- cantarina_
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@mushroom_ino @maayaapon プレゼンの内容関係なしに、何故か日本語の本に異様な食いつきを見せていたな。うおー、日本語の本だ!!縦書きだ!!みたいな
2013-09-29 15:15:18@route181992 @maayaapon 学部で日本語の本読んでたら写メってもいいか?って聞かれたよ。てか確かに、日本の本ってハンブルとか、柱とかの構成から違うし装丁も独特だし、食いつくのかもな
2013-09-29 15:18:46てか洋書の文庫本ってかっこいいと思っていたけどもオリジナリティってそんなに感じないかもな。それこそ英語もフランス語もドイツ語の本も文庫本は構成が同じな気がする。
2013-09-29 15:22:26@mushroom_ino @maayaapon そういえば、ウチのドイツ人も日本語版の『百年の孤独』の表紙を見て、えらく感動してたな
2013-09-29 15:22:56@route181992 だよなぁ。内装ちょっとおしゃれにして、整然と横積みで本を置く本屋を作ったらそれだけで話題になるんじゃないかと思う。それとも別に不便じゃないのかねえ
2013-09-29 15:42:32@mushroom_ino メキシコの本の普及率に関しては個人的に物申したいことがあるが、140字では余白が足りない。
2013-09-29 15:51:13@route181992 すごい仕切られてる本棚作って4冊までしか積まないとかならどうかな?なんか想像したら面白くなってきた
2013-09-29 15:55:23@mushroom_ino よし。先ず、根本的に文学との距離が日本人とは違うのよ。結論から言うと、ラテンアメリカ文学ってまだ黎明期の域を脱していないと思うんだ。
2013-09-29 15:59:29@mushroom_ino 例えば、いま日本の文化人の発言が政治的な一大ムーブメントになることって難しいでしょう(某芥川賞審査員みたいな老害は除いて)。でも昭和初期の三島なんかの時代にはそれがあったわけで。多分、日本文学の黎明期って漱石の辺りからその昭和初期界隈までなのね。
2013-09-29 16:01:26@mushroom_ino でも、ラテンアメリカでは今だに、マルケスとかのビッグネームが何かしら発言したら騒ぎになるじゃん。まぁ、それって逆についこの間まで革命とか、コミットすべき有事が頻繁にあったってことの裏返しにもなるんだけども。
2013-09-29 16:03:05@mushroom_ino 更に、いま生きてる中で後世にまで語り継がれるであろう作家って日本では村上春樹くらいしかいないと思うんだよね。一方、ラテンアメリカ諸国ではボラーニョみたいな新進気鋭の作家もいたし、フエンテスなんかもついこの前死んだばっかりだし。
2013-09-29 16:05:47@mushroom_ino ビッグネームがまだ幽霊になってないのよ。痴呆とかいえ、マルケスはまだ存命だし、リョサだってまだ書けるじゃん?
2013-09-29 16:06:44@mushroom_ino それって、ちょっと黎明期以前に遡るんだけど、言語自体が未発達な地域って、文学が栄えるっていう説があるんだけど(イタロ・カルヴィノだったかな)、それがロシアでのドフトエフスキーの時代だったり、日本での漱石の時代だったりする訳です。
2013-09-29 16:08:48@mushroom_ino ラテンアメリカ諸国にとってのそのフェイズって革命前後だったんだよね。それが遠因になって、いまはまだ黎明期なんだと思う。
2013-09-29 16:09:43@mushroom_ino で、黎明期のいまラテンアメリカ諸国での文学と読者の距離って日本よりだいぶ親密な気がする。多分、革命中の言論統制とか識字率とか、文学の父の不在みたいな要因から来る、ハングリーさがあると思う。
2013-09-29 16:12:23@mushroom_ino 身近な例でだと、日本では道に文学者の名前つけたりしないっしょ。パブロ・ネルーダ通り、みたいな。普通の学生がお気に入りの詩を持ってて、フィエスタで友達に教えたりしないっしょ。25ペソで映画館入れたりしないっしょ(これはちょっと的はずれかもしれないけど)。
2013-09-29 16:14:52@mushroom_ino こういうところで、文学との距離がえらい近いなぁ、って感じて面白かったです。で、その原因を自分なりに考えてみたのが、さっき言ったみたいな理論なんかなぁ、と。古本屋とかでもすごいオマケしてくれるしさ。そういうのも関係してるんじゃない。
2013-09-29 16:16:54