



NA:3月12日は、福島第一原発の1号機で爆発が起こり、原発から20キロ圏外の津島地区には、多くの人たちが避難してきていたのです。
原発事故が起きていたにも関わらず、津島地区では、住民の避難に関する指示はありませんでした。
関根:結局、何の情報も入りませんから。原発、1号機が12日に爆発して、14日に3号機が爆発しても、何の情報も入ってこないわけですよ。放射能のことに関してのね。ですから、そこに避難している人たち、原発から大体28kmぐらい離れていますから、何のあれもなくてね。みんな普通に避難所でくつろいでいたり、散歩したり表に出たりとかね、そういうのやっていましたよ、みんな。ただ、一つだけ不思議に思ったのは、自衛隊員とか警察官がそこに、津島地区に入ってくる人たちは、すべて防護服を着て、完全装備で入ってきていたと、いうことはね、不思議に思っていたんですね。何であんなのを着て入らなくちゃいけないのかな。着てこなきゃいけないのかなっていう感じでは見ていたんですよね。
誰も危機感は感じていなかったですよ、その放射能の汚染に関しての。我々も全くそんなことは感じなくて、部屋の中でね、診察していただけですから。全くそのことに関してはね、あまり危機感はなかったですよね。
NA:町が住民に、隣の二本松市へ避難するよう呼びかけたのは、震災から5日目の15日になってからでした。
この日の午前6時ごろには、4号機で爆発、2号機も損傷しました。
関根さんも、この日、最後の患者を送り出したあと、避難しました。
浪江中
3月12日 1284人
3月13日 764人
3月14日 729人
3月15日 638人








