【シューニャリアーナ哲学】評価と基軸その④
- L_O_Nihilum
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演劇と紙芝居と朗読と、どれも物語を表現し伝えるという点では同様のものだけど、その中身も方法論も、伝え方も、テクニックから思想に至るまでみんな違う。どれもそのベースとしている考え方が、しかも、その行う人や作者によってどうしても違ってくるのに、基軸なんて立てられっこない。
2013-09-29 21:41:05それぞれの創作の形式において方法が統一せず、思想もその各人の創作の方法にいたるまで違っていて、同じことの表現においても各人全く同じになる事なんてありえない。その違いの細かい差が何等かの干渉をおこして、享受者に感度として伝わってくる。
2013-09-29 21:45:01享受者にも感度のチャンネルの差異があるが、どのような差異があるかは自分自身を見返せばある程度その差異が見えてくる(これを現象学で行う)。で、そこをエポケーした後に、やってくるモノから作品の側の内容に迫ると言う事をすると、より本質的な良し悪しが見えてくる。
2013-09-29 21:46:09@knm_mtym_2 その「それぞれの評価軸」が本当にその個々の形で完全になるかどうかが僕は疑問なのです。ときに凄い例外的なものが出てきて、それがこの評価軸だと評価できない、っていう時に、いちいち入れ替えるのなら、見る物毎に特徴をアドリブ整理したほうがやりやすい。→
2013-09-29 21:48:36@L_O_Nihilum そしてそこでメタ的に何層の評価軸を設定できるかで、表現媒体間の深度の差による階層みたいなものが生じるのと違いますか?
2013-09-29 21:49:23@knm_mtym_2 →それでhttp://t.co/VuNHdMNuK5のようなものがその作品や創作方法を論じるのに適した形として導かれてくるわけですが、これを「軸」と言えるかというと、僕は違うと考えています。
2013-09-29 21:50:01で、その自分のなかで繰り返し見てくなかで、見えてきたモノの集合から「世界観」と―――僕があの図のなかで書いた言葉で言えばそうなるのですが―――言うものが出てきて、最終的にはこれを表現するのにこれら個々が好かったかどうか、が良し悪しとして出てくるわけで。
2013-09-29 21:51:50@L_O_Nihilum 当然その手の例外的な逸脱は生じますけれど、例外は例外として受け入れて、個々の評価軸とセットにしないと、文化として継承する事は難しいですよ。
2013-09-29 21:52:29で、この「世界観」を出すまでに見ていく「部分」ってのは、モノによっても人によってもどれも同一でなく、差異でしかないわけだから、こちらもその差異に対応させているだけ。
2013-09-29 21:52:46@knm_mtym_2 文化として継承するにあたりその真剣さを覚悟して受け入れているのならまだしも、そんな継承活動などしなくても行われている創作文化が沢山あるわけでしょ?ボカロや東方等といった同人創作はそうして成り立っているのに、基準はこれだというところから出発すると疎外が出来る
2013-09-29 21:53:55@knm_mtym_2 勿論、ある程度軸を立てて疎外が出来るごとに変えていくのも有効ではある。ただ、そこから分かることは、要するにそのようなはっきり出来る軸足などなかったのだ、という事ではないか、と考えられる。これが僕の立場です。
2013-09-29 21:54:59小さい頃からゲームの良し悪しを言う事があったけど、その「良し悪し」をある地点に定めるとどうしても例外が出てきて、結局それが僕の中での好き嫌いと混ざって精確さを欠いたモノになる経験を結構味わってきた。
2013-09-29 21:55:52今だにそのころの考えこそ残ってはいるけど、そういうのに振り回されず、良い所は良いと認められるようになるためには、そうした軸を設けると必ずスベってるな、っていう確信があって今に至ってる。勿論、文化をマジメに一つの文脈、歴史に組み込みたいってんなら別だよ?
2013-09-29 21:56:45「文脈としての歴史」に刻みたきゃそうするだろうけど、そういうもんじゃない。 そういう文脈刻もうと思って現場の文化と軋轢が起きている。それがコミケなり同人なりという界隈じゃないのかえ?
2013-09-29 21:57:29だ・か・ら、僕は別に「それはそれでそれなりに軸足を立ててるんじゃないか」って言われても反対はしない。ただ、この所謂あんさんが言う所の《軸足》ちゅうものは、ほとんど儚い波の粒の集まりみたいなもんで、ビルを建てるときの土台のようなほどしっかりとしたもんじゃねえぞ、って話
2013-09-29 22:01:13てかそういう「しっかりさ」から立脚すると絶対に良し悪しを本来性つきの疎外で観ちゃうことになるから、絶対的な軸足なんざたてられへんで、毎回毎回更新してかなあかんねん、っていう話。
2013-09-29 22:01:52@L_O_Nihilum 「行われている」と表すからには現在進行形での話ですよね?その理屈は誰もが少しリソースを払えば東方やボカロの生の情報を追える今だから言える事ですよ。今後少しずつ東方やボカロの歴史が長くなっていく中で、評価軸を持たない生のままでの情報共有は出来なくなるはず。
2013-09-29 22:02:08@knm_mtym_2 でも逆に軸足を以て享有できるほど、コンパクトな形にまとめられるとも思いませんね。特にボカロなんかは、他の音楽文化と境界線曖昧に繋がっている。そしてボカロのなにが好いのかというのも部分的にとどまるし、作品評価とかするとなると結局は作家個々、的になる。
2013-09-29 22:03:46http://t.co/243YWXbHcU ここでも書いてるけどそういうのは正規分布みたいなもんであって、コンパクトな台はない。
2013-09-29 22:05:10