茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1042回【正しい/正しくないよりも、好き/きらいの方が時に深い】連続ツイート
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たす(1)講演会などで、ときどきふと思いついて、「きのこの山」と「たけのこの里」のどちらが好きですか、と聞いてみる。すると、本当に見事に半々に分かれる。原材料をたどれば、チョコレートとビスケットということは変わらないのに(つまり胃に入れば同じなのに)、好きな方がはっきりしている。
2013-09-22 06:29:01たす(2)好ききらいには、理由も論理もない。例えば、私は何を隠そう卵焼きが苦手である。そう言うと、たいていの人はえっ! と言う。大根おろしと醤油がついていれば何とか食べられるが、そうでないとそんなに食べたくない。でも、出たら仕方がないから真っ先に食べる。
2013-09-22 06:30:14たす(3)好ききらいには、過去の経験が投影されているようである。ある方は、干しぶどうが苦手だと言っていた。学校給食で出た、おいしくないぶどうパンを無理矢理食べていたら嫌いになって、今でも、チーズと一緒に出てくる高級な枝付き干しぶどうを含めて、ダメだというのである。
2013-09-22 06:31:33たす(4)学校教育は、答えのある問題に正解することを重視しがちである。つまり、「正しい/正しくない」が大切だと教える。それはそうかもしれないが、往々にして、「好き/きらい」の方が人生で重大な影響をもたらす。知らず知らずのうちに、人生の方向性が定まっていってしまうからだ。
2013-09-22 06:33:26たす(5)政治的論争は、「正しい/正しくない」という次元でとらえられがちだが、実は背後に「好き/きらい」が隠れていることが多い。むしろ、脳のメカニズムとしては、「好き/きらい」の判断が先にあって、それを「正しい/正しくない」の論理で偽装して正当化しようとする場合が多い。
2013-09-22 06:34:56たす(6)「正しい/正しくない」という論争は、答えが一つしかないと思い込んでいるから、執拗なものになることが多い。一方で、「好き/きらい」の問題は、何しろその人の好みなのだから、「正解」が複数あっても仕方がないと自然に納得する。「きのこの山」と「たけのこの里」のように。
2013-09-22 06:36:08たす(7)「正しい/正しくない」の論争よりも、「好き/きらい」の論争の方が、だから自由で、多様である。同時に、それは心細い。「正しい」と思っていれば、その上にふんぞりかえることができるが、「好き」というのはあくまでも自分の勝手だから、世界の中にぽんと投げ出されたような気がする。
2013-09-22 06:37:19たす(8)だからこそ、「正しい/正しくない」よりも、「好き/きらい」の方が、時に深いと思う。つまり、世界にはたくさんの可能性があるのだけれども、自分の「好き」が照らし出す細い道を、それぞれが歩むのである。自分の体重を、そこに載せる。誰も助けてくれない。ただ行くのみ。
2013-09-22 06:38:32たす(9)「好き」には、自分の生来の志向性に加えて、今まで出会ってきたものたち、経験してきたもの、すべてが込められている。つまりは、「好き」は人生の集大成。だからこそ、自分の「正しい」よりも、自分の「好き」を大切にしたい。心細いけれども、「好き」を大切に育みたい。
2013-09-22 06:39:47