「よみがえる小西行長公」講演会第6弾 の纏め
友達の舟さんが、小西の講演会言ってきたので、これからしばらく、その呟きを転載します〜。(許可貰い済み) 小西の可愛さがもっとみんなに広まればいいと思うんだ!!
2013-09-29 00:59:30RT 今日の小西の講演会楽しかったよー 先生のお話がとてもお上手で聞いてて面白かった。先生の考える小西、が面白い。愛想なくて人見知りで詰めが甘くて友達いないって言ってた……w
2013-09-29 01:00:22RT : 小西さん色々複雑で面白可愛い(*´艸`*) 明との交渉中、使者を送ったけど待てど暮らせどお返事が来ないって時に 明から身代わりとして来てる人質さんと2人山に登って海を見下ろして船が通る度に「あれ明の使者の人じゃない!!?!?」と大騒ぎする小西
2013-09-29 01:00:49RT : それだけもの凄く明からのお返事持った使者を待って待って待ちわびてたのに、やっっと使者が来たときの小西→「行長は全く嬉しそうではないが、本当にこいつは講和望んでいるのか?」と評される。小西……
2013-09-29 01:01:07RT : そしてその態度について、明側の多分面識ある人?から「小西行長は前に会ったときもこんな感じでしたよ。こういう性格なんですよー…」とフォローされているようだ……(´・ω・`)
2013-09-29 01:01:20RT : 明側の使者がやってきて当然その夜は宴会なのに 小西「いや、別の人と飲む約束あるんで」 ………いやいやいやいやいやちょっと!その後明側と飲んだのか別の人と飲んだのか先生に聞きそびれた
2013-09-29 01:01:30RT : 真面目な話とかも色々あったんですけど、どうしてもインパクト強い部分ばかり印象に残ってて…w 先生の仰ってた数少ない小西の友達は三成と義弘と相良さん。あと死ぬ前にお見舞いに来てたからもしかしたら黒田長政も友達かもね、だそうで。
2013-09-29 01:02:09RT :主に朝鮮側の記録から小西を研究されてる方のようです!先生は中学生の時に大河ドラマ黄金の日々を見て、小西が好きになりそのまま生涯のお仕事にされてらっしゃる筋金入りのコニシタンでしたよ(*´艸`*)
2013-09-29 01:03:09RT:後は先生が小西の手紙には内容がない!って愚痴ってらしたことかなー 手紙の大半は「この間はどーもー。ちょっと酔っ払っててお返事書けなくてごめんねー(理由は多々あれど大抵返事遅れたお詫びが入る)。今度会ったら例のことよろしく!」だそうで、例の事ってなによーっ!!となるそうですw
2013-09-29 01:04:00RT : 後は鳥津先生も、色々お話されてて楽しかったです。やっぱり小西の話をすると必ず清正が出てきて、そしてよくある清正の話とはまた違った側面からの清正の話が聞けるので、だから私は小西講演会シリーズが好きなのかもしれません。
2013-09-29 01:04:16RT:鳥津先生は、小西の描かれ方が時代や場所共にどのように変わって行ってるか〜といったものでした。あととてもヤらしい目つきした小西の浮世絵?紹介してくださって笑った…!
2013-09-29 01:04:39江戸時代時に作られた行長のイメージのによって、後世の人たちが認知して行った。 ただ、太閤記には剛勇で、知略も認められている。 逆に、『清正記』等で、軍神「加藤清正」イメージが作られて行った。そのイメージに日本国民が知る小西行長になって行った。
2013-09-29 01:13:00宇土市が取り組んで来た小西行長の基礎資料集めによって、実像の小西行長が分かって来た。以前は、小西行長の身辺資料は無いと言われ、集められなかった。
2013-09-29 01:14:14小西行長は、石田家、島津家、鍋島家、相良家くらいが仲間 豊臣秀吉時代の小西行長の位置づけは、 秀吉は、家を取り潰さずに全国統一してきた。条件は、挨拶に来ること、人質を出すこと。ぞれから、刀狩り、検地、等々を行う指導をして回る九州担当が、小西行長だった。
2013-09-29 01:14:35小西行長のイメージが少しづつ変わっていきます。秀吉政権の外交交渉担当(ネゴシエーター)としての能力、策謀力、当時の東アジア勢力バランスの見識、情報網の広さも含め、ネットワークの充実が、秀吉の朝鮮進出を中止さたと思います。
2013-09-29 01:14:58