鈴木謙介『ウェブ社会のゆくえ』(NHK出版)読書会についての辻大介さんの考察(2013.09.30) #kansai_ct #life954
【関西クラスタ・GACCOH・文化系トークラジオ Life 共催 /鈴木謙介『ウェブ社会のゆくえ』読書会】トークセッション部分をPodcast配信しました。 http://t.co/lmcFeZfXTf #life954
2013-10-05 08:00:59一昨日、関西クラスタ・GACCOH・文化系トークラジオ Life 共催 /鈴木謙介『ウェブ社会のゆくえ』読書会に行ってまいりました。当日朝に申し込んだので立ち見覚悟でしたが、第2部のトークセッションにまで加えていただき恐縮でした。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:31:11懇親会にも参加したかったものの次の予定があったので、第2部終了とともにそそくさと後ろ髪引かれながら退席。ろくに挨拶もできず大変失礼しました>チャーリー& #kansai_ct #life954 のみなさま
2013-09-30 21:31:36というわけで、そろそろほとぼり(?)も冷めた今頃になって、話し足りなかったこと、その場ではまだモヤッとしていたこと、おもしろかったことなど、備忘録を兼ねて徒然なるままに。ドカッと連投しますが、どうかご容赦のほど> #kansai_ct #life954 のみなさま
2013-09-30 21:31:55まずピンポイントで。柴田遥さんの客席からのコメントがおもしろかった。友人と対面で会う頻度、メディアを介して連絡を取る頻度と、生活満足度(?)の相関を取ると、先進諸国では連絡頻度が無相関で、もっぱら会う頻度が相関するらしい。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:32:12こういう傾向は途上国ではみられず、先進国特有のものだそう。これを聞いて思い出したのが、国単位で一人あたりGDPと幸福度の相関をとると、経済発展が一定以上に達するとそこからはGDPと幸福度の相関がみられなくなるという話。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:32:26ただ、先進諸国でもそれぞれの国内で、個人単位で所得と幸福度の関連をみると、相関する。どういうことか。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:36:07国全体での経済水準の上昇は、あるレベルまでは国民全体の幸福度(というか幸福感)を押し上げる。しかし、それが飽和すると事情が変わる。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:37:11国内での相対的階層のどこに自分が位置しているか、つまり、周りをみて自分が経済的に恵まれていると思えるか、がもっぱら幸福感を左右するようになる。高度成長以降の日本で生じたのもこれ。いわゆる相対的剥奪の問題が前景化するということ。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:37:37「格差社会」がよりリアルに感覚されるように経済状況が変わったと言い換えてもいいかもしれない(これは実際に客観的な経済的指標上で格差が拡大したかとはまた別の話)。でもって、友人と会う/連絡することと幸福感の関連に話をもどすと、 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:38:10ICTインフラの整備された先進諸国では、ソーシャルメディア等で連絡を取る機会は比較的平等(と感覚される)がゆえに、友人に会う時間的・経済的余裕があるか否かがむしろ希少資源化するのではないか。その資源の相対的剥奪感が幸福感を左右するのかも。#kansai_ct #life954
2013-09-30 21:38:27こんなことをちらっと考えた。トークセッションの流れ次第では拾えるかなと思ったのだが、拾いきれなかったのが残念。『ゆくえ』の第1部(個人の関係性)と第2部(集団の共同性あるいは社会性)の接合がうまくいってんの?とも関わる話だけに。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:38:41でもって、その、第1部と第2部の接合・連絡がどうつけられてるの?という問題。ここがトークセッションの最中も何か私がモヤッとしていたところ。いやもちろん、『ゆくえ』の中でも、話の流れとしては一通りきちんと筋が通されているんですが。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:39:04社会構造やらシステムやら制度やらマクロな話にもちゃんと目配りはされてるし(これらを「マクロ」で括っちゃうのは乱暴極まりないのだが目をつぶってくださいw)、それをあえて後景に止めおいて第1部の延長線上で突破口を探るという方向性もわかる。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:39:30トーク中ではデジタルデバイドの話(断層線がネット利用の有/無からスマホやソーシャルメディア利用の有/無に移行しただけで、学歴や年収等の効果はむしろ強まっている)を振ることで、この点に関するチャーリーの執筆スタンスは確認できた。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:40:06なのでマクロな話は脇に置くとして、第1部と第2部がどうつなげられているかを超ざっくり確認しておくと; 多孔化は他者と共在する社会空間(社会状況)の定義を混乱させる(ex. 1部3章1「役割空間の混乱」)→(つづく) #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:40:25→テレビ公共圏には「大きな物語」によってその混乱を調停する面があった。が、それはウェブメディアでは不能(2部4章)→とすれば、「穴だらけの現実を、多様な方向性を保持したまま「束ねる」力」をどう求めうるのか(5章p206)→(つづく) #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:40:47→この問題は、共同体の持続可能性の問題に読み替えうる→そこで注目されるのが「喪失の体験が生む共同性」(6章p217)→(つづく) #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:41:03→それは「失われたものや死者との対話を通じてみずからの中に生まれるものであり、その意味で多孔化した現実を上書きする共同性」に近接する(p219)、と。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:41:16ここで、私がずっとモヤッとしているのは、「喪失の体験が生む共同性」というものを、チャーリーが喪失(の体験)を共有すること――何かを共有すること=common-ness――と強く、あるいは限定的にとらえすぎているように思えること。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:41:36私たちの共同性(というか関係性というか)は、何かを共有することのみから生じるわけではない。たとえば街路や広場等の都市的空間での共在状況において、私たちはそこで他者が何をしようと、大概の場合、儀礼的無関心をもって黙認する。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:42:18私が弁当を食っている横のベンチで、カップルがいちゃついている。それを互いに無視しながらふるまっている。このとき私とカップルは、端的に何の関係性(あるいは共同性)も有していないように思えるかもしれない。が、そうではない。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:42:49そのような社会状況(他者との共在・共同性)は、互いに干渉しないという関係性――儀礼的無関心――が存するがゆえに、成り立ちえている。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:43:16私が「お熱いことで」(いつの時代のオヤジだw)と述べ、カップルが「うまそうな弁当ですね」と返すことでしか共在できないとすれば、他者との共在のための負荷・コストがかかりすぎる。 #kansai_ct #life954
2013-09-30 21:43:30