浪江町津島からの脱出 2011年3月15日
- HayakawaYukio
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【浪江町国民健康保険津島診療所】住所は、 福島県双葉郡浪江町下津島町12−1 で、早川マップ(8訂版)で8μSvエリア。 http://t.co/44wdCoKhwY
2013-09-09 17:32:15浪江町は3月15日午前10時より二本松市へ住民避難が開始された。避難手段は、町所有のバス、民間バス会社のバス数台と自家用車で、バスでピストン輸送した。避難には翌日の16 日までかかったと報告されている。 関根俊二医師が浪江町を脱出した時間は知らないが、15時ではないと推測する。
2013-09-09 18:16:46@HayakawaYukio このPDFの11ページをご覧下さい。 http://t.co/5QQiozzRL1 http://t.co/jz7u8IO8Jx
2013-09-09 20:09:48@HayakawaYukio こういう動画も。→2011年3月分のガラスバッジ0.8mSv。→津島診療所・関根医師⇒証言 被ばくしていた診療所 NHK 東日本大震災アーカイブス http://t.co/FzbpsOcWY2 (https://t.co/oK6RPPqKBA)
2013-09-09 20:23:51NA:3月12日は、福島第一原発の1号機で爆発が起こり、原発から20キロ圏外の津島地区には、多くの人たちが避難してきていたのです。
原発事故が起きていたにも関わらず、津島地区では、住民の避難に関する指示はありませんでした。
関根:結局、何の情報も入りませんから。原発、1号機が12日に爆発して、14日に3号機が爆発しても、何の情報も入ってこないわけですよ。放射能のことに関してのね。ですから、そこに避難している人たち、原発から大体28kmぐらい離れていますから、何のあれもなくてね。みんな普通に避難所でくつろいでいたり、散歩したり表に出たりとかね、そういうのやっていましたよ、みんな。ただ、一つだけ不思議に思ったのは、自衛隊員とか警察官がそこに、津島地区に入ってくる人たちは、すべて防護服を着て、完全装備で入ってきていたと、いうことはね、不思議に思っていたんですね。何であんなのを着て入らなくちゃいけないのかな。着てこなきゃいけないのかなっていう感じでは見ていたんですよね。
誰も危機感は感じていなかったですよ、その放射能の汚染に関しての。我々も全くそんなことは感じなくて、部屋の中でね、診察していただけですから。全くそのことに関してはね、あまり危機感はなかったですよね。
NA:町が住民に、隣の二本松市へ避難するよう呼びかけたのは、震災から5日目の15日になってからでした。
この日の午前6時ごろには、4号機で爆発、2号機も損傷しました。
関根さんも、この日、最後の患者を送り出したあと、避難しました。
9月14日
3月15日17時35分、津島中に避難していた方々は脱出完了しました。当時の職員室板書。 http://t.co/psH6WZGvID
2013-09-14 14:18:19浪江中
3月12日 1284人
3月13日 764人
3月14日 729人
3月15日 638人
@spicacat777 このひとたちが3月15日に津島から脱出した理由は何だったのですか?ばくぜんと原発に近すぎるからですか、それとも風向きがこっちにくることに誰かが気づいたのですか?それとも14日の深夜からベントを始めたので東電あるいは国からの指図ですか?
2013-09-14 14:33:06@HayakawaYukio 国、県からの指示は一切無く、線量計を手に持った東電下請けの方が役場職員にここは危険だから出たほうが良いと告げたそうです。その方は飯舘に向かったと避難所で接触した同級生から聞きました。
2013-09-14 14:40:37「町が住民に、隣の二本松市へ避難するよう呼びかけたのは、震災から5日目の15日になってからでした。この日の午前6時ごろには、4号機で爆発、2号機も損傷しました。関根さんも、この日、最後の患者を送り出したあと、避難しました。」NHK
2013-09-14 14:42:39@spicacat777 それは貴重な情報です。詳しく教えてください。3月15日の何時ころでしたか?15日午前に示唆を受けて、その日のうちに脱出できるだろうか。
2013-09-14 14:44:17@HayakawaYukio 14日の夜から役場職員がすでにいろいろ話合いを始めていたとの事で、15日早朝は避難所から外出禁止令が出てました。外に出たらそのまま避難所には戻ったりしないようにと言われたそうです。ベントの情報や降雨情報から決断したと思われます。
2013-09-14 14:51:21@HayakawaYukio 線量計を持った人は14日にきたそうで、ヨウ素剤を持参してきたとの事でした。でも避難所にいる人全員には渡らない数だったのでそっと知り合いだけに手渡していたとの事でした。同級生は貰ったそうです。
2013-09-14 14:58:21@spicacat777 14日11時の3号機爆発がその警告行動を促した気配ですね。町が取った対策は、30キロ地点から60キロ地点への退避だったわけです。風は南に向かっていたので、風向きを気にしてではなかたような。
2013-09-14 15:07:43浪江町民避難の記録 を読み返すと‥ヨウ素剤は15日朝に津島各避難所で配布されたと記録あり。実家のみんなは7時30には出てきちゃったから貰わず。
2013-09-14 15:07:46@spicacat777 津島は結果的にひどく汚染されましたが、すぐお隣の葛尾はさほどではありません。原発にもっと近い川内の汚染は軽微です。津島がひどく」汚染されたのは単純に不運でした。3月14日、津島は浪江町のひとが大勢避難していたために注目されたのでしょう。
2013-09-14 15:11:23@HayakawaYukio 確かにそうですね。結果的に汚染されてしまいました。津島中には14日にヨウ素剤一箱配られたのですが、飲むのは個人判断に任されました。津島小でも配布したと記録にありますが、その外の避難所はわかりませんでした。
2013-09-14 15:21:12