ああこういう話の組み立てだな」と見てる側が思う所に工夫なくそのまま落とし込んでいくためにいつも同じようなものでしかなく、逆に近代的な芸術としての小説は細部の言い回しや構成の妙を重視することの作用で説話論的構造の引力から逃れてるから個別性があるという区別。
soulstasis @soulstasis 2013年9月7日
このルールに基づく読み手としては、当然途中で説話論的構造の引力に負けた作品かどうかある程度判断はつくはずだし、蓮實センセイは反論させないために最後まで見て証拠を突きつけてるだけで、個人としてジャッジする際にどこまで見ないといけないとか基準を定めたものではない。
soulstasis @soulstasis 2013年9月7日
ドラマの政治利用みたいな話を真顔でしてる人を叩くのは結構だけど、そのタイミングで批評家の言ったことについて変に拡大解釈して説明をするのはよくない。
soulstasis @soulstasis 2013年9月7日
http://d.hatena.ne.jp/MOGURAmaru/20100428/1272464207 にある通り、(説話的構造の引力っていう上の言い方は違うけど)「説話論的な磁場が生成」されるのは専門家的な知と物語を知ること/語ることが完全に分離してしまったのが現代である、ということを背景にしてる。だから「物語を知ってるから何がしかについて解説できる知がある」っていうのは逆だと思う。
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