伊勢神宮には偽銘が刻まれている!?~伝説の名工、常保河内の謎を追う~

伊勢神宮別宮の風日祈宮(かざひのみのみや)に向かう風日祈宮橋。ここの欄干擬宝珠には、「嘉永六年」という銘が刻まれています。しかし偶然の発見から、これは偽銘=実際にモノが作られたのとは異なる年代を刻んだものではないか、という疑いが生まれました。本当のところはどうなのか。調査結果をふまえて考察します。
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大脇幸志郎 @0waki

遅くなりましたが、先日の熊野ツアー終着点の皇大神宮宇治橋で撮った写真です。 @ktgwtky @Luhmaniacpeople @k_hiraku http://t.co/qos14SHMZP

2013-05-04 01:49:16
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大脇幸志郎 @0waki

さきほどの写真にも写っている、欄干の擬宝珠。よくよく見ると、こんなふうに銘が入っています。山口丹波守源直信という人の発注で、常保河内守藤原清長という当時の名工が作ったものであるようです。 http://t.co/ZChtJqoN0E

2013-05-04 01:59:31
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大脇幸志郎 @0waki

ところが風日祈宮に向かう橋ではこう。明らかに筆跡も、彫りの様子も、磨耗度も違う。というか擬宝珠の制作年代がどう見ても違う!まさかの偽銘疑惑に、もはや @hashimoto_tokyo さんに質問するしかあるまいとの意見まで出る始末。 http://t.co/HM3iEgiDJP

2013-05-04 02:05:44
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大脇幸志郎 @0waki

もちろん本当に嘉永6年(1853年)のものかもしれない。しかし偽銘なら、大胆にも伊勢神宮で人目を盗んで橋の欄干の外側に立ち、本物のメモを見ながらこの銘をコチコチ彫り付けた人がいることになり、仮にそうならこれはネ申と言うほかない。一行はネ申を信じたい気持ちを分かち合ったのでした。

2013-05-04 02:12:13
橋本麻里 @hashimoto_tokyo

@0waki 宇治橋の擬宝珠は饗土橋姫神社のお札「萬度麻(まんどぬさ)」が納められているので触れると金運アップ、と言われているものではないですか? これは参拝者の皆さんが代わる代わる触れていかれるので、同じ嘉永年間のものと比べて、色や摩耗度が異なります。

2013-05-04 07:12:03
大脇幸志郎 @0waki

なるほど!ありがとうございます!RT @hashimoto_tokyo 饗土橋姫神社のお札「萬度麻(まんどぬさ)」が納められているので触れると金運アップ[…]これは参拝者の皆さんが代わる代わる触れていかれるので、同じ嘉永年間のものと比べて、色や摩耗度が異なります。

2013-05-04 10:30:08
橋本麻里 @hashimoto_tokyo

@0waki 風日祈宮橋(かけ替え直後、2010年)の擬宝珠 http://t.co/d6lBDhTihL 

2013-05-04 07:14:51
大脇幸志郎 @0waki

このときから問題の銘もありますね。そして確かに色が違いますね…。RT @hashimoto_tokyo @0waki 風日祈宮橋(かけ替え直後、2010年)の擬宝珠 http://t.co/Vo4TgMCuKB … 

2013-05-04 10:30:47

これで一件落着したかに見えたのですが、詳しく調べてみたところ……。

大脇幸志郎 @0waki

結論は「限りなく黒に近いグレー」、状況証拠としてはクロ。「文献上知られた先例に倣って風日祈宮橋が作られたとすれば、この擬宝珠が嘉永五年作であることはありえない」とまでは言えた。

2013-09-22 00:23:25
大脇幸志郎 @0waki

この橋が架け替えられたのは2010年で、2月17日に古い橋を解体しはじめ、9月17日に新しい橋が竣工している。伊勢神宮の広報誌『瑞垣』2010年冬号によると、寛政以来北詰西の第一擬宝珠は架け替えごとに新しく鋳造され、南詰西の第一擬宝珠は明応七年のものをずっと使い続けたという。

2013-09-22 00:30:44
大脇幸志郎 @0waki

また別の資料を見る。2009年刊、架け替えより前の文献『宇治橋造替と上棟祭古記録私考』には寛政九年版『伊勢参宮名所図会』に「擬宝珠は南西の角のもの(明応七年)を除いて架け替えごとに新しく作った」とあるのが引かれている。これを2010年の神宮は知っていた。

2013-09-22 00:47:39
大脇幸志郎 @0waki

寛政より嘉永はあとなので、これよりあとの架け替えも旧来のルールに従ったとすれば、嘉永の架け替えで擬宝珠が作られ、次の架け替えで擬宝珠は取り替えられたはずだ。にもかかわらず嘉永銘の擬宝珠が残っているのだから、1)慣例が破られた。2)偽銘である。のどちらかしかない。

2013-09-22 00:50:48
大脇幸志郎 @0waki

先の『瑞垣』には2010年の工事でイレギュラーがあったとは書いていない。しかし記述に不自然なところがある。明応七年と享保九年の擬宝珠については銘のようすなどを文献から図で引いてきて詳しく書いてあるのに、「いま現在」明応七年以外に有銘の擬宝珠があるかどうか、触れていないのだ。

2013-09-22 00:53:11
大脇幸志郎 @0waki

しかし同じ号の別のページには「明応七年の最も古い銘の刻まれた擬宝珠」という記述があり、ほかに在銘の擬宝珠があることを言外に認めている。にもかかわらず、先の記事では説明していないのだ。「かつてあった擬宝珠」にはあんなに詳しく触れたのに。

2013-09-22 00:55:32
大脇幸志郎 @0waki

では架け替え時点で不審な在銘擬宝珠があったのを仮に事実として、なぜそんなものが紛れ込んだのか。何かの事情で古いものを使い回したという可能性もあるわけだけど、そうする動機が思い浮かばない。僕はこれ、「工事期間中の犯行」ではないかと思うのだ。

2013-09-22 00:57:53
大脇幸志郎 @0waki

工事中の擬宝珠に誰かがイタズラをした。傷物は取り替えればよさそうなものだけど、もう作り直しが利かないぐらい竣工直前の犯行だったのではないか。あるいは9月17日に一般公開されたあとで発覚したため、「やっぱり直します」とは言い出せなくなってしまったのではないか。

2013-09-22 01:00:38
大脇幸志郎 @0waki

僕はこの説に自信を持っている。何よりも、このふたつの銘が同じ時代、同じ人の手によるものとはどうしても思えないのだ。https://t.co/uCzlle89Nw https://t.co/t4GNQAyGD4

2013-09-22 01:03:13
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そしてさらなる深みへ。

大脇幸志郎 @0waki

で、偽銘疑惑はクロと思っておくとすると、第二の疑問が当然出てくる。常保河内とは何者なのか。

2013-09-22 01:04:07
大脇幸志郎 @0waki

「由緒鋳物師人名録」によると、伊勢の国飯野郡蛸路村出身で、名は善四郎という。この文献は読み方がちょっと不透明で、常保善四郎の見出し以下に「天正六年」「安政二年」「天福元年」「文化十一年」(この順)と、前後バラバラな年号が出てきて、どうも複数の常保善四郎に言及しているらしい。

2013-09-22 01:09:36
大脇幸志郎 @0waki

天福はあまりに離れている(鎌倉時代!)ので誤記の可能性もあると思うが、「安政二年九月二十四日口宣案/藤原清長河内大掾/安政二年八月当家継目」とあるのがこの人のことらしい(河内守ではなく河内大掾だったw)。

2013-09-22 01:14:58
大脇幸志郎 @0waki

嘉永六年は1853年、安政二年は1855年で、安政二年より前に河内大掾に任官されているはずなのがどういう書き方なのだと思うけど、「蛸路」の「常保」であって「河内」なのだから、同じ時代に二人はいないだろう。

2013-09-22 01:16:23
大脇幸志郎 @0waki

@Luhmaniacpeople いや、刀工とかでも大掾を名乗ってる人は大勢います。職人のあいだでわりとルースに流通してたのではないでしょうか。

2013-09-22 01:26:38