シンポジウム「making up people:イアン・ハッキングの歴史的存在論」拾遺(2013年9月12日)
- contractio
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2013年9月10日
9月12日
イアン・ハッキングは、社会学者ではないので、社会の実体視という事態への反省が弱いし、興味もないのだろう。
2013-09-12 07:55:11だが、「xは社会的に構成される」と言うことによるxの相対化という効果を述べながら、xを構成するとされている「社会」の方を平然と実体視するのは、実体化の一段ずらしでしかないからつまらないよなぁ〜と思う。(遠藤知巳が『言説分析の可能性』で似たようなことを言っていたような、、よみなおそ
2013-09-12 08:01:39@contractio 私は「構成」の対概念として使っていました。
2013-09-12 09:21:40構成主義は、実体だと思っていたものが実は作られたものでした、という相対化をするのだけれど、それを作る社会はなんとなく実体だと思っている、それってなんかおかしくないか?!という疑問です。
2013-09-12 09:25:28あ、急いで付け加えておくと、ハッキングの歴史を扱った仕事はおもしろいと思います。『偶然を•••』とか!
2013-09-12 09:26:43@contractio それはうまく見通せていないのです、申し訳ない。シンポジウム中この気持ち悪さと、making upとの関係を考えていたのですが、、。 そういうわけでハッシュタグなしの、個人的つぶやきというかたちで、とりあえず出力してみました、、。
2013-09-12 09:30:23@Schnee05 では、このツイート(https://t.co/MorM0Tfd2v)と、ハッキングによる「社会構築主義」に対する批判との関係については如何。
2013-09-12 09:41:08@Schnee05 別言すると──もし私の勘違いだったらすみませんが──、幾つかのツイートは、もともと「社会的構築という考えもその名前も使わないようにしています」って仕方で行われている仕事を、しかし敢えて〈実体/構築〉の二分法で捉えようとしているように見えました。
2013-09-12 09:54:37読みなおした。かつて何度も読んだはずなのに、私が覚えていた以上のことが書いてあって驚いた。(いつものことだが) 「言説分析とは、社会の全体性や、全域を見渡す超越的視線を、それと気づくことなく執拗に想定させる何かとの闘争である。」(55頁)
2013-09-12 09:46:40ジンメルもそういうものと闘っていたように思う。(それはカント的なものだとジンメルには見えていただろう) だから、社会の全体を見渡すような視点、歴史的相対性や社会的相対性を作り出す歴史や社会を実在と捉える見方は、大事なところを潰してしまいそうだ、というかんじがする。
2013-09-12 10:11:24@contractio なるほど。「社会的構築という考えもその名前も使わないようにしています」っていうのは、たとえば『何が』の「社会的は余計か」(95頁)や、115-6頁あたりの話であっていますか?もしそうだとすると、これは社会的は冗長だから「構成」だけでいいよねって話なので••
2013-09-12 10:45:14@Schnee05 [B]「xは社会によって構成される」 ということであって、しかも [C]この主語「社会」には、実体と呼ぶのが相応しい特徴を担わされている というくらいのことだと理解してよいですかね。
2013-09-12 10:47:13@Schnee05 もし私の翻訳 [B] が適切であるなら、あとは、「実体」という言葉で以て どんな特徴を考えているのかを教えていただければ、そこでハッキングの議論との比較を──「社会」という言葉を使わずに──始められそうですが。
2013-09-12 10:52:08そもそも遠藤論文は──もう何を書いてあったか覚えてないけど──「社会の全体性や全域を見渡す超越的視線」とやらがどういうもので、それの何がよくないのか ちっとも書いてなかったような気がする。 http://t.co/dxi9wkQFRi http://t.co/sqZWdTxOh5
2013-09-12 11:06:41