モーサイダー!~Motorcycle Diary~Episode of Summer X~
- IngaSakimori
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その日その時、そしてその夜は水曜日である。 「さて……彼は来ますかな。待ち合わせの時間はもう過ぎましたが」 「あいつはいつも少し遅刻してきましたからね。そろそろでしょう」 人目を忍ぶように、八王子駅前の小さな飲み屋へ集まった、二人の男がいる。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:06:08片や白髪の紳士。そして、もう一人は女性と言っても通ってしまいそうなほど中性的な━━なおかつ若々しい顔つきの男。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:06:22すなわち『深紫(ディープパープル)のYZF-R1』の主である谷川淳(たにがわ じゅん)と、日原院亞璃須の執事であるところの吉脇秀護(よしわき しゅうご)は、一杯目の酒を打ち交わすこともなく、かれこれ十五分ほど雑談に興じていた。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:07:11「それにしても、すっかり行方知れずになっていたとか思っていましたが、まさか谷川君とだけは連絡をとっていたとは……」 「吉脇さんが僕のことを『盟友』と言ってくれるように、僕にとってはあいつがそうです。 縁を切ろうと思っても、そうはさせません」 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:07:25「ふふふ、なるほど。 あなたから逃げるには、彼は今一歩スピードが足りなかったというところですかな」 二人の男が微笑みを浮かべたそのとき。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:07:40「……ったく、人がいないと思って好き勝手言ってくれるじゃねえか……」 ぶっきらぼうというには粗野すぎる調子の声が一つ。 それでいて、歩み寄る影は不思議なほど存在感を伴っていない。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:07:56まるで幽霊が狙った者へ忍び寄るかのように、足音もさせず近づいてきた無精髭の男。 それは紛れもなく、先週末に大多磨周遊道路で志智のスパーダを追い詰めた、VTR250の乗り手であった。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:08:07「やあ、風男(かざお)」 「おう、淳(じゅん)」 数年ぶりに顔を合わせたにしては、シンプルすぎる挨拶の言葉。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:08:18それでいて、谷川淳と難西風男(なんぜい かざお)の間で交わされたハイタッチの音は、走り去るレーシングマシンの排気音にも似た高さで、店内に響きわたった。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:08:27(あの時のままだ……) その光景を吉脇は覚えている。 アマチュアレーサーとして活動していた頃の二人が耐久レースに出るとき、いつもこうして交代していたことを。 そして、表彰台の上に立つときも……。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:08:42「ま、淳の顔なんぞ見飽きたからどーでもいいんだが、吉脇さんがいらっしゃるとあっちゃあ、一応な……一応来てみただけさ」 「もう十年……いや、それ以上ですかね。お元気ですか、難西君」 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:08:54「はっ。俺みたいなオッサンを君付けしてくれるのは、今となっちゃ吉脇さんくらいのもんだ」 肩をすくめながらやれた帽子を取ると、難西はどっかりと椅子に腰を下ろす。そして、店員を手招きして、ビールと一言告げた。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:09:11「それじゃあ風男、吉脇さん。まずは乾杯ということで」 「再会を祝して」 「腐れ縁に、だ」 コップとグラスが打ち鳴らされる。そして、何かを思い出すように三人とも黙り込んだ。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:09:25最初に口を開いたのは、難西だった。 「淳。お前の言うとおり、周遊でそれっぽいボーヤには一応絡んでおいたがな」 「そうか。どうだった、お前の目から見て」 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:09:44「はん。どうもこうもない。へったくそだな、ありゃ」 まだ酒が回っている様子もないのに、難西(なんぜい)の頬はわずかに紅潮し、紡ぎ出される言の葉はどこか、たどたどしい。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:09:53「周遊の路面もわかっちゃいないくせに、コーナーの中盤までブレーキ引っ張ってやがるし、リアサスがきっちり沈んでないのに全開くれてやがる……あんなんじゃ、秋の落ち葉か冬の入りに塩カル踏んでドカンだ」 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:10:15「全盛期の小垂水だったらとっくに死んでるぜ。危なっかしいったらねーや。もう前も後ろも走りたくないね」 「くくくっ、相当見込みがあるらしいな。その言い分だと」 「ふん」 谷川が笑うと、難西は窓の外へ視線を向けながら鼻を鳴らした。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:10:36「吉脇さんは覚えていますか。こいつはこういう奴なんですよ。 いい腕だと思ったライダーは、とりあえずけなしてみるんです……昔からね。峠でも、サーキットでも変わらない」 「ええ、そうでしたね。私がサポートしていたときは、400でしたか……」 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:10:50「筑波んときですよ。 あのくらいの粋がったボーヤは一度最終コーナーでクラッシュでもしてみた方がいいんだ。バイクの怖さってのが、嫌というほど分かる。 そもそも━━」 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:11:12「僕はな、風男。 あの彼……三鳥栖志智(みとす しち)くんには、かなり才能があると思っているんだ」 難西の言葉を平然とさえぎり、谷川は言った。 一瞬、憮然とした顔を見せつつも、難西は沈黙する。それが示すものはイエスであることを、谷川はよく知っている。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:11:35「もう僕たちもいい年だ。 引退なんてお行儀のいいことは出来ないけれど、培ったものを後進に教えてあげるくらいのことは、してもいいと思うんだ」 「それは……否定しねーけどよ」 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:11:50「志智くんにお前の走りを見せてやってくれないか。 一期一会じゃない……もっと近く。もっと濃く。スプリントレースで、テールトゥーノーズのまま走り続けるように、だ」 「俺に頼む前に、お前がやったらどうだよ。 小垂水峠最速の『かっとび3MA(サンマ)』さんよ」#mor_cy_dar
2013-09-25 12:12:15「僕の走りならもう見せたさ。決して濃厚とは言えないかもしれないけどね。 それにどうせ見せるなら、同じ排気量の方がいい」 「……面倒くせえなあ……」 ため息をつきながら、首を振る難西の意志は━━やはり、態度に反してイエスである。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:12:27それから彼らは他愛もない話をいくつかした。 過去を懐かしみ、今を少し批判し、だが未来に期待した。 それは過ぎ去った栄光を胸の内に抱えた男達が、今だくすぶり続ける炎をなだめるための儀式だった。 #mor_cy_dar
2013-09-25 12:12:48