「本格ミステリ」はなぜフェアでなければならないのか
フェア/アンフェアか…。そもそもの問題は「なぜ」フェアプレイが必要かだと私見では思うんだな。作者と読者が同じフィールド/ピッチに立つために必要だからでは? 作者が「絶対」ではないことがミステリの面白さの根底にあるのであって、読む「行為」が作品に介入するための「前提」なのだと思う。
2013-09-22 11:34:44作者と読者の双方向性を提供していた雑誌で、それまで作者という「神」(ディケンズ)が一方的に供するモノだった作品に、読者が「投書」という手立てで介入する(E・A・ポー)ことからミステリというムーブメントが生じたのだとすると、インターネットの概念を先取りしているとも言えよう。
2013-09-22 11:50:39従来の小説へのカウンターとしての文芸運動なわけで、インターネット同様、当時の読者(将来の作者)が、ミステリにある種の熱狂を覚え、歓迎したことも十分納得できるのではないか?
2013-09-22 11:53:18.@mihororo さんの「本格ミステリの「フェア/アンフェア」‥というか某作品の話」をお気に入りにしました。 http://t.co/oWB7PbGh1R
2013-09-22 21:21:00むしろフェアプレイが「なぜ」必要なのかなのでは? 前提を明らかにしないままフェア/アンフェアを論じても百人百様になるのは自明のことと思われてならない。 http://t.co/QLZPMdjQpm
2013-09-22 21:27:28.@mihororo さんの「本格ミステリの「フェア/アンフェア」 その2」をお気に入りにしました。 http://t.co/gAx9YP0RUE
2013-09-23 04:59:35「本格ミステリ」が「フェア」であることが望ましい理由とは何かをまず考える必要がある。その場合「本格ミステリ」とは何ぞやという定義を避けることは出来ないだろう。そうなると「ミステリ」とは何か、「本格」とは何かから順番に説き起こさなければならない。すべからく手順を省きすぎているのだ。
2013-09-23 05:20:21そうなると、およそ「本格」とはかけ離れた「雰囲気」に頼らざるを得ないし、理論づけようとすると別の学術用語(哲学など)を援用・乱用することになる。「ミステリ」は「ミステリ」自身の言葉でもっと語られねばならないだろう。援用したはずのモノに逆に引っ張られていては本質から遠のくばかりだ。
2013-09-23 05:27:58「ミステリ」をそれまでの小説ジャンル全般に対する「ネタ化」のムーブメントと捉える見方はすでにつぶやいたことがあるが、それを数式化すると「作者(作品)⇒読者」から「作者⇔作品⇔読者」への変容と定義できる。作品は作者の占有物から読者の作品参加へと舵を切ったのだ。
2013-09-23 08:54:11作者が提示するのは例えば空欄のある問題用紙としよう。それは問題用紙として「完成」している。しかし足りない。そこに読者が解答を書き込むことで、その試験用紙は「完成」する。読者の力量によって得点はバラつくだろう。出題に穴があれば、作者に突っ込みを入れる権利だってある。
2013-09-23 08:59:15一方通行な関係性に双方向性が生じたのだ。ミステリ草創期の読者が熱狂し、やがて書き手として成長してゆく図式が出来上がるのに時間はかからなかったであろう。この下賜からフラットな状態への変化により、同一フィールドで作品という「盤」をはさんで向き合う上で必要なモノ、それがフェアプレイだ。
2013-09-23 09:10:08偶然の産物ではあろうが、ワトソンが持っている属性にそれらは集約的に現れている。「私=記述者(作者)=読者の代理=探偵と同等の見聞」と、何役も兼ねている。特に「作者=読者」は重要だ。作品の構成要素には読者自身が包摂されている。ゆえにアンフェアは作品の構成要素たる読者否定であろう。
2013-09-23 09:20:18作品に読者が介入できることが大きな魅力であったものが、乖離させられるのであれば魅力は激減だし、それが読後の違和感の正体のようにも思える。無観客試合を録画放送されても萎えるばかりだ。レベルの違いで同じピッチに立てぬとしてもせめて同じスタジアムで応援はしたい。観客も試合の一部である。
2013-09-23 09:30:18作品の構成要素に「読者」が組み込まれる以上、純粋な「客観性」をミステリに求めるのは理論上無理かも知れない…。作品評価のバラつきは読解力や相性の差によるもので、ミステリ以外の小説でもままあることだが、ミステリではその違いが顕著に出るだろう。だが、その違いこそミステリの妙味なのだ。
2013-09-23 11:31:40思いつくまま補足すると小泉喜美子さんがミステリに追い求めた「泥臭くない」ミステリ(粋「いき」)を本格に援用すると「美しい問題用紙」なのかなとも思う。出題センスはやはり重要であろう。小中高大で数え切れないほどこなしたテストの中にはそのセンスにうっとりした問題だってあったはずなのだ。
2013-09-23 15:52:13なんだ神田の明神下で、「視点」の問題は書き手としてぐ~るぐる考えあぐねてきた問題だけど、佐野さんにしても、それをいちいち問題にしている大本はフェア・アンフェアに抵触する場合があるからだ。伏線や証拠を提示する際に視点人物によってアンフェアになる表現なら、私はむしろ佐野さん寄りだ。
2015-03-22 16:55:55ただ、普通に情景や人物の動きを的確に即時的に描写する場合には、「視点」に拘ることでスピード感や感覚の共有にいらざるタイムラグを生ずることもしばしば起きる。読者だってイライラが募ることだろう。
2015-03-22 17:00:44「フェアプレイ」に支障をきたさなければ「視点」は可変にした方が、効果的カメラワークをフットワーク良く使いこなすことができる。近い例としては漫画の表現だろう。主人公の行動の解釈をする作中「視点」は対峙している相手や観戦しているモブや主人公自身の間を、もっとも効果的に切り替わる。
2015-03-22 17:07:12つまり「視点」に拘る意味や意義の大本である「フェアプレイ」を念頭に置かずに、ひたすら「視点」の厳密性を云々かんぬんすることこそ、厳に慎まねばならないことなのではないか。(「視点」の部分に十戒や二十則のような「ルール」を当て嵌めても同様だが)
2015-03-22 17:15:20