2013年9月、東京 ---「ことばの空虚さ」をめぐって

2013年9月上旬、長く続いてきた東京へのオリンピック招致活動が最終局面を迎え、知事や首相、著名人らのスピーチが話題となった。 下旬には、アンチ・レイシズムのデモが新宿界隈で行われ、2000人程度の参加者を集めたと報じられた。 そんな東京の世相に関する、dabitur氏のtweetをまとめた。
東京 TOKYO
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dabitur @dabitur
なんかオリンピック招致イベントと東京大行進を見てしまったせいで、「東京」や「TOKYO」のイメージが醜悪なものになってしまったなとふと思う。
dabitur @dabitur
311でも似たようなことを思ったが、それはあくまで中央集権的な体制の醜さであって、べつに東京という都市やそこに住むひとにはあまり感情は湧かなかった。ずっと石原慎太郎を支持してきた都民は好きではなかったが、理解できる面もあったし、決して醜いと感じたことはなかった。
dabitur @dabitur
しかし、最近感じるのは、中央集権的な体制がまずいとか(原発のことである)人種差別的発言を繰り返す都知事がどうとか(猪瀬のことだ)といった善悪の判断ではなく、美的な判断である。東京が悪いのではなく醜いと感じられるようになってきてしまったのである。
dabitur @dabitur
これはどういうことなのかなと思っていろいろ考えてしまった。オリンピック招致イベントも東京大行進も、今でもインターネットで動画でいろいろ見ることができて、それをみてもとくに醜いとは感じない。滝川クリステルは美人だし、スーツ姿の男性陣もスマートに見える。ではなにが醜く感じさせるのか?
dabitur @dabitur
それはことばの空虚さである。「東京」や「TOKYO」をかかげながら発せられることばは、オリンピック招致イベントでも大行進でも、意味や内容が軽く、異論からは遠く距離をおき、対話や批判を気にしない。アレント風にいえば、「活動」の契機が不在のように感じられるのである。
dabitur @dabitur
90年代や00年代のことを思い出すと、ことばが空虚というのは、べつにいまにはじまったことではないのかもしれないが、以前はべつに「東京」を冠したことばがとりわけ空虚だと感じたことはなかったと思う。最近はそうではなく「東京」を冠したことばがとくべつに空虚なのである。
dabitur @dabitur
だから、たとえば、ツイッターでロケーションに"Tokyo"と書いてあると(悪いとかではなく)ダサいと感じるようになってしまった。べつにそのひとに罪はないのだが、それはある日ある場所が急激に観光地化することによって、意味が変わるのと似ている。
dabitur @dabitur
オリンピック招致イベントや東京大行進の東京ブランディングが失敗したと言いたいわけではない。そうではなく、成功していると思う。おそらく成功したがゆえに、ださく感じられるのだと思う。
dabitur @dabitur
iPhone5s/cのようだと言ってもいいかもしれない。売れてないわけではなく、スマートで魅力は十分にあり、今後もアップルの成功は当分ゆるがないのだが、ダサいのである。
dabitur @dabitur
まあこの印象は、ここ一ヶ月程度のあいだの招致イベントと東京大行進の狂騒に由来するので、数ヶ月後にはすっかり忘れてしまうかもしれない。それならそれでよい。いいところはたくさんあるのに、なんだかダサいイメージの首都、というのも前代未聞でおもしろいと思うが。

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