寺田寅彦読書メモ集

『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫、全5巻)を読んだツイートをまとめてみました。
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荒木優太 @arishima_takeo

↓レヴィナス的に、極めて重要な知見だと思う。

2013-09-02 12:02:53
荒木優太 @arishima_takeo

毎日変わっている顔の歴史を順々にたぐって行けば赤ん坊の時まで一つの「連続」を作っているが、これを間断なく見守っていない他人に向って子供の時の顔と今の顔とを切り離して見せてそれが同人だという事を科学的理論的に証明しようとしたらずいぶん困難な事だろう。by寺田寅彦「自画像」

2013-09-02 12:02:30
荒木優太 @arishima_takeo

『寺田寅彦随筆集』第一巻読了。頭が回転しすぎてバターになりそうだ、トラだけに。時々アランを読んでいるかのような印象を受ける。宛名不明で突如球根が送られてきた奇談「球根」は、随筆というより名短編小説といっていいと思う。あと、猫好きなら「ねずみと猫」は必ず読むべき。ネコネコする。

2013-09-02 18:56:29
荒木優太 @arishima_takeo

寅彦の文章には「確率=蓋然性(プロバビリティ)」という言葉がよく出てくる、そして「偶然の合致」で始まる小話の多いこと。震災以降、地震予知関係で読み直しが進められているのかもしれないが、本領はここにあると私は思っている。何より、独歩の『運命』を漱石に勧めたのが、他ならぬ彼なのだ。

2013-09-02 19:17:07
荒木優太 @arishima_takeo

「人間の精神の世界がN元のものとすれば、「記憶」というものの欠けている猫の世界は(Nー1)元のものと見られない事もない」(寺田寅彦「子猫」)。…お前は何を言っているんだ?

2013-09-03 18:29:41
荒木優太 @arishima_takeo

永代橋から一樽の酒をこぼせば、その中の分子の少なくもある部分はいつかは、世界じゅうの海のいかなる果てまでも届くであろうように、それと同じように、楽器でも言語でも、なんでも、不断に「拡散」を続けてきたものであるように思われる。by寺田寅彦「日本楽器の名称」

2013-09-03 18:44:46
荒木優太 @arishima_takeo

原子電子の存在を仮定する事によって物理界の現象が遺憾なく説明し得られるからこれらが物理的実在であると主張するならば、雷神の存在を仮定する事によって雷電風雨の現象を説明するのとどこがちがうかという疑問が出るであろう。by寺田寅彦「化け物の進化」

2013-09-03 18:52:14
荒木優太 @arishima_takeo

化け物をいかなる程度まで科学で説明しても化け物は決して退散も消滅もしない。ただ化け物の顔かたちがだんだんにちがったものとなって現われるだけである。人間が進化するにつれて、化け物も進化しないわけには行かない。しかしいくら進化しても化け物はやはり化け物である。by寅彦「化け物の進化」

2013-09-03 18:55:22
荒木優太 @arishima_takeo

化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。宇宙は永久に怪異に満ちている。あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。by寺田寅彦「化け物の進化」

2013-09-03 18:58:35
荒木優太 @arishima_takeo

『寺田寅彦随筆集』第二巻読了。とんちがきいてて屏風感がある、トラだけに。ある子猫を死んだ猫の子供と錯覚する「(Nー1)元」問題は、可能世界的、或いはパラレルワールド的問題意識が垣間見れて面白かった。そこには、ルクレチウス受容から一気に躍動する偶然性の思想が伏流しているのだろう。

2013-09-03 19:09:53
荒木優太 @arishima_takeo

「ドイツ人は俳諧の持ち合わせの最も乏しい国民である。彼らはたとえば、呼び鈴の押しボタンの上に「呼び鈴」とはり札をし、便所の箒には「便所の箒」と書かなければどうも安心のできない国民なのである」(寺田寅彦「連句雑俎」)。PC的にアウト、というか、今の日本は普通にこんな感じじゃないか?

2013-09-04 12:18:44
荒木優太 @arishima_takeo

『寺田寅彦随筆集』第三巻読了。鬼のように面白かった、トラだけに。一番の読み処は独特のモンタージュ論。寅彦にとって連句も映画も花道も絵巻物も組み合わせの芸術に他ならない。ここで想起すべきなのは彼がルクレチウスに心酔していたという事。モンタージュとは偶然の衝突から誕生する宇宙なのだ。

2013-09-05 18:34:47
荒木優太 @arishima_takeo

寺田寅彦は処々で、プロレタリア文学との距離を暗示している。が、楜沢健が葉山嘉樹にシュルレアリスム的偶然性の美学を読み、中村三春が多喜二にモンダージュ的手法を見出した事を考えた時、寺田とプロ文との距離が何程のものか、疑問だ。きっと関東大震災以後のモダニズムについて考えるべきなのだ。

2013-09-05 18:41:16
荒木優太 @arishima_takeo

寅彦「連句雑俎」。寅彦は、連句の句と句の「面」を「複雑に連絡した一種のリーマン的表面」に比し、その間で「界面現象」が生じるのだという(お前は合田正人なのか)。これは別に記された、連句作者の「一種の共同制作」性、つまり「集合人」としての作者の「界面」についても妥当せねばならない。

2013-09-05 19:06:51
荒木優太 @arishima_takeo

無論、連句の「共同制作」性は寅彦にとって「モンタージュ」的手法として理解される。だから寅彦にとって連句と映画は極めて近い芸術形式なのだ。そして、繰り返すが、ここで楜沢健が葉山を例にプロレタリア文学の共同制作性について論じていたことを強調せねばならない。この辺で論文書きたい。

2013-09-05 19:09:34
荒木優太 @arishima_takeo

後、興味深いのは寅彦が連句解説にフロイトの『夢判断』を持ち出している処だ。「顕在的な「夢内容」の底には潜在的な「夢思想」なるものが流動している」。これと同じく作者の意識と繋がった一句(内容)は文脈としての前後句(思想)と繋がり、結果的に潜在的共同意識がその場に立ち上がる。面白い。

2013-09-05 19:16:17
荒木優太 @arishima_takeo

『寺田寅彦随筆集』第四巻読了。昭和8、9年のもの。10年には死んでしまうから晩年作の数々といっていい。個人的には大正から昭和初期にかけてのものが最も脂がのっていると思う。ただ、一点「錯覚数題」(s8・8)で、「転向」問題を偏光を生じさす「プリズム」の比喩で語っているのは興味深い。

2013-09-07 17:35:24
荒木優太 @arishima_takeo

大事な事を書いておこう。漱石『明暗』には清子喪失に関して「ポアンカレー」の「偶然」論を関連づける箇所がある。これは実は寺田寅彦から学んだもので、寅彦は『明暗』連載前年に『科学と方法』内二篇を訳して発表している。彼は単に『吾猫』の寒月や『三四郎』の野々宮のモデルだった訳ではない。

2013-09-07 19:03:46
荒木優太 @arishima_takeo

「高知では正月の十四日の晩に子供らが「粥釣り」と称して近所の家を回って米やあずきや切り餅をもらって歩いて、それで翌朝十五日の福の粥を作るという古い習慣が行われていた。素面ではさすがにぐあいが悪いと見えてみんな道化た仮面をかぶって行く」(寅彦「自由画稿」)。それ何てハロウィーン?

2013-09-09 19:17:49
荒木優太 @arishima_takeo

「口々にわざと妙な作り声をして「カイツットーセ」という言葉を繰り返す。「粥釣りをさせてください」という意味の方言なのである」(寅彦「自由画稿」)。で、お粥をくれないとイタズラするわけですね、わかります。

2013-09-09 19:21:02
荒木優太 @arishima_takeo

ある年の暮れから正月へかけてひどく歯が痛むのを我慢して火燵にあたりながらベルグソンを読んだことがある。その因縁でベルグソンと歯痛とが連想で結びつけられてしまった。彼の「笑い」までが歯痛の連想に浸潤されてしまったのである。by寺田寅彦「自由画稿」

2013-09-10 18:43:17
荒木優太 @arishima_takeo

『寺田寅彦随筆集第五巻』読了。最晩年の諸作。彼は何度も自分が「エゴイスト」であることを強調しているが、その点でも芥川龍之介と並べてみるのは面白いと思う。偶然性を何度も記述しつつも、昭和10年の偶然文学論争には言及なし。口を開いたならば、中河与一の力強い味方になっていただろうに。

2013-09-10 19:08:02
荒木優太 @arishima_takeo

「災難は優良種を選択する試験のメンタルテストであるかもしれない。そうだとすると逆に災難をなくすればなくするほど人間の頭の働きは平均して鈍いほうに移って行く勘定である」(寅彦「災難雑考」)。寅彦…Twitterやってなくて良かったな…こんなこと言ったら一発で炎上必至だぞ。

2013-09-10 19:15:11
荒木優太 @arishima_takeo

これは全くよけいなことであるが、「人間」の人間であるゆえんもやはりその人間と外界との「境界面」によって決定されてるのではないか。境界面を示さない人間は不可視人間であり、それは結局、非人間であり無人間であるとも言われるかもしれない。by寺田寅彦「自由画稿」

2013-09-10 19:20:32