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信長は「天才・革命家・破壊者」ではなかった?では…何者だ?

織田信長といえば、『古い伝統や権威など全く眼中になく、次々に社会を変革した”第六天魔王”の革命児』といったイメージがありましたが、どうも最近の研究では、案外古い権威を尊重、遠慮した”常識人”ではないか、という話が出てきているようです。 だが、それだけでは天下を取れるとも思えない。信長とその政権を特徴付けるものは何か?そんな最新の議論です。 以下のtogetterの姉妹編的なものでもあり、若干かぶっています。 『ついったらーが舌を巻く、「織田信長」の強かさ http://togetter.com/li/570067 』
歴史 足利義昭 政治 中世 織田信長 戦国 経済 戦国時代 軍事 信長
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お菓子っ子 @sweets_street
信長は幕府軍を蹴散らして上京し、京都の町に放火して義昭に軍事的圧力をかけつつ交渉を続けましたが、義昭は異常に強気で信長に折れようとしません。困り果てた信長は天皇を動かしてようやく義昭と和解しましたが、数ヶ月でまた幕府軍を動かして信長に敵対しました。信長は完全に義昭に舐められてます
まとめ管理人 @1059kanri
@sweets_street あの舐められっぷりというのは不思議ですね。その前の三好長慶なんて、生きている間ほぼ完全に足利将軍を統制したのに
お菓子っ子 @sweets_street
信長以前に将軍家を擁立した人って世間の批判を気にしない系男子ばかりです。信長のように世間を気にしすぎて強く出れなければ舐められるのかもしれません @1059kanri あの舐められっぷりというのは不思議ですね。その前の三好長慶なんて、生きている間ほぼ完全に足利将軍を統制したのに
まとめ管理人 @1059kanri
@sweets_street 良くも悪くも将軍の実態を把握しきっていない田舎者だった、というのはありますね
お菓子っ子 @sweets_street
将軍権力の実態を知って見下していた畿内の実力者たちは力勝負に走りすぎて支持を失って没落し、異常なまでに遠慮していた信長が無茶をしなかったおかげで支持を得るというのは面白いです RT @1059kanri 良くも悪くも将軍の実態を把握しきっていない田舎者だった、というのはありますね
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan
そういえば今谷明氏の「信長と天皇」は、要は「権力闘争において信長は実のところ天皇に負けっぱなしで手を焼いていた」という見方でしたね。本郷和人氏はそれを過大評価だと異議を唱えているけど。@1059kanri @sweets_street
お菓子っ子 @sweets_street
@gryphonjapan @1059kanri 谷口先生の本では信長と天皇の関係に関して対立説と融和説が存在することを紹介した上で自分の見解を述べておられますね
まとめ管理人 @1059kanri
@sweets_street なんというか、「急がば回れ」とはこういうことだという気がしますw政治というのは今も昔も、時間を駆けたほうがうまくいきますね。
まとめ管理人 @1059kanri
@gryphonjapan @sweets_street 勝ち負けとなると、双方が対立していたという発想になってしまいますが、個人的には朝廷と信長は双方を尊重した、Win-Winの関係だったと思います。勝ち負けは信長革命・革新論の延長にある評価だと思いますねw
お菓子っ子 @sweets_street
綺麗事を大事にしないと信頼が得られないんでしょうね。どれだけお金や兵隊を持ってても、信頼が得られなければ皆に見放されておしまいです @1059kanri なんというか、「急がば回れ」とはこういうことだという気がしますw政治というのは今も昔も、時間を駆けたほうがうまくいきますね。
まとめ管理人 @1059kanri
織田信長は将軍義昭に政治的におもいっきり振り回されましたが、彼がそれに耐えられたのは、それまでの畿内を基板とした天下人と違って、尾張美濃という将軍の「天下」から外れた場所に本拠地があったことが大きいのでしょうね。
まとめ管理人 @1059kanri
@sweets_street 信長は策謀の人という評価も多いですが、実はかなり律儀な武将ですね。少なくとも政治的な律儀さの効能をよくわかっている人で。それだから武田信玄にまんまとしてやられたりもしますがw
酔鏡仙 @suikyosen
@1059kanri 織田軍団があれだけ連戦し続けて遂に干上がらなかったのは、肥沃な濃尾平野から補給を途切れさせなかった縁の下の力持ちがいたからでしょうなぁ。だからこそ補給線を絶ちかねない長島一向一揆は全力で潰されたわけですが…
お菓子っ子 @sweets_street
策謀を使おうにも、普段から信頼されてないと誰も引っかかりませんしね RT @1059kanri 信長は策謀の人という評価も多いですが、実はかなり律儀な武将ですね。少なくとも政治的な律儀さの効能をよくわかっている人で。それだから武田信玄にまんまとしてやられたりもしますがw
まとめ管理人 @1059kanri
@suikyosen それと、畿内の生産力の回復も大きかったと思います。たしか信長の活動期、畿内に大きな不作や飢饉は無かったのではないでしょうか。その意味でも大変運がよくw
まとめ管理人 @1059kanri
@sweets_street 信長が上洛した時、義昭が主催した祝いの能を3番だけにさせた、という話は何故か将軍権威を掣肘した話のようにされがちですが、アレは信長公記でも言っているように、将軍権威の復興を本気でまじめに行います、という忠誠・忠臣アピールですねw
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan
いやあ面白いなあ…畜生、手元にあった筈の同書が見つからないや。検索で…「本書でわたくしが最も協調したい点…信長の最大の敵は、実は正親町天皇で…目の上のコブは天皇…懸案は朝廷対策であり天皇との関係―…」(今谷明「信長と天皇」)  @1059kanri @sweets_street
リンク t.co 信長と天皇 中世的権威に挑む覇王 今谷 明 講談社 天下人信長は、天皇を超えようとしたのか。中世的権威を否定することによって統一事業を成功させた信長の前にある正親町(おおぎまち)天皇という障害。将軍義昭追放の後の政権構想を考察し、天皇制存続の謎と天皇の権威とは何かという問題に迫る。 はじめに――織田信長の最大の敵は、実は正親町天皇であった、というのが、本書でわたくしが最も協調したい点である。天正元年(1573)7月..
まとめ管理人 @1059kanri
@gryphonjapan @sweets_street 考え方っとしてはあるのでしょうけど、ちょっと発想が飛躍し過ぎですよね。まあ飛躍し過ぎてこその今谷先生ですがw
お菓子っ子 @sweets_street
@1059kanri 良くも悪くも真面目な信長と、図太くてパワーゲーム大好きな畿内政治家の典型の義昭では相性が悪かったのかもですね
まとめ管理人 @1059kanri
政治についての発想がある意味真逆ですねw RT @sweets_street: .@1059kanri 良くも悪くも真面目な信長と、図太くてパワーゲーム大好きな畿内政治家の典型の義昭では相性が悪かったのかもですね
まとめ管理人 @1059kanri
よく、秀吉の政策は信長の延長線上にすぎない、という言い方がされますが、実態は信長がやろうとしなかった事が殆どで、秀吉が播磨などを領していた時に行っていた独自政策の延長にあったりします。信長政権のあり方は、秀吉の政権とはかなり違うものだったと考えていいでしょうね
まとめ管理人 @1059kanri
個人的に本能寺の変には、機構や構造、土地政策等で非常に保守的だった信長と、検地を元にした軍役制などの近世的改革を展開し始めていた、光秀を始めとした信長政権下の「地方大名」との路線対立、という視点もありなんじゃないかなと思っています。
天河真嗣@人呼んでカクヨム界のコンデ・コマ @tenkawa_shinji
@1059kanri いつか本能寺を書くときに、是非とも参考にいたしたくっ!
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コメント

有芝まはる殿下。 / 𝕴.𝕳. 𝕸𝖆𝖍𝖆𝖑 𝕬𝖑𝖞𝖘𝖍𝖊𝖇𝖆 @Mahal 2013年9月30日
改革者としての拙速さには、案外欠いていたイメージはあるんだよなぁ、信長。だからと言って天下人的な資質を軽く見る、という訳では無いけど。
カエサル(安部譲二を許銘傑) @caesar_SPQR 2013年10月1日
皇国史観における「戦乱により衰えた朝廷の権威を立て直した」というのが案外正しかったのかもしれない。
rikaku9 @rikaku9 2013年10月1日
こういう意見を見れるのはおもしろい。現代の大抵の日本人は小説・漫画・ドラマで過剰に英雄視された信長のイメージを持ってるから。
ええな@🐽ばらまーくニャ @WATERMAN1996 2013年10月1日
信長はドラスティックな改革者であった、と言う話についていつも思うのは、では具体的に何をやったか、という部分なんだよね。統治の面で特筆するべき点は出てこない、戦争ばかり。
言葉使い @tennteke 2013年10月1日
WATERMAN1996 日本の歴史の教科書が、基本的に「国盗り合戦」の記述だからかもしれません。
Mizuta Fumitaka @Humi_TW 2013年10月1日
信長は舐められていたと云う史観は面白いね…これならば2年に1回のペースで謀反に遭っていたのにも納得がいく。
ワス @wsplus 2013年10月1日
長篠の戦いで鉄砲三段撃ちとか、中世ヨーロッパでは普通の戦法なのに日本で信長がそれやっただけで過大評価されすぎな気がする。
neologcutter @neologcut_er 2013年10月1日
案外と「働く仲間だ許してやれよ」という考え方をするのが信長。そうじゃないのが孔明。
ささた さひこ スイフトスポーツは気持ちいい車 @kuro_kuroyon 2013年10月1日
とはいえ、兵農分離を進め、領内の道路整備をして兵の移動を容易にし、楽市楽座により貨幣経済を確立した先見性は評価するべき。
吟剣詩舞人 @ginkenshibu 2013年10月1日
>兵農分離・楽市楽座 その辺も他の戦国大名だって色々やってたので、特に信長が先進的だった訳でもないし、むしろ領地統治に関しては遅れていた、という説がまとめの中の著書に載っていたような気が。
聖夜 @say_ya 2013年10月1日
三好三人衆は文字通りの意味で将軍の首をすげ替えられる実力者であるのに対して、信長は守護大名である斯波氏の被官織田大和守のさらに家臣のせがれです。大雑把に将軍=社長、三好=大株主とするとせいぜいが支店の若頭程度です。
聖夜 @say_ya 2013年10月1日
その若造が社長を差し置いて経営の梶を取り、そのくせ役員に推薦されても辞退し、あげくに各地の支店を自らの直営にして筆頭株主になり事実上吸収してしまったわけです。これだけでも十分に風雲児、革命児と呼ぶに十分ではないでしょうか
聖夜 @say_ya 2013年10月1日
ちなみに鉄砲三千丁三段撃ちだの桶狭間の本陣奇襲だのは後世の後付に過ぎず、一つ一つの政策や戦略戦術自体は特に目新しいものはほとんどありませんが、取捨選択と試行錯誤そのものが改革の道筋というべきものであり、後世の後知恵で評価するのは不当と言えます
聖夜 @say_ya 2013年10月1日
まあ少なくとも川中島などという辺鄙な土地を10年以上争った上杉武田が執念深いと言われないあたりに色々と見えてくる気がします
吟剣詩舞人 @ginkenshibu 2013年10月1日
↑「上杉武田が・・・」の文章は余分でむしろ不当な気がする
Yoshi_せんしゃぶ!連載中 @Yoshikun21c 2013年10月1日
WATERMAN1996 70年代辺りの革命に失敗した左翼や80〜90年代の日本市場閉鎖的論に染まったビジネスマンが「日本社会が潰した革命家」と持ち上げたように思います。彼らの書籍や挙動を見ると信長の実態を調べて幻滅することを恐れていたようにも見えます。
水野修平 @mizunosyuhei 2014年3月26日
信長が平定した地域は全国の半分に行くか行かないかなので、正直そこまできちんとした構想があったかが疑問なのだが。 良く言えば現実主義者、悪く言えばお利口な行き当たりばったり者。
101 @magler101 2015年8月24日
もう一つ重要だと思うのが、コメント欄にもあるが信長の出自が悪かったという誤解 確かに家柄は良いとは言えないが信長の父親である信秀が優秀であったがために相続時点で全国屈指の国力を持つ大名だった その後、信長を気に入らない家臣によって内部分裂が発生するわけだが
カツヲ @RX78_01 2016年1月2日
いまあらためて歴史コンテンツ楽しめるのも義務教育を含めたものの蓄積だとわかるわ
ふるきち @fullkichi 2016年4月3日
まあ「義昭に振り回されていた」といってもわずか5年くらいのことですからねえ・・・信長は上洛して15年足らずであそこまでのことをやってのけたわけです。「天才・革命家・破壊者」ではなかったとしても、その力量は疑いない。1551年に家督相続してから尾張統一⇒美濃併合を経て68年の上洛まで17年、そこからその死までは14年でしかない。むしろ基礎固めに慎重な人であったと言えるかも知れません。
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